希望学とは ?
ケイタくん、
「ジッチャンこんにちわ、いつも元気そうですね。
今日はちょつと聞きたいことがあって、やってきました。」
ジッチャン、
「ケイタくん暫くだね、なにか背が伸びて大きくなったように見えるが、成長
している証拠だね。
例えはよくないかもしれないが、タケノコは一日に一メートルも伸びるそうだ
から、ケイタくんもちょつと見ないうちに見違えるほど立派になったんだね。
それで聞きたいことって、なんだい、遠慮なく言いなさいよ。」
ケイタくん、
「ジッチャンも知っていると思うけど、
こんど東京大学に希望学部という新しい学部ができて、希望について研究
するそうですが、ジッチャンは聞いている ? 」
ジッチャン、
「このあいだテレビで放送したのを見た程度で詳しくは知らないが、
ケイタくんはそれについて何を聞きたいというの。」
ケイタくん、
「ジツチャンは、希望というのは生命の別名だと、よく言われていましたね。
前に、ユゴーの「希望せよ、しこうして待て」とか、
何億年も前に生きて哺乳類の先祖になったイクチオーラという魚は、
サンソがいっぱいある陸地で暮らすことを希望し、何百万年もかけて陸の
生活に適すように体を改造したと、話してくれましたね。
それでボクはシロウト考えで思ったのですが、
希望学部というのは生命を研究する学問のことではないだろうかと・・
それでジッチャンの意見が聞きたくなったのですよ。」
ジッチャン、
「ケイタくんはなかなか頭がいいね。
昔の話をよく覚えていて、それに意味を完全に理解しているよ。さすがわ
ジッチャンの孫だな。
そこで質問についてだが、
「希望は生命の別名なり」と言ったのは私の師匠で、さらに、希望というも
のは自分でつくり出すものだ。とよく聞かされたものだよ。
みんなの生命は希望をつくり、それを実現するようにあらかじめ準備され
ている。とも言われていたね。
私たちが御本尊に題目を唱えるのは、希望(因)を現実(果)にするためで
あるが、生命の次元で観察すれば因と果は同時であるから、希望したとき
にすでに実現しているということになるんだね。
次回につづく