街路樹が色づき始めた10月最後の日曜日、いまは「奥州市」という名の街になった水沢の文化会館で映画
「愁いの王-宮澤賢治ー」を鑑賞する。賢治さんの来歴と思想に忠実であろうとしながら、詩的に作り上げられた二部構成3時間18分の超大作。
キャスト・スタッフは岩手県民、岩手の言葉、台詞は字幕、モノクローム、音楽はバッハという盛岡在住の吉田重満監督のこだわり満載という触れ込みだったので、「暗く、退屈で前衛的ゆえに眠りを誘う」のではないかとの危惧をもって見始めたが、3時間という時間は、迫真に迫り、ある種の緊張を覚えながら瞬く間に過ぎた。
賢治さんの人生そのものが良質な「物語」なので、どんなに前衛的手法を凝らしても年譜と作品に忠実であれば、鑑賞者を賢治ワールドに引き込んで虜にしてしまうのだろう。(オイラは、賢治さんの最高傑作が「年譜」だと確信している。)
この作品は、生涯独身で逝った賢治さんを取り巻く「女性」として、妹の宮澤トシ、羅須地人協会の高瀬露(つゆ)、伊豆大島の伊藤チエを登場させ、賢治さんの最後の思いのひととして、伊藤チエにスポットライトを当てているが、これがファクトかファンタジーか、少し気になった。調べてみよう。
秋のたそがれ、会場を後に水沢駅に歩きながら、
賢治さんの年譜と作品をもっと読もう、
賢治さんと父親の確執となった法華経と浄土真宗をもっと知ろう、
賢治さんの経筒が眠る「経埋ムベキ山」をもっと歩こう。
という気になった。吉田監督いい作品をありがとう。
深田百名山の歌
9 後方羊蹄山(しりべしやま)
【深田百名山から】
この山を単に羊蹄山(ようていざん)と略して読むことに私は強く反対する。
羊蹄(ようてい)と呼ぶなと語気を強めらる後方羊蹄(しりべし)今日雪に染まりし
【MAYSONG】
記憶と記録が乏しいが、深田さんと同じように比羅夫側の俱知安コースを登ったのだろう。なぜ、記憶が乏しいかといえば、深田さんと同じようにただ登り一方で単調だったこと、山頂付近がガスっていて何も見えなかったことなのかもしれない。山頂火口を1周した記憶もあいまいなので情けない。
眺めて美しいコニーデの山は、富士山も含めて若い時はあまり魅力を感じていなかったかもしれない。が、このような単調な登り一方の山は、忙しい日帰りではなく、山頂避難小屋に泊まって、じっくりと山の霊気を感じ、朝晩の光の織りなす光景を目の当たりにすれば、まったくちがった感動を味わえたのかもしれない。(2021.9.14ブログより 抜粋)
樺の枝を掴み登りし後方羊蹄(しりべし)の霧のカルデラ歩み速めつ
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