今朝のNHKR1「石丸謙二郎の山カフェ」に「温泉百名山」を上梓した温泉紀行ライターの飯出敏夫さんという方がゲスト出演していた。オイラも大の「山と温泉セット(+ビール)?」好みであるため、飯出さんのやさしそうなお声を聞きながら、飯出さんがどんな百名山を選んだのか気になった。深田さんの百名山とは、50座程度異なる山が選択されているという。まずご本を買って確認すべきだろうが、下記のようにネットに公開されているのでちらりと眺めたら、東北の温泉と山が30も選定されていてうれしかった。
オイラも数えてみたら、半分以上はその湯に浸かり、その山を歩いているが、この老い先、未湯、未踏の山に出かけようかと思っている。飯出さんは、1947年のお生まれとか、オイラよりずっと先輩だ。先輩の今の年齢までには、「温泉百名山」も完湯・完踏できそうである。
また、生き甲斐が増えそうだ。
日本百名山MYSONG 21 安達太良山
【深田百名山を読んで】
(日本百名山抜粋)
「二本松から眺めた安達太良山、それを歌った高村光太郎の詩が、この山の名を不朽にした。(中略)
智恵子は東京に空がないという、
ほんとうの空が見たいという。
・・・・・・・・・・・・・
智恵子は遠くを見ながら言うふ。
阿多多羅山の上に
毎日出ている空が
智恵子のほんとの空だと言ふ。
そしてこの詩人夫妻が二本松の裏山の崖に腰を下ろして、パノラマのような見晴らしを眺めた時の絶唱「樹下の二人」の一部に、
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
・・・・・・・・・・
ここはあなたの生まれたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒蔵。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡った北国の木の香に満ちた空気を吸はう。
・・・・・・・・・・
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
この詩と同様「ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡っ」ている秋の末、私もその丘へ上ってみた。そしてそこから、ようやく雲の取れた安達太良山を眺めた。それは代赭色に枯れた広い丘陵の起伏の彼方にあった。それは一つの独立峰の形ではなしに、いくつかの峰の連なりの姿で立っていた。(中略)
山へ登る前にその山を望見するのは、登頂を終えて振り返ると同様、心ときめくものである。」
少し長い引用だったが、深田さんのロマンあふれる一面を見る思いだ。オイラは未だその丘に上っていない。また立寄り予定ポイントが増えた。
松風の 樹下のふたりの丘寄るや 阿多多羅のそら 青ふかみゆくかも
【深田日本百名山登頂の思い出・全文再掲】
安達太良山に最初に登ったのはいつだったか。光太郎さんの「智恵子抄」の「ほんとうの空」が念頭にあったので、昭和50年代初め(1975年ごろ)には、塩沢温泉ルートから登っていると思う。くろがね小屋でもテント泊でも記憶がないから日帰りで登ったのだと思う。
その後90年代に、三脚担いで勢至平ルートからウラジロヨウラクなどの花の写真を撮りに行った記憶。
2000年代に、トレラン練習を兼ねて、東北本線杉田駅から表登山道という長いルートで山頂を目指し、岳温泉に走って下った記憶。
2015年に、安達太良トレイルというイベントに参加し、完走こそできなかったが奥岳~山頂~和尚山~銚子大滝~船明神山~沼尻登山口~胎内岩~笹平~塩沢温泉(ここで制限)と、安達太良の魅力を存分に味わった記憶。
2019年、塩沢温泉ルート経由で初めてくろがね温泉に宿泊し、湯を楽しみ、勢至平のレンゲツツジを撮った記憶。
‥など、走馬灯のように安達太良の記憶が脳内を回転している。
来週には、吾妻小舎のオヤジさんが縦走コースの起点である野地温泉まで浄土平から送ってくれるという。
晴れて、紅葉真っ盛りの安達太良の秋,、2021年の安達太良の記憶をまた脳内チップに埋め込もう。
阿多多羅の勢至平の花の名を裏白瓔珞(うらじろようらく)と知りし霧の日
安達太良山頂の空が、ほんとうの空だ。