防湿庫に長い間眠っていたフィルムカメラたち。
全く出番がなく、可哀そうでもあり、それでは使ってやろうかと手に取って、さてどんなフィルムにしようかとネットを探せば、いまや眼が飛び出るほどに高価であって、年金生活者には無理・・と、必然、また防湿庫でお眠りいただく運命に。
いま使用しているコンデジ「キヤノンG3Ⅹ」くんの調子が最近思わしくないので、次世代のコンデジをネットで探し始めたら、ひょんなことで「買取」コーナーに目が行き、あの時代遅れのフィルムカメラたちをいまでも買ってくれるのか調べたら、あまり使わずに目立った傷のない35mの「ニコンFM2/T」や中判の「富士GSW690Ⅲ」などは、条件がよければ〇万円で買ってくれそうなことが分かったので、重たいレンズで今はほとんど使わない「ニコン80-200ズームレンズ」といっしょに買取を申し込むこととした。新しいコンデジ購入の少しでも足しになってくれればありがたい。
宅配便は送料業者負担ということで、ネットで申し込んだら、二、三日でに梱包材が入った段ボールが送られてきて、その手回しの良さには、地方在住者にとってありがたいの一言だ。
たとえ「査定結果希望価格の〇%減の〇万円となります」と値を下げられても、ただ眠っていたのでは1円の価値がないのであるから、「・・・・わかりました。それでお願いします」と返事をするつもりだ。査定を断って彼らが帰ってくると送料当方負担という条件も「痛い」。
これまで売ろうなんて気がなく、残念だがやがて家庭ごみとなるのかと嘆いたのであるから少しでも値が付けばいいか。あわよくば、この送り出したカメラやレンズたちががどこかの誰かによって、また命を吹き込んでいただけたらなによりだ。
防湿庫には、まだ「ニコンF3」くんはじめフィルムカメラが2台あるが、これらは使い込んだので愛着があり、生涯手元に残して時々触って往時を顧みよう。
日本百名山MYSONG 18 蔵王山
【深田百名山を読んで】
(日本百名山から抜粋)
「(前略)
もし最高点を盟主とするならば、それは熊野岳であって、その細長い頂の一端に、斎藤茂吉の歌碑が立っている。
陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳えたまふ
蔵王の山の雲の中に立つ
(中略)
私が初めて蔵王に行ったのは、そこの樹氷がようやく世に聞こえだした頃で、高湯温泉から上には、旧山形高校のコ―ボルト・ヒュッテがあるだけだった。その後、毎冬のようにスキーに出かけたが、戦後はその繁盛ぶりに怖れをなしてまだ一度も行かない。
(中略)
戦後蔵王はスキーヤーのメッカとなった。交通の便がよくなり、リフトやケーブルカーが架けられ、山小屋は随所に立った。高湯は蔵王温泉と改められ、村の名前も、奥羽本線の金井駅まで、「蔵王」に変えられてしまった。山形側のこの繁栄ぶりを宮城側も見過ごすはずはなく、いろいろな便利な施設を進めている。近年刈田岳のすぐ近くを経て、宮城と山形をつなぐバス道路も開かれて、何の苦労もなく御釜見物もできるようになったが、それだけ魅力も少なくなった。」
高湯より 樹氷の峰へ歩みゆけば ヒュッテぽつんと 昭和のゆかし
【深田百名山登頂の思い出から抜粋】
「ふるさとの山で百名山の中では一番多くあちこちのルートを歩いているが、学生時代は深田イズムにはまっていて頂上近くまで山岳道路やロープウェイが伸びている山を「大衆登山の山」として忌避していたので、昭和52年(1977年)に一度最高峰熊野岳やお釜のある刈田岳に登っただけ。
(中略)
現在は、「蔵王古道」という信仰の道をたどって宮城側の遠刈田(とうがった)温泉からや山形側の宝沢(ほうさわ)集落から山頂に向かって、宮城側なら蔵王温泉に下り、山形側なら遠刈田に下って、それぞれの湯をいただくという企画で蔵王山と向き合っている。蔵王権現様を心に抱きながら、体力が尽きるまでの年中行事としていきたい。」
仙山の 有志の木霊 響き合ひ 蔵王の古道 雪解に現る
船形山頂から蔵王連峰を眺める 2019.5.25