9/18 昼 晴れ
早朝から飛行機でメキシコシティに別れを告げ、飛行機でユカタン半島の付け根にある街、ビジャエルモサへ。
左側1列、右側2列の小さい飛行機だったが、モルジブのホテルで働いていたと言う女性が一言。「こんなの、まだ大きいですよ」
いや、十分小さいって。
飛行機が下りていく先は蛇行した川がいたるところで三日月湖を作り、まるで洪水後のよう。凄い湿地帯なんだと思っていたら、本当に大洪水の直後だったでござるよ(笑)
飛行機を降りると快晴のまぶしい夏空。空港にはタバスコの広告ばっかりだと思いきや、ここはタバスコ州という名前なんだとか。他にもチワワ州とかあるし。
ここからチアパス州、カンペチェ州、ユカタン州と移動して、行き着く先はジェイムズ・ティプトリーJrの小説でもおなじみのキンタナ・ロー州だ。ユカタン半島を横断する900kmのバスの旅。
まずはグァテマラ国境、チアパス州にあるマヤの遺跡、パレンケへ向かう。
パレンケはピラミッドからヒスイのマスクをかぶった王の墓が見つかり、その石棺の蓋には宇宙飛行士(後に生命樹の下に寝そべる王と判明)のレリーフが描かれていたというミステリー系テレビでもおなじみの場所。超ワクワクで、今回の旅ではチチェンイツァよりも期待していた場所だ。
天候が午後から崩れるかもということで、昼食時間を遅らせて遺跡へ急ぐ。夕食も遅いので、軽食のカップケーキとバナナなどがバスの中で配られたけど、モーニングコールが5時だったおかげでみんな寝不足。ぐっすり就寝?
ひとりだけバナナ食いながら窓の外を眺めてました。手前が牧草地で奥が原生林の山って、なつかしの故郷、北海道に良く似た光景なんだよね。植生は日本南部とあんまり変わらないように見える。ジャングルとはいえ、東京の南多摩駅近辺の原生林と区別がつかんわ(笑)
しかし、パレンケへと続く道へ踏み入れると、景色は一変。おお、これぞジャングルという光景になってきた。このジャングルはグァテマラまで続いているという。さすが、自然に国境は無い。
そして、パレンケで出迎えてくれるのがマヤの末裔、黒い直毛の長髪に貫頭衣で出迎えてくれる彼らは、まさに縄文日本人のよう。今にも「卑弥呼さまー」と叫びそうだ。この人たちはスペインの侵略からジャングルへ逃げ続けた人々の末裔で、あんまり文明化されていないんだとか。なんだか、観光地用にわざとやってるような気もするけど。
そして、ついに寺の門のような入り口を抜け、赤い花の咲くジャングルの山道を30秒ほど登ると、テレビで見たことのある景色が見えてきた。「あー! 見たことある!」背中がゾクゾクした。
まずはガイドさんの説明があるが、心は完全に遺跡へ。ここはなんと、神殿の中に入れるのだ。残念ながら、一番有名な碑文のピラミッドじゃないけど。
まずは赤の女王の墓と言われる神殿の中へ。もともと、王の母親と言われていたが、最近では王の妻の墓だと言われている。神殿の入り口に差しかけられた日よけをくぐり、遂に神殿の中へ。角ばったマヤアーチの廊下。湿った匂い。そして内側が赤く塗られた石棺。あまりに興奮しすぎて、わけのわからない石壁の写真とか撮ってた(笑)
ちゃんと中に入ったんだよーということで、出るときの写真。
そして次は碑文の神殿を通り過ぎて、宮殿へ。
