きまぐれ日記

散策での発見や孫の成長などをきまぐれに綴ります

早春の鎌倉散歩『十二所の里に梅を楽しむ』

2016-02-16 20:01:15 | 史跡めぐり
鎌倉ガイド協会の史跡めぐりに参加しました。
光触寺から十二所果樹園~東尾根道~明王院~浄妙寺まで梅を求めて歩きました。
光触寺は本堂前左に八重の紅梅、庫裡前の庭には細長い池に沿って築山から竹林前にかけて十数本、形のよい白梅・紅梅が植えられていて見ごろです。
十二所果樹園は梅の木の本数では鎌倉一をほこり、白梅の名所として知られているが現在二分咲きで見ごろはもう少し先のようである。
明王院の梅は本堂から観音堂横にかけて、白梅、紅梅、青軸など十数本ほどが植えられており、庫裡前には枝垂れ紅梅がみごとですが、境内撮影禁止。
浄妙寺では山門前に青軸、門を抜けた前庭に、白梅・紅梅・青軸があり、枝には、ウメノキゴケが着生し長寿の貫禄を感じる。

   
画像左から 光触寺、十二所果樹園、浄妙寺

おまけ
いずれも浄妙寺 左から 茶室喜泉庵前庭の白梅、マンサク、節分草

古都鎌倉にキリスト教会とホテルを訪ねる

2015-01-19 19:00:07 | 史跡めぐり
鎌倉ガイド協会の史跡めぐり「キリスト教会とホテルを訪ねる」に参加しました。
鎌倉駅西口に集合し予定時刻前に一班は出発、(今回は200名以上の参加者のようです)最初に「ハリス記念鎌倉教会」の特別拝観

       
建物は、大正15年(1926)にハリス記念鎌倉メソヂスト教会会堂として建てられた。正面のトレーサリーを伴った大きな尖頭アーチ窓など初期のゴシック的スタイルを持ち、戦前のプロテスタント教会会堂の代表例のひとつ。
若宮大路に向かって高くそびえ立つ正面の鐘塔は、由比ヶ浜界隈のランドマークとして重要な役割を果たしている。
聖堂内の祭壇上部にある三連尖頭形のステンドグラスが美しい。三連の中央に十字架と王冠、月桂樹のリース。左右のグラスには葡萄がデザインされている。


次は鎌倉唯一の純和風割烹旅館「かいひん荘鎌倉」の館内拝見
   
シンボルである洋館部分は大正13年(1924)富士製紙社長の村田一郎邸として建てられた。
戦後昭和27年(1952)旅館として開業、その後増改築を重ね現在に至る。
建物の特徴は二室からなる大きな洋館部が独立した洋館のような印象を与える。出窓(ベイ・ウインドウ)の多さと急勾配の切り妻屋根も特徴の一つである。
円弧状の出窓の上の丸い屋根が道行く人々のアイ・スポットとして親しまれる。


「カトリック由比ヶ浜教会」を特別拝観
   
カトリック由比ヶ浜教会は、大正2年(1913)にフランスのパリ外国宣教会によって当地に建てられた。
第二次世界大戦後、パリ外国宣教会に代わってアイルランド系のコロンバン会司牧、宣教に当たるようになる。
現在の聖堂は昭和61年(1954)に献堂されたもので、コロンバン会で使用するアイルランドの十字架である十字に丸のケルト十字架が聖堂の屋根の上に立っている。
由比ヶ浜通りから少し入った静かな住宅地に、ヨーロッパの田舎の教会を思わせるのどかな佇まいである。


「カトリック雪ノ下教会」拝観と拝聴
      
カトリック雪ノ下教会は、若宮大路に面した大きな教会。ここでは司祭様のお話と鎌倉唯一のパイプオルガン演奏を拝聴しました。

稲村ケ崎から長谷の寺社巡り

2014-09-30 20:56:58 | 史跡めぐり
三浦一族研究会主催の史跡めぐりに参加した。
NPO法人鎌倉考古学研究所理事の斉木先生が「遺跡が語るもう一つの鎌倉」と題し発掘調査から見た古代、中世の鎌倉にタイムスリップして案内してくださいました。
発掘調査はまだ1~3%で鎌倉全体が解明できるのはこの先長い時間が必要のようです。

