「先生、今日先生の家に行っていいですか。」
と教えた生徒のなつかしのやっくんから。
「6時なら、家に帰っていると思うので、おいで。」
ちょうど大分から帰っている途中でした。それから時間がたち、どうも6時に間に合いそうにありません。やばい。電話をしました。でない・・・・。5分くらい遅れて家に着きました。やっくんが来ていました。自分の車の中で待っていてくれました。なんとなく車に乗っていると、学生時代とは雰囲気が違って、大人びて見えます。やっくんは、野球部で同じ学年の担当でした。3年間、ともにグランドで汗を流しました。
中学校時代、やっくんは、消防署に職場体験に行きました。将来消防士になりたいということでした。職場体験は、学年で話し合い、生徒が就きたい職業の職場をみんなで探して体験を積んでいくというようなシステムをとりました。受け入れ先を探すには、苦労をしたけれども、一人ひとりにあった職場なので、生徒たちの意欲はバリバリでした。
だから、当時の生徒が就職をした中で、50%以上の生徒は、職場は違うけれども、体験をした職業についています。やっくんもしかりです。高校を卒業してから半年間、公務員の専門学校に一時間以上かけながら、通いました。きついことも多かったと思います。野球のOB戦に来たときも、試験のことが気になっているのでしょう。そんな雰囲気が漂っていました。しかし、試験に見事に合格。今年からついに念願の消防士になりました。今、消防学校で研修を受けています。やっくんが、
「先生、初給料をもらったので、ネクタイを買ってきました。」
感激の言葉でした。
「本当は、ピンクにしようと思ったけれど、教頭先生なんで、やめて、紺にしました。でも柄は、かわいいやろ。」
とってもうれしい再会でした。やっくんの御洒落な気持ちが、幸せな気持ちにさせてくれました。本当にありがとう。
団塊の世代の人たちがやめていく中で、やっくんたちが早く、重要な戦力になることを求められています。鍛えられていることでしょう。優しさの中にもさらに頼もしくなっている様子がうかがえました。
やっくんが帰ってから、今度は、大工になっているいっくんが来ました。いっくんは西谷小学校時代、教えた生徒です。
五馬中学校の踏み板が割れたので、長さ、幅、厚さをいっくんに電話をして、割れた分の板を頼んでおきました。今日はそれを持ってきてくれました。
「先生、板を持ってきたで。」
いっくんも上がって、いろいろ話をしました。家族同然の付き合いをさせてもらっています。おばあちゃんが突然亡くなったのも初めて聞きました。お世話になっただけに驚きました。思い出は、「やまなし事件」です。
当時、いっくんの家の山には、「やまなし」があるというので、クラスみんなで取りに行くことになりました。どうして「やまなし」かというと、国語の時間に、宮沢賢治の「やまなし」を勉強したからです。いっくんが、
「ぼくんうちにもやまなしがあるよ。」
早速行動が早い生徒たちと一緒に、現地に行くことになりました。いっくんの家に寄りました。おばちゃんが出てきて、
「気をつけて行って来なさいね。」
おばあちゃんの許可も出ました。レッツゴーで、いっくんの家の山に。
初めて見る「やまなし」。
「先生、木が高いので、棒で落としたらいいよ。」
と学校を出る前に、いっくんがそんなことを言うので、グローブを持っていきました。でっかい木でした。また「やまなし」も想像以上に大きいこと。
棒で叩き落しました。すっと落ちてくる「やまなし」をみんなでグローブでキャッチをしていきました。スリル満点でした。
そのときです。同級生のあっくんが取り損なって、なんとでっかい「やまなし」が顔面に。よけたのですが、鼻をかすりました。
ズル~~~鼻血が。痛みをこらえながら、鼻血をたらしたあっくんが笑っています。その姿がなんとなく滑稽で心配していたみんなも、爆笑を。このエピソードは、今もあのクラスのみんなの思い出となっています。
おばあちゃんに収穫をした「やまなし」を見せました。「たくさんとれたね。」と驚いていました。優しいおばあちゃんでした。
数年前に家をあたったときに、いっくんに頼みました。すごく丁寧に仕事をしてくれました。そのいっくんが割った生徒のために、頼んだ寸法どおりにきれいに板を作ってくれていました。今日、割った生徒と、ネジで板をとめました。
いっくんのおかげで、割った生徒もいい勉強になったと思います。
生徒、先生の関係から、今では、逆にみんなに支えられています。そのことに感謝をしています。ありがとうございます。
