鎌倉国宝館にて特別展「鎌倉×密教」展が開催されている。
小田原・宝金剛寺蔵の大智挙印を結ぶ大日如来坐像は40㎝弱の小さな
像で宝冠はないが、体躯は均衡が良く、面貌も整って素晴らしい。
最近、各会場で愛染明王の展示会が多いが、五島美術館蔵の愛染明王
坐像も印象的だ。
青蓮寺蔵の阿弥陀如来坐像や愛染明王坐像なども展示されている。
前回の展示会で拝観した巨福呂坂町内会の歓喜天像にまた会えた。
足利持氏の血書願文は自身の血を混ぜて書いた朱書である。血を
混ぜた朱書を見るのは初めてである。
浄光明寺へも行って見る。阿弥陀如来・両脇侍坐像が国立博物館へ
出張のため普段は非公開の愛染明王が拝観できた。ラッキー。
鎌倉ガイド協会の史跡めぐり、今回は源頼朝挙兵の地、石橋山古戦場
を訪れ、武家政権誕生のルーツを求めて、ここでしか味わえない海と
みかん畑の景色を楽しみながら、頼朝の身代わりで討死した、真田
(佐奈田)与一義忠を祀る、佐奈田霊社などを訪れ、頼朝の足跡を
たどりました。
JR東海道線を見下ろす急斜面、そのみかん畑一帯の小さな谷間が
ネジリ畑といわれ、ここは頼朝の先鋒佐奈田与一義忠が敵方俣野五郎
景久と組み打ちをして討ち死にした所である。
谷の東側、丘の上には与一を祀る佐奈田霊社が建ち、そこから100m
程離れた向かいの丘には主与一の死後、敵の中に斬り込んで討ち死に
した文三を祀る文三堂が石橋山の激戦を今に伝えています。
佐奈田霊社は与一が俣野景久と組み討ち中、「いずれが与一か」と味方
からの問いかけに「たん」が絡んで声が出ず、そうこうしているうちに、
敵に討たれてしまったという伝承に因んで「痰・咳・喘息止め」に効果
がある社といわれ、与一が俣野景久を組み伏せた畑の作物は、みなね
じれてしまうということから「ねじり畑」と名づけられているとか。(法話)
この後、紀伊神社、真福寺、早川観音、東善寺を拝観し早川駅で解散。
左 : 佐奈田霊社 中 : 文三堂 右 : 源頼朝挙兵之地