       
    七里ヶ浜・江の島        極楽寺

       
 成就院と成就院から由比ヶ浜海岸・材木座海岸を望む

         
関東管領 上杉憲方墓      御霊神社

       
        長谷寺          甘縄神明神社


            高徳院の鎌倉大仏

ちょっと歩きすぎ、老いを感じる、疲れた。
でも、秋晴れで最高の史跡巡りでした。


日本武尊・弟橘媛命伝説地 走水から観音崎を巡る

2014-09-27 19:47:39 | 史跡めぐり
鎌倉ガイド協会主催の史跡めぐりに参加した。
京浜急行の馬堀海岸駅に集合し、蹄の井~走水水源地~御所ケ崎~覚栄寺~円照寺~走水神社~観音埼灯台の約6kmを歩く。

         
蹄の井  伝承によれば、上総の国に住む暴れ馬が村人に追われてこの地に泳ぎ着き疲れて寝入ったが、観音の夢を見て起き上がり蹄でけったら清水が湧き出した。その水を飲んでのどの渇きを癒すとたちまち駿馬に変わったという。競馬の馬主さんもお参りに来るそうです。


走水水源地  美味しい水をいただきました。


海に菅(すげ)の畳と皮の畳、絹の畳も八重に敷いて座り、毅然と沈んでいくと荒波も凪いだという走水の海。

「古事記」「日本書紀」によると日本武尊が景行天皇40年(110)蝦夷平定の途中ここから上総に渡ろうとしたが波が高く進むことができなかった。そのとき后の弟橘媛命が入水して海神の怒りを鎮めたので無事に渡海できたという。


荒れた海を鎮めるため、自ら入水した后の弟橘媛命。その七日後、姫の櫛が静かに海岸へ流れ着いたという。


              
走水神社  尊の冠を石ひつに納めて御神体として神社を建立した。明治になって弟橘媛命を合祀した。 裏山には、「古事記」に伝える媛命の「いまわしの歌」の碑が立っている。
走水神社氏子総代の角井さんのお話も大変勉強になりました。


これから観音崎に向かいます。遠くに観音埼灯台が見えます。

明月院・八雲神社参詣

2014-08-16 17:13:05 | 史跡めぐり

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16日は鎌倉円応寺の閻魔縁日、境内まで行ったが一般者は参加でき

ないと、断られる。事前に申し込みが必要のようです。

北鎌倉駅近辺の、明月院と八雲神社(山之内)を参詣する。

明月院はアジサイも終わり静な佇まいです。鎌倉十井の一つ

「瓶ノ井」や鎌倉市内で現存するやぐらでは最大の「明月院やぐ」

を拝観。

山ノ内の鎮守、八雲神社へはかなり遠回りをしたが境内にある

鎌倉最大最古の「石造庚申塔」を拝観することができた。

画像 左:明月院本堂  中:明月院やぐら  右:石造庚申塔


中世鎌倉の原風景をたどる

2014-03-11 16:37:21 | 史跡めぐり

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中世の鎌倉は、源頼朝の鎌倉幕府創設によって、奈良や京都とは

異なる鎌倉独自の武家文化が形成された。

その文化が後世に伝えられている現存する鎌倉時代の原風景である

「やぐら」「切通」「鎌倉大仏」の遺産めぐりをした。

画像 左 : 北条氏常磐亭跡(たちん台の「やぐら」)

    中 : 鎌倉の七切通の一つ 「大仏切通」

    右 : (阿弥陀三尊像)勢至菩薩・阿弥陀如来・観音菩薩


田浦の古刹を訪ね馥郁たる梅の香を満喫

2014-03-04 15:12:01 | 史跡めぐり

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JR田浦駅に集合し、景徳寺・馬頭観音・御嶽稲荷社・長善寺を拝観

し、かながわの花の名所100選に選ばれ、約2700本の梅が

咲き誇る、三浦半島随一の梅園「田浦梅の里」を散策し、

馥郁(ふくいく)たる梅の香を満喫した。

また、丘陵に位置する梅園からは東京湾が広がり、絶景を楽しむ。


招福祈願の鎌倉七福神巡り  

2014-01-10 16:42:05 | 史跡めぐり

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この冬一番の寒さ、天気は晴れ時々チラリと雪、鎌倉ガイド協会の

鎌倉七福神巡りに参加。JR北鎌倉駅を出発し、人間の七福を七神に

求めて、浄智寺(布袋尊)・鶴岡八幡宮(弁財天)・宝戒寺(毘沙門天)・

妙隆寺(寿老人)・本覚寺(夷尊神)・御霊神社(福禄寿)・長谷寺

(大黒天) の七福神を参詣した。ご利益は画像右参照。


緑陰の涼風を求めて六浦道をゆく

2013-08-19 19:38:02 | 史跡めぐり

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鎌倉ガイド協会の史跡めぐりに参加。鎌倉駅からバスで泉水橋バス

