叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 「新・仏教教室」 百二

2009年10月08日 | 新・仏教教室
 希望と実現 *
ケイタくん、
「希望したときに実現しているといっても、それでは苦労もないしそんな虫
のよい考え方が通用するのでしょうか。
 現実はもっと厳しいように思いますが。」

ジツチャン、
「もちろん希望しただけで、何もしなければいつまでたっても実現しないよ。
希望を実現しようと決意すれば、実現に向けて当然、努力しなければなら
ないね。 
自分の持っている知識や力を総動員して挑戦するワケだ。
だが希望が実現するまでの道中には、させまいとする妨害や、もうダメだ!
と絶望するような場面が必ずあるものだ。

フツウはそこで挫折したり、あきらめてほかに向かったりする例が多いん
だがね。
あきらめずにやりぬく力、この力を私たちは御本尊に題目を唱えて引き出
している。だから何をやるにしても題目は欠かせないのだよ。

希望する。決意する。はともに心の次元であるから、決意した段階で出来
ているが、果報として目に見えるまでには時間がいる。ということだね。」

ケイタくん、
「ジッチャンやボクは信仰しているから、題目をあげられますが信仰してい
ない人はどうするのですか。」

ジッチャン、
「どんな障害でも突き破っていける仏の力は、もともとみんなの心にも具わ
っているが、それが無明という闇に閉ざされて現われないのだ。
無明を破って仏の力を出すには、題目によるしかほかに方法がないのだよ。
だから信仰していない人は、
仏の力が自分にあることを知らないし、
それを引き出すカギが題目であることを知らないから、まず信仰に入るこ
とが先決であると思うね。
ケイタくんの友人にそんな人がいたら、ゼヒすすめてあげなさいよ。
 友達に喜ばれるから・・

さっきの話に戻るが東京大学が、希望について学問的に研究することは、
非常にいいことだと思うね。
希望の反対が絶望で、一般的には希望が生で、絶望が死であると長いあ
いだ考えられてきた。前にも言ったがキュブラー・ロスが「死は存在しない」
と宣言してから世界の大学が死後の研究を始めた。日本でもF大学が研究
していると聞いている。

希望が生命現象であれば、絶望も生命現象であるから、いよいよ法華経
で説く生命の時代が始まったと言えるのではないだろうか。
そういう意味で私たちは、それを先取りした先駆者であるワケだ。ケイタ君
もしっかりしてね。

つづく   


 

人間賛歌 「新・仏教教室」 百一

2009年10月05日 | 新・仏教教室

    希望学とは ?  
ケイタくん、
「ジッチャンこんにちわ、いつも元気そうですね。
 今日はちょつと聞きたいことがあって、やってきました。」

ジッチャン、
「ケイタくん暫くだね、なにか背が伸びて大きくなったように見えるが、成長
している証拠だね。
例えはよくないかもしれないが、タケノコは一日に一メートルも伸びるそうだ
から、ケイタくんもちょつと見ないうちに見違えるほど立派になったんだね。

それで聞きたいことって、なんだい、遠慮なく言いなさいよ。」

ケイタくん、
「ジッチャンも知っていると思うけど、
こんど東京大学に希望学部という新しい学部ができて、希望について研究
するそうですが、ジッチャンは聞いている ? 」

ジッチャン、
「このあいだテレビで放送したのを見た程度で詳しくは知らないが、
 ケイタくんはそれについて何を聞きたいというの。」

ケイタくん、
「ジツチャンは、希望というのは生命の別名だと、よく言われていましたね。
前に、ユゴーの「希望せよ、しこうして待て」とか、
何億年も前に生きて哺乳類の先祖になったイクチオーラという魚は、
サンソがいっぱいある陸地で暮らすことを希望し、何百万年もかけて陸の
生活に適すように体を改造したと、話してくれましたね。

それでボクはシロウト考えで思ったのですが、
希望学部というのは生命を研究する学問のことではないだろうかと・・
それでジッチャンの意見が聞きたくなったのですよ。」

ジッチャン、
「ケイタくんはなかなか頭がいいね。
昔の話をよく覚えていて、それに意味を完全に理解しているよ。さすがわ
ジッチャンの孫だな。

そこで質問についてだが、
「希望は生命の別名なり」と言ったのは私の師匠で、さらに、希望というも
のは自分でつくり出すものだ。とよく聞かされたものだよ。
みんなの生命は希望をつくり、それを実現するようにあらかじめ準備され
ている。とも言われていたね。

私たちが御本尊に題目を唱えるのは、希望(因)を現実(果)にするためで
あるが、生命の次元で観察すれば因と果は同時であるから、希望したとき
にすでに実現しているということになるんだね。

次回につづく  

 


人間賛歌 所感 五

2009年10月03日 | 所感

 政治 *

 政治評論家、屋山太郎の「官僚内閣制が終わった」という新聞記事を見
ました。参考までに少し引用します。

「民主党政権誕生によって、明治以来続いてきた「官僚内閣制」がいよいよ
終わろうとしている。
官僚内閣制は官僚が良かれと思う政治が行われることで、民意を反映し
た民主主義とは根本的に異なる。

世界第二の経済大国といわれ、一方でこれほど勤勉な国民はいない。

にもかかわらず、
年金、医療、雇用保険、小子化対策、教育など民生や、社会保障にかか
わる分野で日本ほど粗末な国はない。

分野ごとに国際比較してみると、OECD(経済協力開発機構)加盟国中、
日本はほとんどの分野で最下位に属する。」

長くなるのでこれぐらいにしますが、要するに民生に関して自民党政権は
五十数年間なにもしなかったという事になります。
 ( 官僚の言いなりになっていた )

日本人はおとなしくて従順であり、自分の意見を言わない民族であると言
われます。これではいつまでたっても国民が幸せになる国にならないでし
ょう。

ものごとを自分で考え、自分の信念に基づいて行動する市民がさらに増え
ることを願うものです。

尚、公明党が与党になって民生に力をいれ、一定の成果は出しましたが
政、官、業癒着の壁を破るまでにいかなかったのは惜しまれます。

  以上