夕べは、ひさびさの「やけ酒家飲み」で目覚めたら毎朝聴いているNHKFM「古楽の楽しみ」や「中学生の基礎英語」の時刻は過ぎていた。
それだけサッカー日本の敗戦は、心を痛くした。
数日前のドイツ戦の勝利で体感した、なにか遠い時代のニホン人と共通するような国民的高揚感が一気に奈落の底に蹴落とされたような気分だ。
こういう気分を、「愛国心」と呼ぶのだろうか。
この高揚感は、もしかしたらマスコミによって煽られたものかもしれない。あの時代と同じように。
ドイツに勝ってから、毎日、「モーニングショー」、「ひるおび」、「ミヤネ屋」などの番組の大騒ぎを見続けたものだから、あたかも町のスポーツバーやパブリックビューイングで歓呼するニホンジンと同調させられたのかもしれない。
その反動は大きく、今朝はニュースやワイドショーは、どの放送局でも「敗戦報道」をやっていたので、見たくもないからすぐにTVを消した。冷静に敗因を分析するという気にはまったくなれない。
すごく落ち込んでいるが、これは報道によってつくられた「にせもの」感覚だと意識して、NHKFM「(かける)クラシック」聞き逃し版を聴きながら、奈落から這い上がろうぜ。
次の日曜は、この番組の公開放送があるので、山形に行こう。蕎麦を食べて、いい湯に入り、いい気になって帰ってこよう。そのころには、もう「森保ジャパン」のこと忘れているだろう。(非国民)
日本百名山MYSONG 22 磐梯山
【深田百名山を読んで】
(日本百名山抜粋)
「明治二十一年(1888年)七月十五日の朝、磐梯山は大爆発をした。(中略)爆発箇所は、主峰の北にあった小磐梯山で、その山形は吹っ飛び、溶岩は北に向かった。桧原村の部落はその下に埋没し、死傷五百余人、(中略)山北数理の地は変じて高原となり、川が堰かれて幾つかの湖を生じた。そのため今までに顧みられなかった土地が裏磐梯という名称をもった観光地となり、国立公園に数えられるほど著名になった。(中略)磐梯山は表から見たのと裏側から見たものとは、大変趣が違う。(中略)景色の感覚にも時代の感覚のようなものがあって、シンメトリーよりむしろデフォルメを好む傾向を近代的とすれば、たしかに磐梯山の表よりも裏にそれがある。」
村びとは 眠りけるかも みずうみの 底にて夢見 磐梯(いわはし)のゆめ
【深田日本百名山登頂の思い出から抜粋】
「深田さんが書いているように、磐梯山の山容は、表の猪苗代側から見るのと、明治の大噴火で様相が一変した裏磐梯側から見る磐梯山は、まったく姿かたちが異なっていて、表がシンメトリーで、裏がデフォルメされた磐梯山。
なんたって、地球の力を感じる荒々しさと再生していく森の中を行くデフォルメされた裏側の風景がいいに決まっている。表からのシンメトリーは、たしかに会津富士の名にふさわしい、秀麗なスタイルではあるが、スキー場開発の爪痕が生々しく、鉄道の窓から眺めるたびに心が痛むのはオイラだけだろうか。
新緑の季節か、錦秋の頃合い、いずれ裏磐梯のキャンプ地を転々としたいが、その日数の中の1日、またオイラは弘法清水に立ち寄って冷たい水をゴボゴボといただいてから磐梯山頂にたつのであろう。」
磐梯を過ぎる列車の窓辺より山の哀しみ幻に聴く
磐越西線の車窓からの磐梯山を絵画風にアレンジ
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