碑文の神殿突入はやっぱり無理かぁ。ちなみに、ヒスイの仮面をかぶったパカル王の墓は、ピラミッドの上部にある神殿の床から掘り進めて、地面を突きぬけ、地下1.5メートルほどで見つかったのだと言う。神殿が出来てから埋葬されたのではなく、埋葬された後に、その上にピラミッド状の神殿が建てられたのだ。これが、マヤのピラミッドがただの神殿ではなく、墓だという証拠になる。アステカやテオティワカンのピラミッドはただの生贄を捧げる神殿だったのかも知らんけど。
宮殿では、現地ガイドさんが水洗トイレの実演をしたり、石のベッドを見たり。歴代王のレリーフは風化して枠しか残っていないが、パレンケのような古い遺跡では、かえってチャックやククルカンのような神々よりも王権の方が強かったようだ。逆に人間の姿とは著しく異なる神々のレリーフは少ない。
Tの字型に空いた穴が風の通り道であると同時に神様の印なんだそうだ。こういう抽象的な神様が最初だったんだということがわかる。今回の旅は進むにつれて時代も下るので、これがチチェンイツァでどうなっているかというのを見るのも面白い。
晴れたおかげで緑も青々とする気持ちのいい中庭。じつは奴隷のおどろおどろしい壁画があるんだが、そんなことも忘れる長閑な感じ。よく解釈すれば、奴隷はめったにいなくて、レリーフで間に合わせていたんじゃないかな。
ちょっと学術的な話もすると、天井によく見られるマヤアーチは擬似アーチと呼ばれているんだけど、宮殿の遺跡を見るとそれが良くわかる。なんとアーチの片方の壁だけが斜めになって残っているのだ。言われるまで気付かなかったけど、本当のアーチなら両方の壁が支えになるので、片側だけ残ることはありえないはずなんだよね。マヤ族はアーチを知らなかった、もしくはちゃんとしたアーチが必要なほどの強度を期待していなかったということなんだろう。
ついでに、余計なことを言うと、宮殿の上に立つ塔の屋根は発見当時ついていなかったそうだ。これは復元時に勝手に付けられたもので、考古学的には検証されていないんだと。メキシコ人の遺跡復元は割りといい加減なんだというのが、今回の旅でよくわかった。
宮殿を出て、水路を渡り、さらにジャングルの奥へ。小道の傍には行商人たちがマヤ風のグッズを売っているが、完全に観光地と化したテオティワカンに比べると呼び込みもなんとなく長閑な感じ。
そして、十字架の神殿のある十字路へ。ここの十字路からはそれぞれの道の先に神殿が見える。中でもユニークなのが葉の十字架の神殿。芝生に覆われた小山の上に神殿の建物が見えるのだが、実はこの山がピラミッド。階段だけしか復元されておらず、その周囲は芝生に覆われ、背後はジャングルの中へ繋がっている。この半発掘状態が、なかなか美しい。
さらには太陽の神殿横の「Temple VIX」とシンプルに書かれた神殿では、このような美しいレリーフがしっかりと残っている。他の遺跡では、この手のレリーフは博物館へ移動しているか、そもそも遺跡内に入れないので、田舎のパレンケ万歳だ。
その後、入り口近くの髑髏の神殿にも登って、パレンケ遺跡巡りは終了。これでもすでに発見済みの遺跡郡だけでも、1/5くらいしか見られていない。まだまだ一日居ても飽きないような気がする。ジャングルの中の遺跡は本当にミステリアスで美しい。来るのに迷ってたけど、本当に来てよかたよ、ビバメヒコ!
