きまぐれ日記

散策での発見や孫の成長などをきまぐれに綴ります

中川一政展

2011-05-24 15:44:56 | アート・文化

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横浜高島屋ギャラリー[8階]で「没後20年 中川一政展

~独行此道(ひとりこのみちをいく)~」が開催されている。

駒ヶ岳、向日葵、薔薇、・・・どれも気迫に満ちた作品であり、

97歳で亡くなる直前まで創作へのエネルギーは衰えなかったという。

明治から平成にわたって独学で活動を続け、文化勲章をも受賞した、

洋画家・中川一政の作品を通じて、大きなパワーをいただいた。

 

 


特別展 總持寺名宝100選

2011-05-19 15:58:13 | インポート

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總持寺は、永平寺とならぶ曹洞宗大本山で、鎌倉時代の元享元年

(1321)道元禅師四世の法孫である瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)

禅師によって能登に開かれた。

その後、火災が遭ったのを機に明治44年(1911)横浜鶴見に

移転再建され、本年が百年にあたり、これを記念して、特別展 

總持寺名宝100選が神奈川県立歴史博物館で開かれている。

釈迦如来坐像は、珍しい降摩(ごうま)印である。

前田利家夫人像、貫禄があります。

美術工芸品として初の文化勲章を叙勲した香取秀真(かとりほつま)作

の蓮形香炉、すばらしい。

会場を出て、總持寺僧侶と記念撮影(お願いして)。僧侶の印相は

釈迦が菩提樹の下で深い瞑想に入った姿の、定印(じょういん)を

していました。


特別展 鎌倉の至宝

2011-05-17 16:57:14 | アート・文化

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鎌倉国宝館にて特別展 「鎌倉の至宝」が開催されている。

この「鎌倉の至宝」という特別展は、古都鎌倉の育んだ豊かな文化を

再認識して、年に一度開催される展覧会とのこと。

今回は、建長寺に伝わる中国元時代の「白衣観音図」が2カ年の修理を

経ての公開です。また、中国南宋時代で横須賀・青雲寺の「観音菩薩

座像」(通称滝見観音)や、これらの影響を受けて日本で造像された

という横浜・慶珊寺(けいさんじ)の「十一面観音菩薩坐像」が展示

されている。この「十一面・・・」は先日拝観した東慶寺の「水月

観音菩薩半跏像」に似ている。

これらの観音像は、椅子に座り足を組まない姿、「遊戯坐(ゆげざ)」

である。いずれの仏像もくつろいだ姿勢であり、観覧する側も実に

くつろぎ、リラックスできる。

観覧後、昼食は蕎麦屋でいっぱい。こちらも至福のひととき。

左から 特別展の案内、観音菩薩坐像、十一面観音菩薩坐像


三浦氏最後の本拠地油壺「新井城」をめぐる

2011-05-10 23:00:00 | 史跡めぐり

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久しぶりの史跡めぐり。天気は予報では雨、空を気にしながら

ガイドさんの説明も速くなる。

バスを降りて、三崎から小網代への古道「なもな坂」を通り、真光院へ

向う。相模国一円に勢力を伸ばしていた三浦道寸義同(よしあつ)は

この寺が新井城内にあったこともあって、深く帰依し、子義意(よし

おき)と共に一族の興隆を祈願したといわれる。阿弥陀如来像の左右

に道寸父子の衣冠束帯の肖像彫刻がある。

急な坂道を下り小網代湾の白髭神社を参拝。(アカテガニの産卵観察

で来たことがある)

新井城は相模湾に面した丘陵の上に築かれ、小網代湾と油壺湾に挟ま

れた自然の要害。地続きの平坦面の細くなった地点を堀きりで遮断し、

城内外を分け、そこに橋を設けた(内の引き橋)。敵に攻められた時は、

この橋を引き上げて防戦したという。北条早雲との戦いではこの堅個な

城も3年間の攻撃に耐えたが、1516年(永正13)三浦一族は油壺に

散り、三浦為通(ためみち)以来、450余年にわたる三浦半島を本拠地

とした雄族三浦氏の長い歴史の幕が降ろされた。

三浦道寸の墓と三浦荒次郎義意の墓を参詣し解散した。

写真 左から 白髭神社、荒井浜、三浦道寸の墓