三好達治の詩集「駱駝の瘤にまたがって」に「冬のもてこし」という詩がある。オイラは、この詩を歌で知った。CD鮫島有美子「日本の歌~からたちの花」の冒頭の歌である。作曲者は、鵜崎庚一。短かくて、瞬く間に消え入る蜻蛉のような歌ではあるが、オイラの「早春賦」として、この季節、耳の奥でリフレインしている。大げさに表現すれば「宇宙事象のつながり」、冬~春、海~砂、風~帆、男~女、ということであろうか。
冬のもてこし
冬のもてこし
春だから
この若艸(くさ)に
坐りませう
海のもてこし
砂だから
砂にはをどる
松林
無限の時が
来て泊(は)てる
岬のかげの
入り江です
風のもてこし
帆が二つ
帆綱ゆるめて
はたと落つ
それらのものの
ひとつです
さらばわれらの
語らひも
この「もてこし」という言葉の意味することは、「運んでくるおみやげのようなもの」と文脈から分かるのだが、多くの今の日本人はすぐには検索できない言葉で、オイラも最近俳句の「文語文法」を読みながら、やっと分かりかけたということか。
この詩全体が、文語で描かれているのだから、「もてこし」も文語なのである。
もてこしは、複合動詞の「持て来」(もてく)、これに過去を表す助動詞「き」の連体形(名詞なんかにくっつく活用)「し」が接続しているようだ。
冬の持ってきた「春」という名詞につながるからである。
「持てく」の連用形は、「持てき」。「し」という助動詞には、動詞の連用形が接続する。。
であれば、「もてきし」となるはずであるが。
文語文法も複雑で、辞書を引くと、助動詞「き」がカ変動詞(か行変格活用のことで来(く)しかない。)につながるときは、動詞の未然形につながる、とある。
複合動詞「持て来」もカ変動詞である。なので、「持て来」の未然形は、「もてこ」となる。
「冬の持て来し」は、「冬のもてこし」と読み、現代語では、「冬が持ってきた」、ということになる。
めでたし、めでたし、ああ、すっきりした。
それにしても、自由に文語を操れた三好さんの偉業に感服し、文語のリズムと切れのよさが、短ければ短いほど、広大な宇宙を感じさ
せ、いい歌を生むということが、分かりかけてきた。
朝4時過ぎ、11.5日の月が、オレンジに燃えて、西の地平に沈んでいった。
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