神なる冬

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[SF] 砂丘の子供たち

2012-04-15 23:37:21 | SF
『砂丘の子供たち 1~3』 フランク・ハーバート (ハヤカワ文庫SF)


言わずと知れた《デューン》シリーズの3作目。一応、これが完結編。といってもハーバート本人が書いた続篇やら、息子が書いている前日譚やら、シリーズはさらに続くわけですが……。

《デューン》といえば、環境SFの元祖とか、生態系SFの始祖みたいに言われることがあって、実はそれで読み始めたのだった。しかし、『砂漠の救世主』まではあんまりそんな感じではなかった。

遠い異界の宮廷物語。遥かなる時を越えた人体実験。勇敢なる少年の復讐譚と、無常なる結末。その後にこれが来たか。


今回の主役はポウルの双子の子供、レトとガニマ。すなわち、アトレイデ家とフレーメンの血を持ち、ベネ・ゲセリットが生み出した遺伝子を受け継ぐ二人の男女。この二人を巡って、祖母(ベネ・ゲセリット)、祖父(フレーメン)、叔母(忌まわしき者:ハルコネン家)、従兄弟(旧皇帝:コリノ家)、さらには砂漠に消えた筈の父ポウル本人まで出現し、それぞれの思惑のもとに子供たちを操ろうとする。しかし、子供たちには二人だけの秘密の計画があった。

おもしろいのが、ポウルの妹、エイリア。こまっしゃくれた幼女キャラだったのが、いつの間にか恐ろしいことになっていた。時空を超えて記憶を持ってしまったエイリアは、かつてのハルコネン男爵の記憶までもを呼び覚まし、逆にハルコネン男爵に魅入られてしまう。これぞ忌まわしき者。彼女にこんな最期が訪れるとは、なんてことだ。

そして、祖母ジェシカはコリノ家にさらわれるものの、逆に皇子のファラドゥンをベネゲセリット的に訓練してしまうという超展開。そして、その訓練に打ち勝ってしまうというさすがの旧皇帝の血筋。そこにもベネ・ゲセリットの時空を超えた計画があったのかどうか。

そんなこんなな悲喜こもごもを、砂鱒の皮膚を使ったスーパースーツでアクションヒーローになってしまったレトがすべてひっくり返すというこれまた超展開。いやすげぇー。さながら、砂を纏った超人「怪傑!サンドマン参上!」みたいな感じ。

やっぱり環境SFじゃないじゃん(笑)


環境SFとしての側面は、『砂丘の子供たち』の冒頭で、砂の惑星であるはずのアラキスが緑化されつつあるところが肝なのですね。

砂漠が緑化されて、厳しい自然から人々は解放されつつあり、砂の文化は消えゆく。各地に刻まれた水路にそって耕地が生まれ、そこでは砂鱒が飼われている。そして、水を嫌う砂虫は数を減らし、スパイスは枯渇していく。

二人の子供たちが描いたセシェール・ニビウ、黄金の道とは、大自然との共存共栄だった。砂漠を緑化して砂虫を囲いの中で管理するのではなく、砂漠の大自然と共存する未来。そして、ベネ・ゲセリットの繁殖計画を続け、世界を平和に維持し続けること。世界は変化し続け、人々も変化する。しかし、その変化を遮らず、捻じ曲げず、変わりゆく世界の中で共存共栄していく平和。

過去のSFでは、科学技術と人間の意志の力によって、惑星を地球化し勢力を広げることが善であり、勝利だった。しかし、レトは緑化のための水路を切り裂き、砂鱒を開放し、砂虫を呼び込む。アラキスはアラキスの自然のまま、人々は共存していかなければ長期の平和を維持することは叶わない。それが、1970年代当時には、まだ新しい物語だったのだ。

特に、生態系の考え方、種の共存共栄と進化の道筋を、人々や公家の関係にも広げ、世界平和のためには協調が必要という主張は、強いものが勝つという弱肉強食の欧米的考え方から外れた新鮮な見方だったのかもしれない。

しかし、それは皇帝であるレトの力によって成し遂げられる独裁社会である。そこにもちろん、多くの困難と火種が待ち受けているであろうことは明らかだ。そして、物語は続いていくのだろう。


しかし、レトとガニマの役割がこうなったのは偶然のはずなのだが、ガニマが皇帝になっていたら、レトは誰と繁殖すればいいんだっけ。やっぱり、これが必然だったとしか思えないですね。



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