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神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] ジャック・グラス伝

2017-10-30 22:03:02 | SF

『ジャック・グラス伝』 アダム・ロバーツ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

読んでいて、とても楽しかったSFミステリ。

宇宙的殺人者、ジャック・グラスの伝説。犯人はジャック・グラスと決まってるのに、フーダニットが課題となる不思議。

英国SF協会賞&ジョン・W・キャンベル記念賞受賞作じゃなくて、メフィスト賞受賞作の間違いじゃないのかという評判は伊達ではなかった。読み終わってみると、ものすごく納得がいく。

なんとかの十戒とか、なんとかの二十則に抵触しているような気がしないでもないが、それでも結末にはアッとさせられた。

3篇連作のうち一番面白かったのは、何と言っても第一部の「箱の中」。未来において、もっとも価値の安い手段が人力であるとは珍しくも無い設定ではあるが、“これ”を囚人の労役として成立させるのは興味深い。

そして、小惑星を居住環境に作り変えるという土木工学SF的側面と、ひと癖もふた癖もある囚人たちの人間関係のドラマが並行して進むアンバランスさ。さらに、極限環境における囚人たちのサバイバルというスリリングな物語が、一転して宇宙的殺人者の物語に転調する様が秀逸。

第二部の「超高速殺人」は、ハウダニットの見当はすぐについても、なぜ犯人がジャック・グラスなのかというところが問題。お嬢様探偵のダイアナと、老執事みたいなアイアーゴのコンビも楽しすぎる。

第三部の「ありえない銃」は、ハウダニットというか、何が起こったのかを突き止める物語。これが物語全体の背景に流れる問題に直接つながっていき、長編としての背骨になる。したがって、まえがきから注意深く読んでいけばそれ以外に解は無いはずなのだけれど……いろいろミスリードがあり過ぎで、かなり意地が悪い。

さらに言うと、あそこで恋愛を持ち出すのはなぁ。蛇足だったんじゃないかと思うのだけれど。すべては愛だよ、ということか。

 

 

 

以下ネタバレ。

個人的には、超高速の弾丸が因果関係を逆転させるのはいいとして、その弾丸と相互作用をした低速の物体はどうなるのかというのが、どうも解せない。壁を破壊するときに、穴の末端はやはり超高速になるので因果は逆転するが、穴の周囲はそのままなのだろう。その境界ではいったい何が起こっているのか。

因果の逆転する破片はどこからか(どこからだよっ!)飛んできて壁になる。因果の逆転しない壁は破壊されて外向きにバリを作る。では、穴はいつ空いたのか。うーん、光が見えた時には、すでに穴が空いているような気がするんだけど、どうなんだろう。

 


[SF] 迷宮の天使

2017-10-17 22:59:21 | SF

『迷宮の天使〈上下〉』 ダリル・グレゴリイ (創元SF文庫)

 

“自分”という意識は脳の活動の副産物にすぎず、自由意志は幻想でしかないと証明された近未来。

そんな梗概がまったくの嘘で、帯では『ブラインドサイト』のピーター・ワッツまで持ち出して、いったい何がしたかったのかと思うような、詐欺小説。少なくとも、これは脳科学SFではない。

著者自身の問題意識は人間の意識や脳の働きの不思議さにあるようだが、この小説においてはストーリー上の背景に過ぎず、さすがにこれを持って最新の脳科学が云々というには苦しいのではないか。

せいぜい、人間の脳は化学物質の影響を受け、感情や行動もその影響下にあるというところで、そんなことは近未来を待つまでも無く、現在でも否定するひとは少ないだろう。しかし、それをもって「自由意志は幻想でしかない」と断言するのはあまりにもひどい。

と言いながら、SFミステリのエンターテイメントとしては最高のデキなので、始末に困る。帯と裏表紙の詐欺的な紹介で、ある意味、手に取るべき人が手に取れないのはとても残念。

この小説は、その化学物質が簡単に合成できるようになり、様々な効果を持つ薬品が作り出されるようになった近未来の物語。

興味深いのは、物語の中心となる「ヌミナス」と呼ばれる新薬。これは服用すると、なんと、神が見える。神と言っても服用者によってその姿は異なり、主人公のライダには天使が見えるが、インド出身の青年にはガネーシャが見える。

