かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

さようならフィルムカメラたち

2022-11-19 06:09:26 | 日記

防湿庫に長い間眠っていたフィルムカメラたち。

全く出番がなく、可哀そうでもあり、それでは使ってやろうかと手に取って、さてどんなフィルムにしようかとネットを探せば、いまや眼が飛び出るほどに高価であって、年金生活者には無理・・と、必然、また防湿庫でお眠りいただく運命に。

いま使用しているコンデジ「キヤノンG3Ⅹ」くんの調子が最近思わしくないので、次世代のコンデジをネットで探し始めたら、ひょんなことで「買取」コーナーに目が行き、あの時代遅れのフィルムカメラたちをいまでも買ってくれるのか調べたら、あまり使わずに目立った傷のない35mの「ニコンFM2/T」や中判の「富士GSW690Ⅲ」などは、条件がよければ〇万円で買ってくれそうなことが分かったので、重たいレンズで今はほとんど使わない「ニコン80-200ズームレンズ」といっしょに買取を申し込むこととした。新しいコンデジ購入の少しでも足しになってくれればありがたい。

宅配便は送料業者負担ということで、ネットで申し込んだら、二、三日でに梱包材が入った段ボールが送られてきて、その手回しの良さには、地方在住者にとってありがたいの一言だ。

たとえ「査定結果希望価格の〇%減の〇万円となります」と値を下げられても、ただ眠っていたのでは1円の価値がないのであるから、「・・・・わかりました。それでお願いします」と返事をするつもりだ。査定を断って彼らが帰ってくると送料当方負担という条件も「痛い」。

これまで売ろうなんて気がなく、残念だがやがて家庭ごみとなるのかと嘆いたのであるから少しでも値が付けばいいか。あわよくば、この送り出したカメラやレンズたちががどこかの誰かによって、また命を吹き込んでいただけたらなによりだ。

防湿庫には、まだ「ニコンF3」くんはじめフィルムカメラが2台あるが、これらは使い込んだので愛着があり、生涯手元に残して時々触って往時を顧みよう。

 

       

 

 

 

 

 

 

 


日本百名山MYSONG  18 蔵王山

【深田百名山を読んで】

(日本百名山から抜粋)

「(前略)

もし最高点を盟主とするならば、それは熊野岳であって、その細長い頂の一端に、斎藤茂吉の歌碑が立っている。

陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳えたまふ  

 蔵王の山の雲の中に立つ

(中略)

私が初めて蔵王に行ったのは、そこの樹氷がようやく世に聞こえだした頃で、高湯温泉から上には、旧山形高校のコ―ボルト・ヒュッテがあるだけだった。その後、毎冬のようにスキーに出かけたが、戦後はその繁盛ぶりに怖れをなしてまだ一度も行かない。

(中略)

戦後蔵王はスキーヤーのメッカとなった。交通の便がよくなり、リフトやケーブルカーが架けられ、山小屋は随所に立った。高湯は蔵王温泉と改められ、村の名前も、奥羽本線の金井駅まで、「蔵王」に変えられてしまった。山形側のこの繁栄ぶりを宮城側も見過ごすはずはなく、いろいろな便利な施設を進めている。近年刈田岳のすぐ近くを経て、宮城と山形をつなぐバス道路も開かれて、何の苦労もなく御釜見物もできるようになったが、それだけ魅力も少なくなった。」

 

   高湯より 樹氷の峰へ歩みゆけば ヒュッテぽつんと 昭和のゆかし

 

【深田百名山登頂の思い出から抜粋】

 

「ふるさとの山で百名山の中では一番多くあちこちのルートを歩いているが、学生時代は深田イズムにはまっていて頂上近くまで山岳道路やロープウェイが伸びている山を「大衆登山の山」として忌避していたので、昭和52年(1977年)に一度最高峰熊野岳やお釜のある刈田岳に登っただけ。

(中略)

現在は、「蔵王古道」という信仰の道をたどって宮城側の遠刈田(とうがった)温泉からや山形側の宝沢(ほうさわ)集落から山頂に向かって、宮城側なら蔵王温泉に下り、山形側なら遠刈田に下って、それぞれの湯をいただくという企画で蔵王山と向き合っている。蔵王権現様を心に抱きながら、体力が尽きるまでの年中行事としていきたい。」

     仙山の 有志の木霊 響き合ひ 蔵王の古道 雪解に現る

 

   

         船形山頂から蔵王連峰を眺める 2019.5.25

 

 

