かったかくんのホームページ

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「ふるさとと8月6日」

2021年08月06日 | 大分県
『これからも戦の時代許さない
 平和な時代(とき)を次の世代へ』 


 

今日は、久しぶりに子どもたちと再会をしました。
全校登校日そして、「平和を願う日」の取り組みです。
 


「原爆の火」の授業をしました。
授業をしようと、いろいろ調べたりしました。


その中で、原爆を落とした爆撃機はどこから来たのだろうかと思いました。
 


「テニアン島」の基地から、広島の時も長崎の時も飛び立っています。
テニアン島は、フィリピンの東のマリアナ諸島にあります。



調べていると、「ヒロシマ」投下の航路は、どうだったのだろうか。
マリアナからだったら、伊予灘を通ったのではないかと予想しました。
 



ネットで検索をすると、伊予灘から瀬戸内海・・・広島上空・・・岡山・・・広島となっています。
恐怖の爆撃機が大分県をかすめています。
ひょっとしたら、ふるさとでもこの爆撃機が見えたところがあるかも知れません。
 



同じく、「ながさき」投下も同じです。当初は、小倉投下の計画でした。
ところが天気や迎撃機の関係で長崎に変更。航路をたどると、県下を飛んでいます。



小倉から長崎への航路は、中津市上空を南下しています。
長崎を悲惨な状況にし、多くの命を奪った原子爆弾を積んだ飛行機は、日本のあちらこちらと回っているのです。




 
戦闘機の性能が違ったとしても、日本の飛行機と上空戦になったとしたら、私たちのふるさとも含めて、どこが惨状になってもおかしくはなかったのです。
 

今日の「原爆の火」の話は、「ヒロシマ」の火を「星野村」に兵士の一人が持ち帰ったという話です。
その火は、中津市も分火してもらっています。
現在、八面山の平和公園で灯されています。



星野村から八面山に多くの人がリレーをしながら、持ち帰りました。
その時の様子をよく覚えています。
「平和」をみんなで築いていくことを学びました。
 




広島市長の平和宣言で、
「持続可能な社会の実現のためには、人々を無差別に殺害する核兵器との共存はあり得ず、完全なる撤廃に向けて人類の英知を結集する必要があります。」
 




次の世代へ平和な時を伝えていかなければなりません。



広島の写真は、耶馬溪中学校の修学旅行で「広島平和公園」に見学で行ったものです。
晴れた時も雨の中での見学もありました。




でもそれぞれに学びは大きかったです。