何が面白いかといって、それをなぜ「神」だと思うのかということ。

かなりネタばれになってしまうが、後半には胎児の頃に「ヌミナス」の影響を受けた少女が登場するのだが、彼女には多数のIF(イマジナリーフレンド)達がいる。これが薬品の影響なのか、あるいは薬品とは無関係の精神疾患、ないしは、成長過程の精神のバグなのかは判然としない。

しかし、少なくとも、彼女にとって彼らは友達であって、「神」ではない。

神経学者のライダは、彼女の天使が“自分の分身”であることも理解している。天使は彼女が知り得ないことは教えてくれない。それでも、それが「神」であることを信じずにはいられない。

この小説で揺らぐのは自由意志の存在ではなく、神の存在であり、信仰である。たとえ「神」が化学物質の見せる幻であったとしても、ひとは信仰を得ることができるのか?

日本人にとっては、これは本質的に理解できない問いなのかもしれない。自分が「ヌミナス」を飲んだときに現れるのは、まさか阿弥陀如来ではないだろうし、アマテラスなんてどんな姿なのかもわからないし。もしかしてウルトラマンが出てきたら、それを神と呼べるのだろうか。どちらかというと、イマジナリーフレンドにしか思えないのじゃないだろうか。

まあ、そんなテーマはさておき、精神疾患を持つ登場人物たちが繰り広げるミステリアスでスリリングで疾走感のある物語を純粋にエンターテイメントとして楽しむのが良いのだろう。

 


[SF] 行き先は特異点

2017-10-10 22:45:15 | SF

『年刊日本SF傑作選 行き先は特異点』 大森望/日下三蔵 編 (創元SF文庫)

 

毎年、編者おふたりのアンテナの高さや読書量に驚かされるのだが、今年の目玉は「プロ作家による官能小説のアンソロジー」、要はエロ同人誌。書き手はお馴染みの方々なので安心ではあるのだが、こんなところからも収録しているのかと感心した。

コミック3作の中にも、完全下ネタが1作入っているのは、いったいどうしたことか、表現の自由を守るための戦いでも始めたのかと。

好みで言うと、「二本の足で」と「電波の武者」が傑出していて、さすがのS-Fマガジン。「海の住人」に出てくるセリフはいろんな意味で衝撃的だった。そして、一番笑ったのは、やっぱり「玩具」。


○「行き先は特異点」 藤井太洋
これが私小説というのがおもしろい。バグ修正パッチをコミットでもしたのか。わりとのどかな情景なのだけれど、配送担当者にしてみれば胃に穴が開きそうな感じ。鳥の飛行プログラム(プログラムとは言ってない)は、うちの研究室でもちょっとやってた。もう20年以上も前の話で懐かしい。

○「バベル・タワー」 円城塔
縦と横。というか、高さと広さ。東洋回帰と言いながら、英訳に適していそうというか、英訳したら受けそうな感じ。

○「人形の国」 弐瓶勉
長編の前日譚ということで、読み切りとしてはちょっと苦しいが、これだけでもイメージの奔流にさらされる。「絶望的な世界観のようですが僕にとってはこれが夢の国なのです」という著者の言葉は、とてもよくわかる。

○「スモーク・オン・ザ・ウォーター」 宮内悠介
宇宙人が地球を見たら支配者は昆虫だと思うだろう、という言説があるが、こういうこともあるだろう。紫煙はすでに絶滅危惧種だけどな。

○「幻影の攻勢」 眉村卓
タイトルがセルフパロディーでクスっとする。内容は社会問題をSF的に考えてみたというエッセイとも取れるようなもので、攻勢というには、まだまだ序の口。

○「性なる侵入」 石黒正数
こっちはP・K・ディックのパロディー。たしかに、奴ら生きてるし、抜け落ちた後でも繁殖するよね。

○「太陽の側の島」 高山羽根子
読み始めて、これってそういう話かなと思ったら、そういう話になった。ただ、双方ともにファンタジーが入っているところが気になる。つまりは、そういうことなんだろう。

○「玩具」 小林泰三
そんなオチ、笑うわ。

○「悪夢はまだ終わらない」 山本弘
子供のトラウマになることを狙ったという作品とはいえ、確かにやり過ぎな感じが。しかしながら、果たして本当のサイコパスにはこれが効くのかどうかが気になる。

