1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「どこから行っても遠い町」(川上弘美)

2009-08-08 11:30:05 | 
 「どこから行っても遠い町」(川上弘美)を読みました。11の短編集なのですが、ある街の商店街を中心に、物語の主人公がつながっていきます。この本には、「いろいろな」という言葉が、何度か出てきます。

 「いろいろなことなど、見たくない。つくづく、思った。でも、見なければ、生きてゆけない。そのことを、残念ながら、わたしはいつしか知るようになっていた。ここまで生きてくるあいだに。」

 「好き、っていう言葉は、好き、っていうだけのものじゃないんだって、俺はあのころ知らなかった。いろんなものが、好き、の中にはあるんだってことを。」

そして「ふつう」という言葉。

「ふつうって、どのふつう?」
「どのふつうって、ふつうっていうものに、そんないろいろな種類が、あるの」
「あるよ」

魚屋の主人、八百屋のおばさん、飲み屋のおかみさん、予備校の先生に、大学の同級生などなど。「ふつうの」ひとたちが、「いろいろなもを」を背負って生きている姿が、とてもうまく描かれています。と同時に、主人公たちは、心にむなしさや空虚感、はかなさややるせなさを抱えているのです。「ふつうの」僕たちがそうであるように。


 「最初から何もない、のだ。ただ、しんから、何もない感じ。ただそれだけの、純粋な、感じ。」

 「みぞおちのあたりにからっぽな部分があって、それがふわりふわりと動いていうような心もちになる。エレベーターで急降下しているときのような感じだ。」

 「ただもやもやとした感じで、ああ、もう、と、おれは思ったのだ」

 「あたしの生きてきた道は、いつもはかないのです」

 この本は、「いろんなこと」を抱えながら、夫とはなれ、別の男性のもとに走った女性の次の言葉で終わります。

 「生きているのはおもしろかったです。捨てたものではなかったです。あたしの人生」

 心がからっぽで、むなしいことは、とてもつらいことだけれど、からっぽでむなしいからこそ、心に「いろんなこと」を充てんすることができるのかもしれない・・・そんなふうに思える一冊でした。