昨日の、新聞記事に聴覚障害者が、28日、医師国家試験に合格したと報道されていました。以前は、医師法の中に「欠格条項」というのがあって、耳が聞こえない人は医師免許が取得出来ないことになっていました。この条項は、2001年の医師法改正で撤廃されました。
合格したのは、滋賀医大を卒業する竹澤公美子さんです。同大によると、聴覚障害の医学生が合格したのは同法改正後、竹澤さんが初めてとのことです。2歳の時に耳が聞こえなくなり、中学3年生の時に聞こえない原因が分かればと、医師になろうと決めたそうです。両親の方針で手話に頼らずに、相手の唇の動きを読み取る口話法で言葉を理解したそうです。※聴覚障害者が、手話を取り入れるか、口話法のみで学んでいくのかは、難しい選択です。竹澤さんもご両親も言葉の獲得には、苦労されたと思います。なお、国連の障害者権利条約では、手話が正式に言語として認められています。
竹澤さんは、2001年に同大に入学しましたが、授業のペースが早くなった2年生には留年しています。情報取得は、簡単ではなかったかと思われます。大学側も授業の詳細な資料を作成するなどの支援をしました。相当な本人の頑張りの成果です。
去年、テレビの放送で、他の大学でやはり医学を学ぶ男子学生が紹介されていました。これからも、まだまだ乗り越えなければならない壁がいくつもあると思いますが、後に続く後輩のパイオニアとして活躍されますように。
私と小鳥と鈴と 金子みすゞ
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
合格したのは、滋賀医大を卒業する竹澤公美子さんです。同大によると、聴覚障害の医学生が合格したのは同法改正後、竹澤さんが初めてとのことです。2歳の時に耳が聞こえなくなり、中学3年生の時に聞こえない原因が分かればと、医師になろうと決めたそうです。両親の方針で手話に頼らずに、相手の唇の動きを読み取る口話法で言葉を理解したそうです。※聴覚障害者が、手話を取り入れるか、口話法のみで学んでいくのかは、難しい選択です。竹澤さんもご両親も言葉の獲得には、苦労されたと思います。なお、国連の障害者権利条約では、手話が正式に言語として認められています。
竹澤さんは、2001年に同大に入学しましたが、授業のペースが早くなった2年生には留年しています。情報取得は、簡単ではなかったかと思われます。大学側も授業の詳細な資料を作成するなどの支援をしました。相当な本人の頑張りの成果です。
去年、テレビの放送で、他の大学でやはり医学を学ぶ男子学生が紹介されていました。これからも、まだまだ乗り越えなければならない壁がいくつもあると思いますが、後に続く後輩のパイオニアとして活躍されますように。
私と小鳥と鈴と 金子みすゞ
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。