○「海の住人」 山田胡瓜
人間そっくりのロボット、アンドロイド(ゴーレムでもいいけど)を作るというのは、人類が持つ夢のひとつだと思う。それに対する言葉が衝撃的で、ちょっと考えさせられる。

○「洋服」 飛浩隆
キャプション芸としてはちょっと長めかもしれないが、「ボケて」同じカテゴリー。しかし、この試み自体が「傑作」に値する。

○「古本屋の少女」 秋永真琴
同様のキャプション芸ではあるが、こちらは起承転結を持った、ちゃんとしたストーリーになっている。

○「二本の足で」 倉田タカシ
SFマガジン掲載だったので、二度目なのに、説明しようのないせつなさが溢れるのが不思議。嘘なんだけれど、失われたもの。まるで、夏空の写真のような何か。

○「点点点丸転転丸」 諏訪哲史
なんか見覚えあるぞと思ったら『アサッテの人』のひとか。SF傑作選に入れるには、ちょっと方向違いのような気がする。そこから消えた中黒の捜索を始めろよと。

○「鰻」 北野勇作
エロいっていうか、怖い。

○「電波の武者」 牧野修
これも二度目だけれど、支離滅裂なだけに、何度読んでも衝撃が薄れない。これ、暗唱できたら別世界へ行けそう。

○「スティクニー備蓄基地」 谷甲州
疑似生物的な兵器が気持ち悪くも興味深い。《航空宇宙軍史》は、ちゃんと読み直したいと思っているのだけれど……。

○「プテロス」 上田小百里
驚異の生態系。宇宙生物学者の決意。

○「ブロッコリー神殿」 酉島伝法
こっちも驚異の生態系。いつものように難読造語だらけだが、比較的、楽に読めた。ストーリーがSF小説のフォーマットに適合しているからかもしれない。

○「七十四秒の旋律と孤独」 久永実木彦
創元SF短編賞受賞作。なかなか襲われずに戦闘が始まらないので、あれっとなった。始まったら始まったで、旧式なのに意外に強くて、またあれっとなった。最後のオチは見事にミスリードに引っかかってた。

 


[SF] 巨神計画

2017-10-04 23:03:09 | SF

『巨神計画(上下)』 シルヴァン・ヌーヴェル (創元SF文庫)

 

ちょっとびっくりするくらい日本アニメに毒された、じゃなかった、影響されたカナダ発のSF小説。

会話記録のみで進む構成も話題の小説で、そんなこんなの評判を知ってからの入手。

正直言って、会話記録のみの構成は、最初のうちは背景が良くわからずに戸惑ったが、物語の全貌が見えてから超特急な感じ。特に、解説でも言及されているような、インタビュアー役の主人公が現場から実況でもするように記録された部分は臨場感抜群ですごかった。

登場するロボットは、背中から搭乗して内部から操縦するというスーパーロボット系。しかも、太古の宇宙人が残したオーパーツ。ってことで、操縦方法も『ライディーン』っぽい。

解説で『ゴッドマーズ』や『ザンボット3』が言及されているのは合体するところからなのだろうけれど、はたしてこれは合体なんだろうか。部品を集めて完成させるという意味では、『どろろ』なんかも思い出される。

そんなこんなで、幼少時代をロボットアニメどっぷりで過ごした人たちは熱狂間違いなしで、この小説を起点に、あっちこっちに脱線しながら一晩中でも語り明かせそうな作品。

さらに、主要登場人物があっさり退場したり、ああなっちゃったり、こうなっちゃったり、とにかく大変。ちょっと想像を超えた展開を見せたのにも驚かされた。

この辺りは少年少女が主人公となることが多い日本アニメとは違って、オトナのドロドロしたところだとか、国家のなんとかとか、ごにょごにょ。

SF的には、超兵器を大国が入手したらというifの物語でもあり、そういう議論も興味深い。特に、秘匿ではなく公開に傾くあたりが、インターネットによって変わりゆく社会を象徴しているようでもあり、おもしろい。

エピローグも、まさかという展開になっていて、次作へ続く。これは日本での出版が待ち遠しい。

しかし、これ、本当に映画化するのかね。

 