暑さはあまり感じなかったが、ピラミッド状の神殿を登ったり降りたりで、周囲に心配されるほどのつゆだくあせだくに。こっちは汗臭くないかの方が心配でしたよ(笑)
登った先に何かすごいものがあるわけでもないのに、とにかく登る。そして降りる。美しい景色と、マヤの神殿に立っているんだという意識だけで夢中だったのだが、終わってみると、いったい何をやっていたんだか。ガイジンの観光客がよくやっているように、神殿に寝そべってみればよかったか。
遅い昼食に遺跡近くのレストランで肉の串焼きを食べ、ここから5時間のバスの旅でカンペチェへ。
カンペチェ? そんな遺跡あったっけ? と思ってまったく期待していなかったのだが、これがまた……。
ということで、待て次回。いつになるか知らんけど。
早朝から飛行機でメキシコシティに別れを告げ、飛行機でユカタン半島の付け根にある街、ビジャエルモサへ。
左側1列、右側2列の小さい飛行機だったが、モルジブのホテルで働いていたと言う女性が一言。「こんなの、まだ大きいですよ」
いや、十分小さいって。
飛行機が下りていく先は蛇行した川がいたるところで三日月湖を作り、まるで洪水後のよう。凄い湿地帯なんだと思っていたら、本当に大洪水の直後だったでござるよ(笑)
飛行機を降りると快晴のまぶしい夏空。空港にはタバスコの広告ばっかりだと思いきや、ここはタバスコ州という名前なんだとか。他にもチワワ州とかあるし。
ここからチアパス州、カンペチェ州、ユカタン州と移動して、行き着く先はジェイムズ・ティプトリーJrの小説でもおなじみのキンタナ・ロー州だ。ユカタン半島を横断する900kmのバスの旅。
まずはグァテマラ国境、チアパス州にあるマヤの遺跡、パレンケへ向かう。
パレンケはピラミッドからヒスイのマスクをかぶった王の墓が見つかり、その石棺の蓋には宇宙飛行士(後に生命樹の下に寝そべる王と判明)のレリーフが描かれていたというミステリー系テレビでもおなじみの場所。超ワクワクで、今回の旅ではチチェンイツァよりも期待していた場所だ。
天候が午後から崩れるかもということで、昼食時間を遅らせて遺跡へ急ぐ。夕食も遅いので、軽食のカップケーキとバナナなどがバスの中で配られたけど、モーニングコールが5時だったおかげでみんな寝不足。ぐっすり就寝?
ひとりだけバナナ食いながら窓の外を眺めてました。手前が牧草地で奥が原生林の山って、なつかしの故郷、北海道に良く似た光景なんだよね。植生は日本南部とあんまり変わらないように見える。ジャングルとはいえ、東京の南多摩駅近辺の原生林と区別がつかんわ(笑)
しかし、パレンケへと続く道へ踏み入れると、景色は一変。おお、これぞジャングルという光景になってきた。このジャングルはグァテマラまで続いているという。さすが、自然に国境は無い。
そして、パレンケで出迎えてくれるのがマヤの末裔、黒い直毛の長髪に貫頭衣で出迎えてくれる彼らは、まさに縄文日本人のよう。今にも「卑弥呼さまー」と叫びそうだ。この人たちはスペインの侵略からジャングルへ逃げ続けた人々の末裔で、あんまり文明化されていないんだとか。なんだか、観光地用にわざとやってるような気もするけど。
そして、ついに寺の門のような入り口を抜け、赤い花の咲くジャングルの山道を30秒ほど登ると、テレビで見たことのある景色が見えてきた。「あー! 見たことある!」背中がゾクゾクした。
まずはガイドさんの説明があるが、心は完全に遺跡へ。ここはなんと、神殿の中に入れるのだ。残念ながら、一番有名な碑文のピラミッドじゃないけど。
まずは赤の女王の墓と言われる神殿の中へ。もともと、王の母親と言われていたが、最近では王の妻の墓だと言われている。神殿の入り口に差しかけられた日よけをくぐり、遂に神殿の中へ。角ばったマヤアーチの廊下。湿った匂い。そして内側が赤く塗られた石棺。あまりに興奮しすぎて、わけのわからない石壁の写真とか撮ってた(笑)
ちゃんと中に入ったんだよーということで、出るときの写真。
そして次は碑文の神殿を通り過ぎて、宮殿へ。
