「あの素晴しい愛をもう一度」加藤和彦さんが自殺(朝日新聞) - goo ニュース
新生 ザ・フォーク・クルセダーズ / イムジン河
加藤和彦 & 石川鷹彦 『あの素晴しい愛をもう一度』
フォーククルセダーズの曲を初めて知ったのは、中学生の時でした。当時、友人は深夜放送を聴いていたようでしたが、真面目タイプの僕にとっては、深夜起きていてラジオを聴くなんて、とんでもないことでした。友人が話題にしていたのは、「帰ってきたヨッパライ」でした。当時は、この手の曲をアングラソングなどと呼んでいました。お経付きの変わった曲でしたが、何度も聴きたい曲でした。
高校に入ってからも、フォークソングの時代が全盛でした。文化祭も、全校生みんなでギターの伴奏で、フォークの大合唱でした。教室にギターを持ち込んで、朝からフォークソング歌っている級友の多いこと。スリーフィンガーなど、覚えたくて練習したものです。もちろん、ギターを親に買ってもらってからでしたが。
フォーククルデダーズは、フォークの神様状態でした。「帰ってきたヨッパライ」とは別に、サトウハチローの詩に曲を付けたのは「悲しくてやりきれない」、「青年は荒野をめざす」は、五木寛之の詩でしたね。精神科医になった北山修の詞に加藤和彦さんが素敵な曲を付けていました。ベッツィー&クリスの「白い色は恋人の色」も、さわやかな曲でした。あの頃の歌は、青春そのものでした。
加藤さんは、その後も、サディスティック・ミカ・バンドで、また、違ったポップな曲を作っていました。フォークの時代以後も。
今日の訃報には驚きました。人が自ら命を絶つことは、よく理解できません。
新生 ザ・フォーク・クルセダーズ / イムジン河
加藤和彦 & 石川鷹彦 『あの素晴しい愛をもう一度』
フォーククルセダーズの曲を初めて知ったのは、中学生の時でした。当時、友人は深夜放送を聴いていたようでしたが、真面目タイプの僕にとっては、深夜起きていてラジオを聴くなんて、とんでもないことでした。友人が話題にしていたのは、「帰ってきたヨッパライ」でした。当時は、この手の曲をアングラソングなどと呼んでいました。お経付きの変わった曲でしたが、何度も聴きたい曲でした。
高校に入ってからも、フォークソングの時代が全盛でした。文化祭も、全校生みんなでギターの伴奏で、フォークの大合唱でした。教室にギターを持ち込んで、朝からフォークソング歌っている級友の多いこと。スリーフィンガーなど、覚えたくて練習したものです。もちろん、ギターを親に買ってもらってからでしたが。
フォーククルデダーズは、フォークの神様状態でした。「帰ってきたヨッパライ」とは別に、サトウハチローの詩に曲を付けたのは「悲しくてやりきれない」、「青年は荒野をめざす」は、五木寛之の詩でしたね。精神科医になった北山修の詞に加藤和彦さんが素敵な曲を付けていました。ベッツィー&クリスの「白い色は恋人の色」も、さわやかな曲でした。あの頃の歌は、青春そのものでした。
加藤さんは、その後も、サディスティック・ミカ・バンドで、また、違ったポップな曲を作っていました。フォークの時代以後も。
今日の訃報には驚きました。人が自ら命を絶つことは、よく理解できません。