停へ行き、鎌倉幕府四代将軍藤原頼経が建立した明王院を参拝する。

鬼門除け祈願寺として不動、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の

五大明王が祀られている。鎌倉で五大明王を祀るのは明王院だけ。

次は光触寺(こうそくじ)。寺宝である木造聖観音菩薩立像や身代わりに

左頬に焼き印を押された跡があるといわれる頬焼阿弥陀如来像などを

特別拝観した。(左頬の焼き印はよくわからなかった)

また本堂前に、お地蔵さんが塩をなねたという言い伝えのある塩嘗め

地蔵がある。

これより涼風を求めて朝夷奈切通へ向かう。

画像左から 明王院、光触寺、朝夷奈切通


黒地蔵縁日と四万六千日

2013-08-10 09:35:13 | 史跡めぐり

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一番列車で鎌倉駅に到着。5時の鎌倉駅前は静かです。

徒歩で覚園寺へ。木造地蔵菩薩立像の「黒地蔵縁日」が行われて

います。鎌倉の夏を代表する宗教行事でもあり、多くの参拝者が

訪れていた。

地蔵堂の裏に2~3月淡紅の花をつけるやぶ椿の一種で市の天然記念物

に指定されている「太郎庵」を確認。

覚園寺から徒歩で杉本寺へ。こちらは「四万六千日(しまんろくせんにち)」で

この日に参詣すると4万6000日参詣したのと同じ功徳があるという

縁日で、たくさんの参詣者でした。

いまから、孫息子(高2)の野球練習試合の応援です。暑い!


清風吹く建長寺を訪ねる

2013-07-30 17:15:38 | 史跡めぐり

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鎌倉ガイド協会主催で7月2日の史跡めぐり「建長寺を訪ねる」は

建長寺まで行ったが境内が火災のため中止となる。今回その振替催行

です。三門と正統院が特別拝観できるということで参加した。

三門楼上には釈迦如来像、十六羅漢像、五百羅漢像が安置されている。

僧侶から蘭渓道隆、「狸和尚」の伝承を生んだ万拙碩誼(ばんせつせきぎ)

等のお話を拝聴し、写真撮影が許可され、皆さん写真撮影をする。

正統院は建長寺第十四世高峰顕日の塔頭で浄智寺の正統庵を建長寺に

移したもの。開山の高峰顕日は後嵯峨天皇の皇子といわれている。

画像左から、三門、釈迦如来像と五百羅漢像、正統院への参道


中世の鎌倉の町屋を訪ね「天王唄」を聴く

2013-05-31 16:36:26 | 史跡めぐり

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夷堂橋から和賀江嶋までの小町大路沿いを訪ねた。ここは、鎌倉時代

に最も賑やかな通りであり、なかでも小町大路と大町大路の二つの

大路が交差する大町四ツ角は中世鎌倉の最大の繁華街であった「町屋」

があった場所です。

この商業地域(町屋)に住む町衆が信仰した恵比寿様の本覚寺(夷堂)

から、祇園会の天王社・祇園社(八雲神社)を訪ね、和賀江嶋に陸揚

げされた御用材木の木曳唄が伝わる五所神社で、「天王唄」を拝聴した。

また開基・源頼朝、開山・文覚と伝わる補陀洛寺では住職のお話により、

多くの仏像と「平家の赤旗」を特別拝観した。

そして、中世鎌倉の国際貿易港であった日本最古の築港遺跡・和賀江嶋

で昔の繁華を偲ぶ。

普段の心がけは、あまりよくありませんが、梅雨の晴れ間に恵まれ

久しぶりの「史跡めぐり」でした。

画像 左から夷堂、五所神社で「天王唄」拝聴、和賀江嶋と遠方に江ノ島


ツツジの寺と苔石段のシャガ

2013-04-25 15:46:59 | 史跡めぐり

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湘南モノレールの湘南深沢駅から南へ徒歩で約15分行くと日蓮宗で

源太塚がある仏行寺(ぶつぎょうじ)がある。本堂背面の斜面一面に

色とりどりのツツジが咲くということで現地に来たが時期が早かった。

思い直して、「ツツジ寺」の別名がある安養院に向かう。境内一面に

約50株のオオムラサキが咲き誇るはず。こちらもGWが見頃か。

ツツジは諦め、近くの「苔寺」として有名な妙法寺へ寄る。苔石段の

両脇を埋めるシャガの花は古都ならではの風情がある。

画像左から 仏行寺、 安養院、 妙法寺