[SF] S-Fマガジン2017年10月号

2017-09-21 23:05:41 | SF

『S-Fマガジン2017年10月号』

 

「オールタイム・ベストSF映画総解説 PART1」と題して、1902年『月世界旅行』から1988年『ゼイリブ』まで、計250作を掲載。1ページに3作品のミニレビューがずらずらと並ぶのは圧巻。

なんだか見覚えがあるというか、懐かしい気持ちになるのは、大学SF研時代に似たようなことをやったことがあるからだな。規模は10分の1にも満たないけれども、朝から晩までレンタルしたビデオを必死になって(だってレビュー書かなきゃいけないし!)見ていたのはいい思い出。

やっぱり70年代以降だとそれなりに見ているものや、見ていないまでも知っている映画が多いけれど、それより以前は歴史的資料という感じ。でも『カリガリ博士』とか、見たような記憶も、見ながら寝たような記憶もあって、かなり曖昧。

残念なのは、総解説に力を入れ過ぎで、年代による傾向などを俯瞰した記事が無かったこと。とにかく漏らさず数で勝負というのはわからないでもないけれど、それだけの数のレビューから浮かび上がってくる意味を読み解くような記事があっても良かったんじゃないかと思った。

あと、この手のSF映画って、映像が素晴らしいのか、撮影技術が素晴らしいのか、はたまたストーリーが素晴らしいのか、といういろいろな軸で語れると思うのだけれど、そういう分類や分析も面白いんじゃないか。PART2ではそういった記事も期待したい。

特集以外で目についた、というか、気づいたのは、連載小説の多さ。長短含め、なんと7作品が連載小説。いや、なぜか連載コラム分類の『おまキュー』や『あしたの記憶装置』を入れると9作品だ。それに引き替え、読み切りはコミックを入れても3本。しかも一つは分載なので、実質は小説1本、コミック1本だ。

隔月刊になってから、連載は厳しいと言い続けているんだけど、逆行しているこの現状。原稿料の問題や、タイミング的に掲載作品がなかったということならばしかたがないけれど、意図的に連載強化しているのであればやめて欲しい。新規の読者が入りにくいし、継続して読んでいても2か月前のストーリーなんて覚えていないし、コラムだけを立ち読み推奨な雑誌になってしまいそうで。


 

○「翼の折れた金魚」澤村伊智
生命倫理、差別、教育、親子関係……と、いろいろとテーマが詰め込まれた重たい作品。ただ、設定が極端すぎてテーマ性だけが前面に出過ぎな感じもした。議論のための呼び水として書かれたものであればよいが。

○「鰐乗り〈後篇〉」グレッグ・イーガン
2か月前の〈前篇〉から一気読み。スケールの大きな話で、ちょっと実感がわかない。どこからかアクエリオンの主題歌が聞こえてきそうなラブストーリーと解釈した。で、白熱光とどうつながるんだっけ。

○「と、ある日の二人っきり」宮崎夏次系
今回はピンと来ない。芝生って、ネット用語的な“草生える”を意味してたりする?

ここからは連載。

○「椎名誠のニュートラル・コーナー」椎名誠
エッセイの連載名のまま、いつのまにか連載小説と化していた。それもあって、なんだかよくわからん。

○「マルドゥック・アノニマス」冲方丁
「法と正義を信じる」というのが、これからの対決のキーワードになりそう。

○「プラスチックの恋人」山本弘
笑ってしまうくらいネット論壇そのもの。山本弘本人も参戦している論戦そのものが思い出されて、メタに面白い。

○「忘られのリメメント」三雲岳斗
相変わらず急展開すぎて、どこに向かっているのかさっぱりわからない。

○「マン・カインド」藤井太洋
まだまだ世界観の序の口。

 


[SF] 書架の探偵

2017-09-12 23:05:28 | SF

『書架の探偵』 ジーン・ウルフ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

最初に「本が探偵の推理物」と聞いて興味をそそられた。しかも、著者はジーン・ウルフだと言うではないか。これはと思って期待して読み始めた。

細かく言うと、本が探偵ではなく、作家の複製体(リクローン)の主人公が探偵役。著作物だけではなく、作家本人に文化的価値を認めて、それをどうにかして保存しようというのは非常に良いことだと思うのだけれど、保存の仕方が大問題。

