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23日の金曜日、こじれるかと思えた夏風邪の咳もどうにか止まり、かねてより予定していた納涼能に出かけることができました。
会場の水道橋にある宝生能楽堂に行くのは、大学以来でしょう。大学生の時は、学校も近かったし、未だ透析にも至らなかったので、しばしば訪れていました。釣り狐も拝見しました。
当日は、消耗した体力を振り絞って,足元が不安定ながら、久しぶりの能楽堂に、恐れていた遅刻もせずに、何とか開演前に到着しました。
演目は、秋に関する能2番と、狂言がありました。
最初は、能「井筒」でした。高校生の時に、愛読していた伊勢物語が基になっています。ただ、能では、井筒の女と紀有常の娘が同一化しています。
予め、謡の原文を読んでいった訳ですが、後シテの業平の形見の衣装を付けた女の登場は、衝撃的でした。現代でも、愛する男性の衣装を身に付けた女性が目の前に現れたら、どんな気分になるのでしょうか。アンドロギニュスとまではいかなくても、自分の存在が、女性なのか、愛する男性と化したのか、意識の上での同一化ということが、現代の視点からもとても不思議な感覚を覚えました。
能「枕慈童」は、菊の作り物も登場して、やはり、秋の曲でした。現代から見れば、ファンタジーの世界なのでしょう。齢700年の永遠の美少年の登場する祝言能です。菊水という日本酒がありますが、この話からとられたものなのでしょうか。死ぬことのない少年は、かつての罪をゆめみることからは逃れられず、永遠の命を得ても、必ずしも幸せとはあいならないような、憂鬱さすら感じられるのでした。しかし、観客にも、祝福を与える舞に酔いしれるのも一興でありましょう。
狂言は、「六地蔵」、所見でしたが、とても面白かったです。
でも、能を観賞する時は、静かにしたいものです。いつも、能楽堂で興ざめするのは、老女たちの上演中の私語です。げに恐ろしきは、風流から程遠き嫗達かな。