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亡失の季節

2022-11-17 20:01:31 | 日記

今月のはじめ、主たる年金の振込先となっている金融機関のキャッシュカードを亡くしていることに気づいた。

あわてて、その金融機関に連絡したら、さいわい二週間前に振り込まれた年金等の残高は、「無傷」であることを確認し、カードを止めてもらい、再発行の手続きを依頼した。

その金融機関は、なぜか、もう暮らすことはないだろうに、いまだ沖縄に本店がある。

書類での手続きとなったので、1週間後、再発行申請書を送ろうと、近所のコンビニで運転免許証の裏表コピーをおこない封筒に同封した。

数日後、最寄りの警察署より封書が届いた。「あなたの運転免許証が落としものとして届けられています。身分証明書を持参して受け取りにおいでください。」との内容。

「ああ、そうかコンビニのコピー機に置き忘れしてしまったのか」、手持ちのウォレットを確認して実際運転免許証がないことに気づいた。

そんな、いろいろなことがあって、おとつい運転免許証を受け取り、コンビニにお礼もしたし、本日、やっとあたらしいキャッシュカードも届いて、日常に戻った。

落とし物、忘れ物が年を増すごとに増えてきたような気がする。(このような意識は、いまだ認知症ではないことを証明する。)

いまや、ほとんどの買い物や決済はスマホだけで可能である。

キャッシュカードやクレジットカード、不必要な現金などは、持ち歩かない方がいいと学習した。

だが、そのスマホ自体を落としたら・・・?(スマホはいつも、フック付きストラップにつないで衣類に固着させているのだが、完ぺきではないだろう。)

 

旅に出る時に限って「何を持っていくか」考えようぜ。

 

 

    

 

 

 

 

    

    片平キャンパスの大銀杏の樹下は黄色の海だ。カロテノイドの海とも・・・(スマホ撮影)

 


日本百名山MYSONG」  17 朝日岳

【深田百名山を読んで】

(抜粋)

「その後私は三十四年ぶりで大朝日岳に登った。(中略)頂上に立ったが霧のため全く眺めはなかった。三十四年前には、一点の雲もない快晴で、完全無欠の日の出を拝した。そして大朝日のピラミッドの影が日本海に大きく倒れているのを眺めて、ひどく感激したものであった。

山形の生んだ歌人結城哀草果氏は、年六十になって大朝日岳に登り、左のような規模闊達な歌を残している。

  奥羽山脈に接して太平洋に出る日の

   荘厳をわが生涯の奢りとぞする

 

  太平洋に日は昇りつつ朝日岳の

   大きな影日本海のうへにさだまる

 

私は実際を見ているから、これらの歌に特に共感できるのである。」

 

大朝日の山上で太平洋から昇る日を眺められるということか。いま深田さんを読んではじめて気づいた。何月に朝日に登れば「太平洋から昇って日本海に沈む」事実を確認できるのだろうか。そうしたチャンスをめざして再訪しようか。

 

ひむがしの 海より出づる日はにしの 海に入りけり 朝日の連嶺

 

深田百名山登頂の思い出から抜粋

「今は、稜線上のテント禁止となった朝日連峰、昨年秋、コロナの心配があるものの、そのせいで空いてそうな山小屋を経由してしばらくぶりに学生時代に歩いたコースをたどろうと朝日鉱泉に予約を入れようとしたが、季節運行のバスが終わっていた。今年の秋ころから、また小屋は混みだすのだろう。思い出登山の日はやってくるのだろうか。大朝日岳近くの草むらに、45年前のトマトジュースのカンカラがまだ錆びて埋もれているだろうか。」

 

雪渓に 隠れたジュースのカンカラは 夢みているか 草紅葉揺れ

 

   

         船形山頂より朝日連峰を望む  2019.5.25

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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5回目のワクチン やはり副反応

2022-11-16 14:49:07 | 日記

昨日オミクロン株対応のワクチンを接種。5回目となる。チェックを受けた医師と思われる女性に「何か聞きたいことありますか」と問われたので、「こないだ人が死んだが、アナフィラキシー対策は大丈夫ですか」と聞いたら、「大丈夫です!、しっかりと準備しました!」と自信ありそうに答えた。あの事件があって慌てて対策を強化したのだろうか。

最終チェックで、担当者に「私の記録で、昨年6月に打った1回目と7月の2回目が1か月しか間がないなんてなんかの間違いではないんですか」と聞いたら「あの、すみません、おかしいですね係の人呼んできます!」ということ。別の女性がやってきて「おかしいですね、仙台市に問い合わせてみます」と、3~4分は待たせられたろうか。

