最近はすっかり「障害と文学」のカテゴリーについて投稿していない。先日亡くなったウイリアム・ギブソンの戯曲「奇跡の人」についても書かなくてはなと思いつつ、筆が運ばない。舞台は青年劇場の上演を観た。そう言えば、ガラスの仮面でも取り上げられていました。
今年もあとわずかとなったが、ブログ用にテレビ番組を録画したものの、まだ未見のものがかなりある。年内には、消化しなくてはと思っている。先日、その中の能を観た。「松虫」である。この作品は同性愛を扱った作品である。そのため、「マイノリティと文学」というカテゴリーで感想などを書こうかなどとと思った。しかし、この分野は範囲が広いし(作品が多い)、特に専門的な知識もある訳でなく、「障害と文学」同様、自分には気が向いたら書くレベルだと思った。遠く昔のサッフォーの時代から、この系譜はずっと続いている。古代ギリシャ以前は思い至らない。民俗学や人類学、神話学の範疇か。
大学生の時に、橋本治の「桃尻娘」を読んでいた。講談社文庫にもなり、連作が作られた。映画化もされた。ただし、日活のロマンポルノなので、18歳未満禁止だ。この作品に出てくる「おかまの」木川田君は読者にはかなり人気があった。この時代、まだ、「おかま」という言葉が平気で使われていた。映画だったら2作目だったか、木川田君は先輩のバスケット部の先輩に恋をしていた。先輩は、ノンケ(異性愛者をそう呼ぶ)だから、恋など成就するはずがない。休み時間には、先輩の教室をのぞきに行っていた。この木川田君を同じように教室に見に来る後輩が現れた。木川田君に恋している。木川田君はあまり関心が無いのだが、ある日、彼を自分の部屋に連れて行き、怪しい雰囲気になった所を父親に見つかってしまう。あわてた父親は木川田君を精神科の医師のもとに連れていく。
当時は、同性愛は精神病の範疇に入っていたようだ。その後は、広辞苑からも「異常性愛」という説明が消えた。
この作品は、フジテレビでテレビ化もされたが、残念ながら一部しか見ていない。
エイズ流行以前の文学作品と、以後のそれではどのような変化があるのか等の問題もあるが、とてもそこまでの考察は無理であろう。
謡曲「松虫」に関しては、当時の武家や僧侶の間では果たして、マイノリティの扱いとするのかは問題がある。京都の醍醐寺には、「稚児之草紙」という絵巻物が残っている。内容が内容だけに、門外不出の秘巻となっている。奥書きには、元亨元年(1321)とある。雑誌夢想15に堂本正樹氏の解説と本文が紹介されている。三島由紀夫はこの絵巻を見ることができ、「禁色」で触れている。絶対非公開が原則なので、夢想の本文は新納忠之介の模本に依っている。堂本氏は、幸運にもこの絵巻の実物を見る機会を得た。こうした絵巻の存在からも、室町時代などある時代では、同性愛の扱いも特別視するようなものではなかったのかも知れない。だから、マイノリティという立場で見るとしたら、現代の視点からである。
「稚児さん」なる言葉は、昔の学生の間にも残っていた。女学生の間に、「エス」なる言葉があったように。
そう言えば、「ハートをつなごう」の録画もそのままだ。
テレビ版の桃尻娘は2作作られたが、もう見ることは不可能なのだろうな。
桃尻娘