鎌倉ガイド協会 の史跡めぐり「山ノ内の名刹を訪ね、鎌倉古道
“中の道“を歩く」に参加した。
まず、北鎌倉駅から浄智寺へ。総門に「賽所在近」(さいしょざいきん)
と書かれた額が掲げられるている。「幸せは近いところにある」仏を
信じ修行を積めば「心の平穏」「幸せな生活」が得られる。つまり
自分の近くに宝を得られる場所(寺)があるということらしい。
次は東慶寺。井上正道師の法話をうかがった。また、普段は公開して
いない「水月観音像」を拝観できました。像高34cm 全長54.5cm
寄木造り 玉眼入り。水辺に座して水面に映る月を眺める姿は柔和で
慈悲深く、私たちの苦悩のすべてを包み込んでくださるようです。
光照寺、そして中の道を歩き、成福寺、厳島神社、常楽寺も拝観した。
左 : 浄智寺 中 : 東慶寺山門の紅葉 右 : 成福寺
近代の鎌倉は、明治時代に保養地、海水浴場に最適の地として全国に
紹介され、横須賀線や江ノ電の開通と共に、著名人が多く訪れ、別荘地
としても発展してきた。そこで今回は、その名残をとどめる大正時代から
昭和初期の高級邸宅を鑑賞してきました。
古我邸(旧 荘清次郎)は鎌倉3大洋館の一つといわれ、三菱銀行の重役
だった荘清次郎の別荘として大正5年に建築され、その後、浜口雄幸や
近衛文麿ら政治家が使用していたものです。
大きな張り出し窓が特徴で、西洋の前庭と一体となって、英国にでも
来たような雰囲気になります。
石川邸(旧 里見弴邸)は関東大震災のあと大正15年に里見弴が建てた
洋館です。震災でも壊れなかった帝国ホテルをまねて頑丈な洋館にした。
この母屋の奥の和室は昭和4年に増築したもので、本館とは廊下で
つながっている。まるで出窓のようにガラス戸が張りめぐされている
ようで、軒の水平線と山の稜線の具合を考え高床式建物で窓の高さを
決めている。里見は酒を飲みながら、ひとり窓をながめていたという。
ホテルニューカマクラ、レザンジュ本店、村上邸、旧華頂宮邸も鑑賞した。
左 : 古我邸 中 : 石川邸 右 : 旧華頂宮邸
今回の史跡めぐりは、鎌倉駅からバスで十二所神社まで行き、晩秋の
朝夷奈切通から 金沢・六浦への古道を歩いた。
梶原景時が上総介広常を討ち太刀を洗った所、今もかなりの水が流れ
ている。さらに山へ入る、朝比奈三郎(和田義盛の三男)が一夜で拓いた
という伝説のある朝夷奈切通で、主に六浦の湊に陸揚げした物資を鎌倉
に搬入するのに利用したかなり広い切通である。
途中、右に曲がり杉林を15分行くと熊野神社だ。頼朝が幕府の鬼門に
守護神として勧請したという。あたりは鬱蒼としている。
1時間半程の山道歩きでしたが静で気持ちが落ち着く、夏はさらに快適だ
とおもう。切通を下ると環状4号線に出る。
このあと、上行寺、瀬戸神社、龍華寺、称名寺を拝観した。
左 : 熊野神社 中 : 朝夷奈切通 右 : 称名寺