複製体がどのようなモノなのかは説明はされないのだけれど、見た目はヒトと区別がつかず、自我も感情もあり、スキャンされた時点での著者の記憶も持っている。しかし、あくまで彼らはモノでしかなく、図書館の狭い書架に押し込められて生活し、その生活さえも展示物としてプライバシーなく公開される。

なおかつ、図書館の蔵書ならぬ蔵者であるため、閲覧や貸し出し実績が無ければ、いずれ焼却処分にされるという。

「もし本が人間だったら」というifに、電子書籍に押されて行き場の無くなった紙の本の悲哀を込めているのだろうが、蔵者である彼らはその運命に反抗するのではなく、静かに受け入れ、ただひたすらに利用者に貸し出されることだけを願う。

そんな蔵者であるE・A・スミス(E・E・スミス! C・A・スミス!)の前に、謎とともに現れた女性コレットが彼を借り出したところから、ミステリーの王道である殺人事件の謎解きが始まる。

さて、ジーン・ウルフと言えば、“信用できない語り手”がよく登場する。この物語も、当然ながら、そう。

最後に殺人事件は解決したかに見えるのだが、その結末からも、コレットが“信用できない語り手”であることは明らかだ。

さらに、この物語の語り手であるスミスは作家の複製体である。しかも、『火星の殺人』なんてタイトルの作品を書くような人物の複製体である。彼は、図書館において、複製体が文章を書くことを許されていないことに憤りを感じている。そんな人物が隠れて書いた文章が、すべて脚色無しのノンフィクションであると考える方がどうかしている。

そう考えると、「鍵のかかったドア」の向こうの世界なんかは、実は書かれたようなそのままの場所では無いのではないかとか、いろいろと想像が膨らむ。

実際、記述の中には矛盾もあるし、主人公自身がそれに言及しているシーンさえある。それが、どこまでが著者(ジーン・ウルフ)のミスで、どこまでが計算なのかは知る由も無いわけだが、それでもやっぱり、隠された真実があるような気がして、もう一度最初から読み返してみたくなるのである。

 


[SF] ヒトラーの描いた薔薇

2017-09-07 23:31:44 | SF

『ヒトラーの描いた薔薇』 ハーラン・エリスン (ハヤカワ文庫 SF)

 

エリスンの日本第3短編集。これまでまったく出なかったのに、『死の鳥』に続いての出版。

しかしながら、ケチャドバ現象というよりは、『死の鳥』が好評だったせいで、慌てて二匹目のどじょうを狙ったでしょう的な感想を持ってしまう。作品を新しく集めましたというより、前回の残り物ですがという感じがするのは仕方がないのか。

なんだか前二冊に比べ、社会的というか、文学的というか、とらえどころの無さを感じた。テーマが直接的すぎると、敢えて裏読みしたくなるというか、その表象は本当にそのものを描いているのだろうかとか。読んでいて解釈に迷う。

短編の扉それぞれにコピーライトが記載されていて、80年代以降に“Renewed”とされているものが多いのだけれど、『死の鳥』以上に古臭さを感じてしまったのは、このあたりの社会的テーマが、そのままでは古臭くなってきているのかも。

中心となるネタや思想は普遍的なものであっても、その切り口は聞き飽きたぐらいのものになってしまった。特に差別関係は、最近だとそういう露骨なモノではなく、もっとオブラートに包みつつも苛烈なモノだったりしないだろうか、とか。

大野万紀の解説で“エリスン神話”と名付けられている怒りの神話に関しては、なるほど、言えて妙だ。社会に対する怒りがこの世界を作った神へと向かうというのは、日本人的宗教観だとなかなか共感はできないのだけれど、エリスンの作風を通してみると、かえってそれが理解できるような気がする。

WEB本の雑誌で牧眞司が平井和正を引き合いに出しているのも、なんだか納得。確かに、『狼男だよ』あたりは、いわゆるエリスン神話に近いのかもしれないし、神への怒りと否定を後期の作品にもつなげるのも容易そうだ。



○「ロボット外科医」
かび臭くて古すぎ。しかし、人工知能脅威論に見えて、人工知能はあくまで手段という論点は、現代よりも進歩的。

○「恐怖の夜」
露骨すぎ。と思ったけれど、1961年はこういう社会だったのだという(すでに)歴史小説。

○「苦痛神」
人生は苦痛に満ちている。ゆえに、神は苦痛を与える存在である。まったく、何の疑問も無い。そして、涙は幸福である。

○「死人の眼から消えた銀貨」
えーと、この主人公って誰?