そして「あのぉ、たしかモデルナのワクチンは最初の接種から4週間後にまた打つとういうことになっていたようだとか・・」

「あ、そうか、そうだった、なあんだ、もう忘れていたか、そんなこと。すみませんお騒がせしました。」

2回目以降、次期接種まで5か月だ、いや3か月でいい、なんて騒がれていたせいもあってか、わずか1年前の話なのに、オイラも、係の人も忘れていたのだ。

ああ、情けない・・・

 

その晩から、例のとおり副作用。37.6度の発熱。倦怠感。めずらしく酒を抜いて布団に収まる。

24時間経過した、いま何とか熱も下がって平常に戻りつつある。

ああ、6回目も、7回目もあるのかな・・・有料化したらもういかないよ。

もう青葉山のモミジ終わったかしら・・ 明日は晴れかな。

 


日本百名山MYSONG  16 月山

深田百名山を読んで】

(日本百名山から抜粋)

「 雲の峰いくつ崩れて月の山  芭蕉

(中略)

月山の名の起こりは、半輪の月の形からではなく、その山を仰ぐ平野の人々が彼等の最も尊敬している農業の神、月読尊(つきよみのみこと)を祀ったからである。しかし、その心の底には、やはり月のように優しい山という感じがあったに相違ない。」

 

蕉翁の 歩みし出羽の三山(みつやま)を 昭和悲しも バスにて急ぐ

 

深田日本百名山登頂の思い出から抜粋

お月見登山は月山でいいのかな。中秋に限らず夏から秋にかけて満月となる日に、毎年月山に出かけるライフスタイルを考えたい。この場所なら、最も間近に星になったヒトビトに出会えるだろう。

 

    月の山 笹敷き篠を枕とし 酒くみかはそ 星たびびとと

 

* 笹の葉っぱがササ、笹の竹部分がシノということか。竹をいくつも重ねるとなるほど枕になりそうだ。芭蕉さんたちが月山山頂でやった風に、身を横たえようか。

 

 

     

            面白山から雪を抱いた月山を臨む  2019.11.25

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海から登る山 SEA TO SUMMIT

2022-11-15 19:15:48 | 日記

50年以上にわたる山歩き人生の中で、百名山を海抜ゼロ米から山頂を目指したのは、利尻山と富士山だけかもしれない。開聞岳は、海ぎわの山であるが、車で登山口まで行ったのでちがう。

海抜ゼロ米の海から山頂までめざすことを、「SEA TO SUMMIT」というのだそうだ。

先日、七大陸の最高峰の「SEA TO SUMMIT」にチャレンジしている登山家のことをBSでやっていた(すみません名前忘れました)が、そんな途方もないことは彼らに任せておいて、日本では、富士山はともかくとして、島の山なら屋久島宮之浦岳と利尻、海近くの山だったら開聞岳と鳥海山ぐらいで、実行するのはそんなにむつかしいことではない。屋久島と鳥海は、これからやってみたい。海岸で小さなボトルに海の水を汲んでいき、山頂でそれを撒くという、神事みたいなことをやってみたい。

MY SONGを詠うため、あらためて深田さんの百名山を読んでいたら、深田さんは、鳥海山初登のころ、まだ麓にバスが走っていなかったので、吹浦の海岸から登ったとあることを思い出した。「深田百名山登頂の思い出」でオイラもそれにならうことを期していた。

深田んさんは4月にスキーを持参して登ったとあるので、いまの吹浦登山口である大平山荘あたりからは、春の雪をスキーで踏んでいったのだろう。それはできないとして、できるだけ早めに、できれば来シーズン、吹浦の海岸から鳥海をめざそう。吹浦から今の鳥海ブルーラインを通り、吹浦口から山頂を目指すコースは、この吹浦にある鳥海山大物忌神社(ちょうかいざんおおものいみじんじゃ)の参拝道にもなっていて吹浦の集落にその神社があり、登山口に中社、山頂に本社が祀られているのでこの古式ゆかしい道を歩かないわけには行かない。

だが、深田さんは信仰というよりも、「まだ登山バスが開通していなかったので、やむをえない」という事情で吹浦駅のある海抜ゼロ地帯から登ったということで、、その後開通した登山バスは、いつごろからだろうか、マイカーの普及で今は運行されなくなっていて、このオイラも実は「もう登山バスが運行されなのでやむをえない」という、結論として福田さんと共通する事情で海抜ゼロを選択するもので、「参詣=神事」は、とってつけたきれいごとの理由なのかもしれない。