と教えた生徒のなつかしのやっくんから。
「6時なら、家に帰っていると思うので、おいで。」
ちょうど大分から帰っている途中でした。それから時間がたち、どうも6時に間に合いそうにありません。やばい。電話をしました。でない・・・・。5分くらい遅れて家に着きました。やっくんが来ていました。自分の車の中で待っていてくれました。なんとなく車に乗っていると、学生時代とは雰囲気が違って、大人びて見えます。やっくんは、野球部で同じ学年の担当でした。3年間、ともにグランドで汗を流しました。
中学校時代、やっくんは、消防署に職場体験に行きました。将来消防士になりたいということでした。職場体験は、学年で話し合い、生徒が就きたい職業の職場をみんなで探して体験を積んでいくというようなシステムをとりました。受け入れ先を探すには、苦労をしたけれども、一人ひとりにあった職場なので、生徒たちの意欲はバリバリでした。
だから、当時の生徒が就職をした中で、50%以上の生徒は、職場は違うけれども、体験をした職業についています。やっくんもしかりです。高校を卒業してから半年間、公務員の専門学校に一時間以上かけながら、通いました。きついことも多かったと思います。野球のOB戦に来たときも、試験のことが気になっているのでしょう。そんな雰囲気が漂っていました。しかし、試験に見事に合格。今年からついに念願の消防士になりました。今、消防学校で研修を受けています。やっくんが、
「先生、初給料をもらったので、ネクタイを買ってきました。」
感激の言葉でした。
「本当は、ピンクにしようと思ったけれど、教頭先生なんで、やめて、紺にしました。でも柄は、かわいいやろ。」
とってもうれしい再会でした。やっくんの御洒落な気持ちが、幸せな気持ちにさせてくれました。本当にありがとう。
団塊の世代の人たちがやめていく中で、やっくんたちが早く、重要な戦力になることを求められています。鍛えられていることでしょう。優しさの中にもさらに頼もしくなっている様子がうかがえました。
やっくんが帰ってから、今度は、大工になっているいっくんが来ました。いっくんは西谷小学校時代、教えた生徒です。
五馬中学校の踏み板が割れたので、長さ、幅、厚さをいっくんに電話をして、割れた分の板を頼んでおきました。今日はそれを持ってきてくれました。
「先生、板を持ってきたで。」
いっくんも上がって、いろいろ話をしました。家族同然の付き合いをさせてもらっています。おばあちゃんが突然亡くなったのも初めて聞きました。お世話になっただけに驚きました。思い出は、「やまなし事件」です。
当時、いっくんの家の山には、「やまなし」があるというので、クラスみんなで取りに行くことになりました。どうして「やまなし」かというと、国語の時間に、宮沢賢治の「やまなし」を勉強したからです。いっくんが、
「ぼくんうちにもやまなしがあるよ。」
早速行動が早い生徒たちと一緒に、現地に行くことになりました。いっくんの家に寄りました。おばちゃんが出てきて、
「気をつけて行って来なさいね。」
おばあちゃんの許可も出ました。レッツゴーで、いっくんの家の山に。
初めて見る「やまなし」。
「先生、木が高いので、棒で落としたらいいよ。」
と学校を出る前に、いっくんがそんなことを言うので、グローブを持っていきました。でっかい木でした。また「やまなし」も想像以上に大きいこと。
棒で叩き落しました。すっと落ちてくる「やまなし」をみんなでグローブでキャッチをしていきました。スリル満点でした。
そのときです。同級生のあっくんが取り損なって、なんとでっかい「やまなし」が顔面に。よけたのですが、鼻をかすりました。
ズル~~~鼻血が。痛みをこらえながら、鼻血をたらしたあっくんが笑っています。その姿がなんとなく滑稽で心配していたみんなも、爆笑を。このエピソードは、今もあのクラスのみんなの思い出となっています。
おばあちゃんに収穫をした「やまなし」を見せました。「たくさんとれたね。」と驚いていました。優しいおばあちゃんでした。
数年前に家をあたったときに、いっくんに頼みました。すごく丁寧に仕事をしてくれました。そのいっくんが割った生徒のために、頼んだ寸法どおりにきれいに板を作ってくれていました。今日、割った生徒と、ネジで板をとめました。
いっくんのおかげで、割った生徒もいい勉強になったと思います。
生徒、先生の関係から、今では、逆にみんなに支えられています。そのことに感謝をしています。ありがとうございます。