○「バシリスク」
理不尽な群衆は、ネットのなかで山ほど見かける。

○「血を流す石像」
その時代の背景込みでないとわけが分からないし、一方的な攻撃に過ぎない。

○「冷たい友達」
こういうのが“愛なんてセックスの書き間違い”ってこと?

○「クロウトウン」
「失われたものが行きつく国」というモチーフの模範回答。

○「解消日」
和訳に苦労した割には、アイディア倒れに作品に見えるんだけど……。

○「ヒトラーの描いた薔薇」
地獄に行く者と天国に行く者を取り違えたドタバタの脇で、静かに薔薇を描き続けるヒトラー。つまり、彼にとっては、そういうことはまったく意味が無い。

○「大理石の上に」
うーんと、プロメテウス? おまえら失敗作なんじゃ糞ボケ的な?

○「ヴァージル・オッダムとともに東極に立つ」
この短編集の中で最もSF色が強く、最も美しい情景の作品。ある意味、最もエリスン的では無い作品かも。

○「睡眠時の夢の効用」
この短編集の中で最も新しい作品。タイトルに関係する議論と、主人公が吹き出しているものとがいまひとつ整合性がつかない。向きも逆じゃないかと思うんだけど、何か読み間違えてる?

 


[SF] あとは野となれ大和撫子

2017-09-04 21:42:22 | SF

『あとは野となれ大和撫子』 宮内悠介 (角川書店)

 

ソビエト時代の自然改造計画によって干上がってしまったアラル海。水が引いたその空白の土地に作られた独立国、アラルスタン。その後宮を舞台に、少女たちが国家の危機に立ち向かう。

あらすじを聞いたときは、荒唐無稽なファンタジーかと思ったが、そこは宮内悠介。何とも不思議な感じの“空想”+“科学”小説だった。というのが感想。

アラル海と言えば、ソビエト時代の失政、科学技術が環境を破壊した象徴として語られることが多い。しかし、この小説には、そのような自然保護観点の科学技術批判は見当たらない。それどころか、知識や科学を武器として、旧来の社会や政治に立ち向かう少女たちの物語になっている。

後宮とはいえ、初代大統領の時代には側室のために造られたにせよ、今では有望な少女たちの高等教育の場になり替わっている。そこには、身寄りのない少女たちや、教育を受けるために後宮を目指してやってきた少女たちが集まり、政治家や外交官、科学者へと育っていく教育機関へと変わっていた。イメージ的には、後宮ではなく、修道院とでも呼ぶべきかもしれない。

そんなときに突如として起こった大統領の暗殺と政治的空白。周辺国の軍事的圧力を恐れた議員たちは慌てて逃げ出し、議事堂はもぬけの殻。そこで、行くあてのない少女たちが臨時政府を立ち上げる。

少女たちは叩き込まれた知識と、鋭い洞察力と、若さゆえの無鉄砲さを持って、国内外の勢力と対峙していく。その様子を、時にコミカルに、時にスリリングに描き、読者を退屈させない。これはノンストップのエンターテイメントだ。

しかし、個人的に読んでいて心に残ったのは、アラル海をひとつの例とした科学技術の功罪の二面性だ。

自然を改造できると思い上がった科学者が大自然から大きなしっぺ返しを受けた。それが自然改造計画の唯一の成果だ。そんな短絡的な結論では終わらない。アラル海の干ばつは新たな土地を作り、新たな国を作り、ゆくあてのない民族や人々を受け入れ、塩分の多い土地での新たな農耕技術や真水精製技術を生み出した。さらには、干上がった白い土地は太陽輻射を跳ね返し、地球温暖化の抑制にも一役買っているかもしれない。

科学を自然破壊の元凶として全面的に否定するのではなく、かといってバラ色の未来をもたらすものとして全面的に肯定するのでもなく、社会を成り立たせるための必須の要素として、なおかつ、政治的、社会的にコントロールすべき要素として、バランスのとれた見方を提示しようとかなり気を使っているように思った。

