總持寺は、永平寺とならぶ曹洞宗大本山で、鎌倉時代の元享元年
(1321)道元禅師四世の法孫である瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)
禅師によって能登に開かれた。
その後、火災が遭ったのを機に明治44年(1911)横浜鶴見に
移転再建され、本年が百年にあたり、これを記念して、特別展
總持寺名宝100選が神奈川県立歴史博物館で開かれている。
釈迦如来坐像は、珍しい降摩(ごうま)印である。
前田利家夫人像、貫禄があります。
美術工芸品として初の文化勲章を叙勲した香取秀真(かとりほつま)作
の蓮形香炉、すばらしい。
会場を出て、總持寺僧侶と記念撮影(お願いして)。僧侶の印相は
釈迦が菩提樹の下で深い瞑想に入った姿の、定印(じょういん)を
していました。
鎌倉国宝館にて特別展 「鎌倉の至宝」が開催されている。
この「鎌倉の至宝」という特別展は、古都鎌倉の育んだ豊かな文化を
再認識して、年に一度開催される展覧会とのこと。
今回は、建長寺に伝わる中国元時代の「白衣観音図」が2カ年の修理を
経ての公開です。また、中国南宋時代で横須賀・青雲寺の「観音菩薩
座像」(通称滝見観音)や、これらの影響を受けて日本で造像された
という横浜・慶珊寺(けいさんじ)の「十一面観音菩薩坐像」が展示
されている。この「十一面・・・」は先日拝観した東慶寺の「水月
観音菩薩半跏像」に似ている。
これらの観音像は、椅子に座り足を組まない姿、「遊戯坐(ゆげざ)」
である。いずれの仏像もくつろいだ姿勢であり、観覧する側も実に
くつろぎ、リラックスできる。
観覧後、昼食は蕎麦屋でいっぱい。こちらも至福のひととき。
左から 特別展の案内、観音菩薩坐像、十一面観音菩薩坐像
久しぶりの史跡めぐり。天気は予報では雨、空を気にしながら
ガイドさんの説明も速くなる。
バスを降りて、三崎から小網代への古道「なもな坂」を通り、真光院へ
向う。相模国一円に勢力を伸ばしていた三浦道寸義同(よしあつ)は
この寺が新井城内にあったこともあって、深く帰依し、子義意(よし
おき)と共に一族の興隆を祈願したといわれる。阿弥陀如来像の左右
に道寸父子の衣冠束帯の肖像彫刻がある。
急な坂道を下り小網代湾の白髭神社を参拝。(アカテガニの産卵観察
で来たことがある)
新井城は相模湾に面した丘陵の上に築かれ、小網代湾と油壺湾に挟ま
れた自然の要害。地続きの平坦面の細くなった地点を堀きりで遮断し、
城内外を分け、そこに橋を設けた(内の引き橋)。敵に攻められた時は、
この橋を引き上げて防戦したという。北条早雲との戦いではこの堅個な
城も3年間の攻撃に耐えたが、1516年(永正13)三浦一族は油壺に
散り、三浦為通(ためみち)以来、450余年にわたる三浦半島を本拠地
とした雄族三浦氏の長い歴史の幕が降ろされた。
三浦道寸の墓と三浦荒次郎義意の墓を参詣し解散した。
写真 左から 白髭神社、荒井浜、三浦道寸の墓