1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「読むことは旅をすること」(長田弘)

2009-08-05 20:01:29 | 
 長田弘の「読むことは旅をすること」を読みました。長田弘は、僕の大好きな詩人のひとりです。読み終えたところから始まる、長田弘の旅の記録です。スペイン市民戦争が闘われた前線の村、アウシュビッツ、アイオワの小さな町、ロシアの詩人たちがねむる墓地などなど。長田弘にとってこの旅は、パトリオティズムという言葉の意味を再定義していく旅でした。

 パトリオティズムは、日本語では「愛国心」と翻訳されてきました。パトリオティズムとよく似た言葉に、ナショナリズムという言葉があります。長田弘は、ジョージ・オーエルの言葉を引用しながら、パトリオティズムとナショナリズムを次のように峻別しています。

 「私がパトリオティズムとよぶのは、特定の場所と特定の生活様式に対する献身的な愛情であって、その場所や生活様式こそは世界一だと信じているが、それを他人にまで押し付けようとは考えないもののことである。パトリオティズムとは、本来、防御的なものなのだ。ところがナショナリズムのほうは、権力志向とむすびついている。ナショナリズムたるものはつねに、より強力的な権力、より強大な威信を獲得することを目指す。それも自分のためではなく、個人としてのじぶんを捨て、そのなかに埋没させる対象として選んだ国家とか、これに類する組織のためなのである。・・・ナショナリズムとは、自己欺瞞を含む権力願望なのだ。」

 パトリオティズムとは、ライフスタイルの問題であり、それぞれの場所で日常をどう生きるかという問題です。一方でナショナリズムとは政治とイデオロギーの問題なのです。

 ベンヤミン、ロルカ、ポール・ニザン、ジョン・コンフォード、マヤコフスキー、エセーニン・・・
この旅は、パトリオティズムを生きようとしたが故に、自分自身であろうとしたが故に、国家(ナショナリズム)や革命権力によって命を奪われた詩人たちへの鎮魂の旅であるとともに、

パステルナーク、アンナ・アフマートフ・・・
無名の中に身を隠し、パトリオティズムを生き抜いた詩人たちへの共感の旅でした。

筆者は、スターリン体制下を生き抜いたパステルナークの次のような詩を引用しています(一部)

だから、無名のうちに身をかくせ。
無名のうちに一歩一歩をかくせ。
風景が霧になかに身をかくし
どのような痕もとどめぬように。

一瞬たりともおまえ自身であることを
おまえは避けるな、見せかけに身をかがめるな
生きること、生きてゆくこと、
生きとおすこと、それだけだ。


ほんとうに良い詩だと思います。
パステルナークは、ドクトル・ジバゴの著者です。

 そして筆者は、日本においては、パトリオティズムが容易にナショナリズム=国家にからめとられてきたという鋭い指摘をしています。「愛国心」という訳自体が、そのことの反映なのです。「国家が国家である正しさこそ、怖ろしいのだ。厳しく疑われ、留保されなければならないのは、その正しさなのである。」という筆者の言葉が、心にズシリと残る一冊です。この本も五つ星です。