さらにもうひとつ気になったのが、物語における日本という国の位置付け。

協力隊の家族としてアラルスタンへ赴き、そこで家族を失い、後宮に保護された主人公のナツキ。彼女は父の意志を継ぎ、塩の大地に緑を蘇らせようと夢見る。

狂言回しのように現れる、自転車で中央アジア横断にチャレンジ中の青年は、人々との交流の中で、アラルスルタンに役立つ研究のために、日本で復学する決意をする。

ふたりの登場人物は、もしかしたら日本人である必然性は無かったかもしれない。さらに言うと、「あとは野となれ」というセリフは出てくるが、「大和撫子」という言葉は出てこない。それだけ、日本という国が中央アジアとのかかわりを持ってこなかったことを象徴しているかもしれない。ウズベキスタンやカザフスタンはサッカーで戦う相手であって、商業や観光で滅多に訪れる国では無いのだ。

しかし、ナツキの夢には日本の農産物改良技術が役立つかもしれないし、チャリダーの彼はブログで国外脱出を記しながら、エピローグにも出演する。そういった日本人の係わり合い方にも、著者の込めた思いを読み取れるような気がした。

 


[SF] 母の記憶に

2017-08-21 22:13:54 | SF

『母の記憶に』 ケン・リュウ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

ケン・リュウの日本オリジナル第二短編集。

ケン・リュウといえば、前回の『紙の動物園』や、今回の表題作「母の記憶に」などから叙情的なSFの名手と思っていたのだけれど、今回の短編集はもの凄くバラエティに富んでいて、ちょと認識を改めた。

SF的要素のほとんどない中華ファンタジーから、バリバリの本格SFに至るまで、様々な形式の作品が収められている。ひとりの人間がこれらを全部書いたというのが信じられないほどだ。ピース又吉から『紙の動物園』経由でこの本を手に取った人に取っては、逆に違和感があったり、新鮮だったりするんじゃないだろうか。

さらに、このブログでは特に言っておかなければいけないのは、こういう境界領域と見做される作家に多い、SFへの理解の無さを全く感じることがなかったということ。この人、こちら側の人だよ。

「重荷は常に汝とともに」なんて、60年代の日本SFと言われても納得するし、「シミュラクラ」なんて、イーガンが書いてもおかしくない本格SFだし、「レギュラー」にいたってはSFハードボイルドで本当にびっくりだ。

それでいて、「草を結びて……」だったり、「万味調和」だったり、中国生まれのアメリカ人としての立ち位置を体現するような作品も素晴らしいし、一般的にはこちらの顔の方がフィーチャーされるのは良くわかる。

そんなわけで、いずれも甲乙つけがたい珠玉の作品集であるわけだが、今回の作品集の中で敢えて【好み】で選ぶとすれば、やはり「烏蘇里羆」と「母の記憶に」。前者は北海道ゆかりの作品であるというだけで満点。後者はSFファンだからこそ、この濃縮された感動を味わえるのだと思いたい。

一方で、どれが【完成度】が高いかと言われれば、「万味調和」を選ばなければならないだろう。アメリカ西海岸に渡った中国人たちの物語なわけだが、事実だけが書かれているはずのエピローグが、まるでSFのオチであるかのような衝撃だった。


「烏蘇里羆」
魔術(妖怪)とスチームパンクの共存する世界はワクワクするが、歴史はその共存を許さない。蝦夷の地から満洲へ追いやられた羆族には三毛別事件の影も見られるし、アイヌの姿も重なる。道産子としては必読の一篇。

「草を結びて環を銜えん」
緑鶸が雀を守ろうとする気持ちと、それに最後まで気づけなかった雀の幼さが泣ける。緑鶸の優しさと勇気が伝えるメッセージが多くの人々に届きますように。

「重荷は常に汝とともに」
古代文明を読み解くことの難しさを皮肉るような作品。なんというか、とても日本SFっぽい。

「母の記憶に」
ものすごく短いシーンの羅列にすぎないのだけれど、そこに濃縮された時間の積み重ねを感じる。娘を思う母の気持ちと、母を思う娘の気持ちが何度もすれ違い、それが寄り添った時には残された時間はあまりに少ない。良くある話がさらに圧縮されて、感動が際立つ。