とにかく、そうだな、七月か八月の残雪とお花の時期、まず寒さを気にせず眠れる砂浜で仮眠して暗いうちに単調なブルーラインを登り、夜明けごろいまの登山口から山頂をめざし、途中、鳥海のやまふところの小屋も利用しながら、花や星をウォッチしながら、のんびり上をめざそう。じつは神社が営む御浜や山頂の小屋を利用したことはなく、下山口に使いたい湯の台コースには滝ノ小屋という魅力的な小屋もある。コロナも収まっているなら、ぜひ利用してみよう。

 

数少ない「SEA TO SUMMIT」山。貴重な存在だ。どんな風景が待っているだろうか。

 

鳥海山大物忌神社

 


日本百名山MAYSONG  15 鳥海山(ちょうかいざん)

【深田百名山を読んで】

(日本百名山から抜粋)

「標高は東北の最高峰とはいえ、わが国の中部へもってくると、決してその高さを誇るわけには行かぬ。しかしその高さは海ぎわから盛り上がっている。山の裾は海に没している。つまりわれわれは、その足元から直ちに二二四〇米を仰ぐのであるから、これは信州で日本アルプスを仰ぐのに劣らない、

 

ここにして浪の上なるみちのくの鳥海山はさやけき山ぞ   斎藤茂吉

 

初めて私が鳥海に登ったのは、その海ぎわの吹浦(ふくら)という漁村からであった。『奥の細道』の中の「吹浦の砂磧」に出てくる涯てしのない砂浜を見てから登山にかかった。今は山腹までバスがあるが、そのころにはまだそんな広い道がなく。私は海抜ゼロ米から足を踏みださねばならなかった。」

 

鳥海のバスなきころの幸として 涯なき浜より細道を行く

 

深田百名山登頂の思い出から抜粋

コロナが収まったら、山頂の小屋をはじめ、山上の小屋を繋いで、じっくりとこの山の魅力を味わいたい。もう登山口にバスが走っていないが、富士のゼロ合目からのぼる感覚で海岸沿いの駅からスタートしてみよう。深田さんが最初に登った時のように吹浦海岸の砂浜を眺めてから。

バス走り バス途絶えたる吹浦浜 涯てなき砂ふみ 鳥海に行かむ

 

   

              船形山頂から五月の鳥海

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秋飯 きのこごはん第2弾

2022-11-13 18:48:20 | 日記

エリンギとヒラダケ、あたらしいキノコメンバーをメインに秋飯としてのキノコごはんをメスティンで作ってみた。

マイタケ、エノキ、ニンジン、ショウガ、アブラゲは前回同様のメンバー。

YouTubeで「リュウジのバスレシピ」を参考に、炊く前にキノコ類を塩一つまみをふって油で軽く炒めてみた。

また、前回の塩だれのかわりに、しょうゆだれ100円缶詰、塩昆布ひとつまみ、酒、みりん、白だし、しょうゆ大さじ1杯程度を加えた。

前回以上においしいキノコごはんができた。なんといってもエリンギとヒラダケのショキショキとした食感がいい。

エリンギは、まるで蒸アワビだ。

もう1本太いエリンギが残っているので、明日また作ろう。バズレシピのように、焼き鳥といった肉を入れんでも、キノコだけで十分だろう。

今日はおこげを期待してアルコール量を増やしたが、酒などの調味料を入れたら水分が増えたみたいで、うまかったが、おこげはできなかった。

そうだ、あしたは締めとして土鍋で焚いてみよう。ガスで焚いて、匂いでおこげを感じられたら火を止めよう。

秋深まる。

 

    

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本百名山MYSONG  14 早池峰

【深田百名山を読んで】

(日本百名山抜粋)

「早池峰は東北では鳥海、岩手、月山につぐ高峰でありながら、案外世に知られていないのは、僻遠の地にあるためだろう。早池峰という響きのいい名前で、この山は早くから私の胸にありながら、その姿を撮った写真を見たことがなかった。盛岡の平野から遥かに見えないわけではないが、それは撮影にはあまりに遠すぎる。また山の近くまで来るとその全容を美しく捕らえることが出来ない。」

(深田さん!花巻方面から望む早池峰の姿はいいよ!)

 早池峰の 霧吹く風の岩陰に エーデルワイス 光り満ちをり

 

【MYSONG】

(深田百名山登頂の思い出から)

「人気の山なので、いつも登山者でにぎわっていたが、北側の門馬コースは、山岳会のTさんと登ったが、静かで味わいのあるコースだった記憶がある。

仙台に帰ってから残念ながら足が向いていないが、薬師岳や鶏頭山を繋いだコースで再び登ってみたいと思っている。」

 

花巻の賢治の丘に立つひとに 早池峰の巌 冬を知らせる

 

 

 

 

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