若き日に読んでいた深田久弥「日本百名山」の目次に、その山に登った年月がメモ書きしてあったが、それを事実だとすれば、オイラは昭和52年7月に南アルプス南部の「悪沢岳」に登り、昭和55年8月に「聖岳」~「赤石岳」~「悪沢岳」を歩いたことになっている。
オイラは当時、たしか40リットル程度のミレーの布製のザックを愛用していたが、南アルプスだと最低二泊から三泊の日数を要したので、当時持ち歩いていた一眼レフカメラやテント、それに食料や衣類などはザックにすべて収納できないとの理由からか、当時あまり珍しいスタイルではなかったが、背負子にザックと食料を入れた一斗缶(と言っても知らない年齢の方もいるだろうが)をゴムバンドに括り付けて登っていた。
そして、当時南アルプス南部に行くのは、山梨県の身延方面からバスで行って、「伝付峠・でんつくとうげ」という2000m程度の峠越えをして、登山口の二軒小屋に下る手法がまだ主流だった。(今は、静岡側から椹島経由で二軒小屋に入るのが当たり前)
微かな記憶と上の記録をもとにすれば、昭和52年7月に悪沢岳を登ったコースは、この背負子スタイルによる伝付峠越えだったのではなかろうか。
今の山梨からの伝付峠越えは、台風等でだいぶ荒れ果てているようだが、そのころは、ただただ1日がかりの長丁場だったという印象しか残っておらず、帰りにまたその峠を越えて帰ったのか、そこの記憶はっきりしない。
いずれにせよ、深田信者であったオイラは、北アルプス登山者のスマートさに理由のない反感を抱き、深田さんの言葉を借りれば、のっしのっしと牛のように歩く鈍重で野暮ったい南アルプス信者を気取っていたのだろう。
「信者」というものは、いつの世でも間抜けな輩なのである。
伝付峠展望台から南部の山並み
かぜねこ三百名山未踏峰・空想(共有)登山
笊ヶ岳(ざるがたけ)・2629m・日本二百名山(№174)
笊ヶ岳のことは、深田久弥さんの「わが愛する山」所収の愉快なエッセイでかなり前から知っていたし、トレランをやっていた元気なころに、赤石や聖をもう一度あるいて、その「ついで」に登ってみようかと、まじめに考えていた時期があったが、今youtuberさんらの動画を拝見したら、とてもとてもそんな「ついで」で登るようなコースでないことを自覚したし、山頂から南部の高峰や富士山の絶好の展望地であることも分かったので、とても「ついでの山」ではないことを、今となっては自覚反省している。ルートの困難性から、もう登れない南アルプス南部の名山かなとあきらめかけていたが、グレートトラバース3の「笊ヶ岳」の録画をもう一度見ていたら83歳の女性が三百名山にあと残り4つだといいながら笊を登っていた。鞭を打たれたようおのれの弱気を恥じた。
「登山のYoutuberりょーじ」さん提供
(難ルートの歩き方)を徹底解説‼︎グレーディング7D笊ヶ岳を登りながら「安全に楽に登るコツ」をご紹介
老平登山口~山頂ピストン
徹底的に丁寧なルート解説、登山教本的動画です。山頂からの展望最高でした。
「ま横」さん提供
【登山】日本二百名山に登ってみた65 笊ヶ岳編 (椹島~山頂ピストン )
こっちのコースもきつそうですね。あいかわらず丁寧な山座同定ありがとうございました。