トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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江戸の怪談/絵本「本所ななふしぎ」

2010-07-07 14:44:40 | 絵本・児童文学
本所ななふしぎ
斉藤 洋
偕成社

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 何度目かの妖怪ブームのときに、大映で妖怪映画『妖怪百物語』が上映されました。妖怪好きな僕は、早速、弟を連れて映画館に観にいきました。
 作品のタイトルの百物語というのは、江戸時代の町人の夏の暑気払いの風習でした。暑い夏の夜に、部屋の中に百本のろうそくを立て、怖い話を一つ話し終わるごとに、ろうそくの火を一本ずつ消していきます。そして、百番目の怪談が終わったときに、部屋の中に訪れる漆黒の闇。もちろん、この催し物の後には、お祓いをしたということです。
 映画の中では、先代の林家正蔵、後の彦六師匠が百物語の噺家の役を勤めておりました。
 その語りの中で、本所の七不思議が取り上げられていました。「置いてけ堀」でしたね。江戸の本所は、隅田川河口に湿地地帯で、明暦の大火以降に開発されるまでは、ひとけのない、まさに物の怪が跋扈していたような所だったのでしょう。
 人が住むようになってから、湿地の水抜きと水上交通のためなのでしょう、本所には、堀が張り巡らされるようになったとのことです。そうした開発後の本所に起こった七つの怪異についての伝承は、時と共に忘れられるかと思っていましたが、こうした絵本が出版されたことも何かの縁なのでしょう。伝えていきたいお話です。
 最近は、日本製のホラー映画がハリウッドに逆輸入されることがありました。日本の作品の特徴の一つは、お化けや幽霊などが出現するのにはっきりとした理由がないことでしょうか。祟られたり、呪われたりした人間には、とても理不尽なことです。
 そうした傾向は、この江戸時代の伝承である、本所七不思議の中にも垣間見ることができます。怪異の出現に特に理由がないんですね。

 さて、七つの怪異譚については、本書を読んでいただくということで、七つのタイトルだけ紹介して、この文章を終わりにしたいと思います。

 おいてけぼり、あしあらいやしき、おちばなき しい、たぬきばやし、かた葉のあし、あかりなしそば、おくりちょうちん

妖怪はどこに消えたのかな

2010-07-07 14:11:53 | 絵本・児童文学
てんぐのきのかくれが
青山 邦彦
教育画劇

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 「ゲゲゲの女房」で、調布市が、特に深大寺辺りが注目を浴びているのかな。鬼太郎茶屋は、このドラマの前から開店していますが、今度機会があったらいってみたいですね。深大寺には、国宝のお釈迦様も折られることですから。

 さて、ゲゲゲの鬼太郎も、何度もテレビ化されています。専門家に言わせれば、妖怪と怪獣は、周期的にブームがやってくるということです。確かに沿うかも知れません。僕も、最初の白黒の作品から、数シリーズを観ていることになります。前身の墓場の鬼太郎は、テレビ化もされましたが、本のほうで読んでいます。作者の水木しげる先生の妖怪の大図鑑は、とても印象に残っています。

 最近の子供たち、妖怪のことをどう思っているのでしょうか。

 この絵本、たくさんの妖怪が登場します。話は、クラスで浮き上がった存在の少年が、一人の世界を楽しむべく、大きな木に自分専用の隠れ家を作労とすることから、物語が始まります。彼は、一生懸命に隠れ家の設計図を描いてくるんですね。僕らも、小学生時代は、隠れ家を作ることにあこがれていました。友人の家の庭の木に作ろうなんて計画したものの、すぐに挫折しました。
 さて、この絵本では、少年の前に、天狗が現れて、彼の隠れ家作りの協力するというものです。子分のからす天狗の登場の後に、様々な妖怪が登場します。僕には、水木しげる先生の作品でおなじみの面々でした。
 妖怪たちは、子供たちと遊びたかったのですね。時代の変化とともに、子供たちの意識の中から、怖い、あるいは、ひょうきんな妖怪たちの存在は消え去っていたのですね。妖怪たちのさびしさ、なんだか、分かるような気がします。少年の思惑と違って、隠れ家はどんどんと拡張していきます。そればかりか、少年に学校の仲間たちを呼んで来いとまで、天狗が言い出します。
 やってきた子供たち、最初は怖かったものの、すぐに妖怪たちと仲良しになります。それに、少年も、仲間たちと仲良くなることが出来ました。
 やっぱり、妖怪は子供たちと、どこかで気持ちがつながっているんでしょうね。

加速度的な変化です/絵本「ニッポンの風景」

2010-07-07 13:33:54 | 絵本・児童文学
ニッポンの風景
島田 アツヒト
あすなろ書房

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 昭和の時代に少年時代を過ごして、今は人生のラストランのスタートラインから、走り出しています。最近は、昭和時代に対するレトロブームとでも言うべき現象が一部に起こっています。いつだって、今の視点から過去を振り返ることは、人間に特別な感情を抱かせるようです。でも、過去の当時を「現在進行形」で生きていた人々は、そんな感情とは縁がなかったですね。ただ、一所懸命に生きていたか、たまには、時の流れに身を任せていた人もいたんでしょう。
 子供の頃に愛読していた漫画雑誌の「少年」には、鉄腕アトムや鉄人28号が連載されており、来るべき未来に、21世紀に向かった夢見る時代を送っていたようです。
 現実に大人になってから、社会の変化は、時と共に加速度的となっていき、何とか、死なずに迎えた21世紀も、さほど感激するものでもありませんでした。

 この絵本は、クスノキが生えたかつて野原だった場所の、時間をめぐる定点観測ともいうべき描写の作品です。細かく描きこまれた絵は、よく見ると、その時代の様子を描いています。たとえば、戦時中の町の中では、子供たちが戦争ごっこに戯れています。家々の窓には、空襲に備えて紙が張ってあります。町外れには、墜落した、おそらく当時の日本軍の実力からは撃墜は無理でしょう、米軍の大型軍用機が描かれています。乗務員はどうなってしまったのか、気になるところです。

 現代に至って、クスノキはどうやら開発の波からは免れています。開墾された当時は、神木とされたこともありました。自然に対する人々の畏敬の念は、果たして、現代も変わっていないのでしょうか。

 子供の頃、僕はひどく死が怖かった。人は必ず死ぬべき存在であるということを受け入れることが出来なかった。そんな時、何千年も生きることが出来る巨木がうらやましかった。僕も、いつまでも生きていたいと思っていた。

 この絵本に登場するクスノキも、人間の開発の歴史に比べれば、流れる時間はゆったりとしたものなのでしょう。
 ページをめくるごとに、クスノキと町と人々の変化をじっくりと読み込んでいく楽しみがあります。そして、それぞれの読者には、思うところが出てくるでしょう。

 なお、後で知ったのですが、この絵本に描かれた場所は、大阪の住吉大社にある千年楠を中心とした町だそうです。

追記:最近は、たまに日帰りのバス旅行に参加した時に見る風景は、どこへ行っても同じようですね。コンビニ、大量量販店等、日本の風景も均一化しているようです。寂しい事です。