
見守り続け支え続けて

先日の休み、用事が終わり帰路に着き、家の近くまでやって来ると、遠方にいるはずの我が子の車とすれ違いました。
「あれ?」
家の車庫に車を入れると、続いて子ども夫婦も帰ってきました。
「どこにいっちょったん。だれも家にいないので、おばさんのところに行こうと思っていた。」
と言いながら、車から降りてきました。
「今日はサプライズで帰ってきたよ。初めて給料がおりたのでお寿司を持ってきた。」
サプライズの帰省も嬉しいけれど、心遣いもうれしいです。
ようやっと、学生生活から新社会人になりました。
仕事の関係ですぐに戻らなければならないので、わずかな時間でしたが、お寿司をつまみながら話が弾みました。
思い出せば、子どもの中学生時代は野球部に所属していました。子どもはY中学校。かったかくんは、三光中学校。三光中学校で監督していた自分は、常に子どもと敵同士でした。

学校から帰ってまで、我が子に野球を教えることはほとんどありませんでしたが、できる限り子どものチームとの練習試合などはしてきました。また強豪校を呼んだときには招待をしたりもしました。敵味方でしたが、野球を通しながら親子のコミュニケーションは図れたのかなあと思っています。
子どもが巣立っていくのはとても早いものです。このあいだこそ、小学生、中学生・・・だと思っていましたが、もう社会の一線で悪戦苦闘しながら働いています。
今、総体前で部活がもっとも盛んになっていますが、お家の方たちも是非、子どもたちの活動の様子を時間が許す限りを見てあげて、思い出を共有できることが、将来一緒にその思い出を語ることができるのかなあと今になってそう思います。
思春期の中学生時代。親と子どもとの距離感の取り方は、微妙なところもありますが、子どもが「来なくていい。」「恥ずかしい。」と言っても、心の中では、
「いて欲しい」「自分を見て欲しい」「「存在を感じて欲しい」と言うのは、発達段階の子どもである以上、その欲求は必ずあります。
巣立っていくまでは、距離感を調整しながらも思い出が共有できる時間を創ってあげること、それをもとに一緒に子どもの成長を伝えてあげることが心豊かな子どもへとつながる要因ともなるでしょう。
今、中学校で生活しながら、そしてわが子が巣立っていき、喜びと巣立つほのかな寂しさも感じながら、ふとこんなことを感じました。