神なる冬

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コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 凍りのくじら

2013-03-02 19:20:50 | SF

『凍りのくじら』 辻村深月 (講談社文庫)

 

SFじゃないけど、“すこしふしぎ”の話。

SFの定義はいろいろ言われているけれども、その中で、“すこしふしぎ”と言い出したのは藤子・F・不二雄。その藤子先生がつなぐ親子の絆を描いた小説。

主人公が友達や周りの人々にあだ名のようにつけてまわる“SF”。すこし、不安。すこし、不在。すこし、なんとか……。

それだけではなく、ドラえもんの道具を現実の人間関係になぞらえて当てはめるというアイディアが秀逸。カワイソメダルなんて、まさしくそのままじゃないか。そんなわけで、章のタイトルのすべてがドラえもんの道具名になっている。

その意味では、小説でありながら、辻村的ドラえもん論になっているところが面白い。人生で起こる事象のすべてはドラえもんに集約される。まさに、すべてはドラえもんから学んだのだ。

主人公の理帆子は、小説好きな少女。しかし、ありがちな文学少女ではなく、外面的には八方美人で友達の多いタイプ。しかし、その内面では、すべての他者を見下し、斜に構えたひねくれもの。本ばっかり読んでいると、こうなってしまうぞというのは、とても現実感がある。自分も、一歩間違えば、世間をこうやってひねくれた見方しかできない人間になっていたかもしれない。

しかし、彼女の取り巻く人間関係や、事件が彼女を変えていく。フィクションの世界から、現実の世界の人間関係へ。かりそめだと思っていた友情や、両親の想いが彼女を照らす暖かい光となり、それに気づいた彼女が新しい光になろうとする。それを単純に“成長”と呼んでしまうのは、安易すぎるかもしれない。

そして驚いたことに、読書メーターで他の読者の感想を読むと、これだけひねくれた主人公に共感する人が多くて驚いた。こんな気持ちがわかるのは少数派かと思っていた。それだけ、少年少女時代を物語に浸って過ごした人間が多いのか、それとも、辻村深月の描き方が上手くて、関係ない人でも感情移入させてしまうのか。そんなことを瀬名秀明の解説を読みながら考えたり。


実はこの本は、読む前にある人に貸していたんだけれど、急に「すこしふしぎ」とか、ドラえもんとか言い出したのはこのせいだったのか(笑)