碑文の神殿突入はやっぱり無理かぁ。ちなみに、ヒスイの仮面をかぶったパカル王の墓は、ピラミッドの上部にある神殿の床から掘り進めて、地面を突きぬけ、地下1.5メートルほどで見つかったのだと言う。神殿が出来てから埋葬されたのではなく、埋葬された後に、その上にピラミッド状の神殿が建てられたのだ。これが、マヤのピラミッドがただの神殿ではなく、墓だという証拠になる。アステカやテオティワカンのピラミッドはただの生贄を捧げる神殿だったのかも知らんけど。
宮殿では、現地ガイドさんが水洗トイレの実演をしたり、石のベッドを見たり。歴代王のレリーフは風化して枠しか残っていないが、パレンケのような古い遺跡では、かえってチャックやククルカンのような神々よりも王権の方が強かったようだ。逆に人間の姿とは著しく異なる神々のレリーフは少ない。
Tの字型に空いた穴が風の通り道であると同時に神様の印なんだそうだ。こういう抽象的な神様が最初だったんだということがわかる。今回の旅は進むにつれて時代も下るので、これがチチェンイツァでどうなっているかというのを見るのも面白い。
晴れたおかげで緑も青々とする気持ちのいい中庭。じつは奴隷のおどろおどろしい壁画があるんだが、そんなことも忘れる長閑な感じ。よく解釈すれば、奴隷はめったにいなくて、レリーフで間に合わせていたんじゃないかな。
ちょっと学術的な話もすると、天井によく見られるマヤアーチは擬似アーチと呼ばれているんだけど、宮殿の遺跡を見るとそれが良くわかる。なんとアーチの片方の壁だけが斜めになって残っているのだ。言われるまで気付かなかったけど、本当のアーチなら両方の壁が支えになるので、片側だけ残ることはありえないはずなんだよね。マヤ族はアーチを知らなかった、もしくはちゃんとしたアーチが必要なほどの強度を期待していなかったということなんだろう。
ついでに、余計なことを言うと、宮殿の上に立つ塔の屋根は発見当時ついていなかったそうだ。これは復元時に勝手に付けられたもので、考古学的には検証されていないんだと。メキシコ人の遺跡復元は割りといい加減なんだというのが、今回の旅でよくわかった。
宮殿を出て、水路を渡り、さらにジャングルの奥へ。小道の傍には行商人たちがマヤ風のグッズを売っているが、完全に観光地と化したテオティワカンに比べると呼び込みもなんとなく長閑な感じ。
そして、十字架の神殿のある十字路へ。ここの十字路からはそれぞれの道の先に神殿が見える。中でもユニークなのが葉の十字架の神殿。芝生に覆われた小山の上に神殿の建物が見えるのだが、実はこの山がピラミッド。階段だけしか復元されておらず、その周囲は芝生に覆われ、背後はジャングルの中へ繋がっている。この半発掘状態が、なかなか美しい。
さらには太陽の神殿横の「Temple VIX」とシンプルに書かれた神殿では、このような美しいレリーフがしっかりと残っている。他の遺跡では、この手のレリーフは博物館へ移動しているか、そもそも遺跡内に入れないので、田舎のパレンケ万歳だ。
その後、入り口近くの髑髏の神殿にも登って、パレンケ遺跡巡りは終了。これでもすでに発見済みの遺跡郡だけでも、1/5くらいしか見られていない。まだまだ一日居ても飽きないような気がする。ジャングルの中の遺跡は本当にミステリアスで美しい。来るのに迷ってたけど、本当に来てよかたよ、ビバメヒコ!
暑さはあまり感じなかったが、ピラミッド状の神殿を登ったり降りたりで、周囲に心配されるほどのつゆだくあせだくに。こっちは汗臭くないかの方が心配でしたよ(笑)
登った先に何かすごいものがあるわけでもないのに、とにかく登る。そして降りる。美しい景色と、マヤの神殿に立っているんだという意識だけで夢中だったのだが、終わってみると、いったい何をやっていたんだか。ガイジンの観光客がよくやっているように、神殿に寝そべってみればよかったか。
遅い昼食に遺跡近くのレストランで肉の串焼きを食べ、ここから5時間のバスの旅でカンペチェへ。
カンペチェ? そんな遺跡あったっけ? と思ってまったく期待していなかったのだが、これがまた……。
ということで、待て次回。いつになるか知らんけど。