「存在」
こちらも良くある話が、テレプレゼンスという技術によって距離が圧縮される。このタイトルに「遠隔(テレ)」を付けない「存在(プレゼンス)」としたのもテーマを際立たせている。

「シミュラクラ」
これも父と娘のすれ違いの可視化。ちょっとSF的な視点では、登場キャラクターのどこまでがシミュレーションなのかが曖昧なところが面白い。

「レギュラー」
驚くほど形式にのっとったSFハードボイルド。タイトルの言葉が様々な意味で物語に登場するが、“regular”とはどういうことかと、そのたびに考えさせられる。

「ループのなかで」
“こちら側”のループ。描かれない“向こう側”のループ。悲劇も愚行も繰り返される。

「状態変化」
魂のありかの問題と、そんなの気のせいということ。

「パーフェクト・マッチ」
人に奉仕するアルゴリズムがモンスター化する話を、もうひとひねりしている。こっちの方が本質的な問題。

「カサンドラ」
運命と自由意思の戦い。敵はスーパーマン。

「残されし者」
著者にとっては重要なテーマの様だが、この手の話はいろいろ破綻しているように見える。世界が破滅したなら、誰がサーバーを管理しているのだ?

「上級読者のための比較認知科学絵本」
タイトルが指すものが何かが分かったときのちょっとした感動。

「訴訟師と猿の王」
史実を下敷きにした中華系ファンタジー。しかしまぁ、彼の地での虐殺事件は多いな。そのあたりは南京事件の認識にも影響しているんだろう。ところで、孫悟空って、アメリカ人は知ってるのか。

「万味調和」
悟空の次は関羽。これも史実を下敷きにした中華系ファンタジーと言えるが、ファンタジー成分はほとんど無し。しかしながら、史実がまるで作り話のように聞こえるところが皮肉にもファンタジー。

「『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」(〈パシフィック・マンスリー〉誌二〇〇九年五月号掲載)」
舞台は現代的なパラレルワールド。作風としては、魔術とスチームパンクの系譜。初読では世界観に惹かれたが、読み直してみると、夫婦のすれ違いと、それでも揺るがない絆の話。こういう、普遍的なテーマをSF的に凝縮するテクニックは巧い。

 


[SF] S-Fマガジン2017年8月号

2017-08-01 22:22:47 | SF

『S-Fマガジン2017年8月号』

 

スペースオペラ&ミリタリーSF特集。

ローダンのリブート《ローダンNEO》は非常に大きな驚きだ。《ローダン》さえ読み切れないのに、新版かよと。これからの若者たちは、NEOだけを読むのだとすると、本家《ローダン》は先細りになってしまうんじゃないかとか。そもそも、《ローダン》ってどれくらい売れてるんだろう。これだけ続いているってことは、充分な読者がいるんだよな。正直言って、高校大学時代から、熱心に読んでいる人は周囲に誰もいなかったんだけど。これが凄い不思議。

そして、《ローダン》はさておき、最近のハヤカワ文庫 SFは《オナー・ハリントン》やら《シーフォート》やら、やたらとミリタリー系スペースオペラを出版しているイメージ。これが個人的にはなかなか乗れないものがあり、あんまり読んでいない。

おそらく、ミリタリー系(宇宙軍をミリタリーって言っていいのかは議論があるのかもしれないけれど)SF以外は、新☆ハヤカワ・SF・シリーズからの文庫化以外、ほとんどないんじゃないかと言う勢いだ。

個人的な趣味からすると、もうちょっと本格SF(だからそれはいったいなんだ!)的な作品も出して欲しいと思うわけだが、そういう視点では、どう考えたって、去年も今年も創元SF文庫の圧勝だ。『SFが読みたい!』のベストSFでも文庫勢が上位にくることを考えると、日本SFに続き、海外SFもハヤカワ惨敗なんてことになるんじゃないか。

いや、きっとおれの知らないところにミリタリーSFのファンがいっぱいいるんだろう。実物は見たことないけどさ。

特集以外の記事で興味深かったのは、「筒井康孝自作を語る」と、藤井太洋とケン・リュウの対談ぐらいか。特集のネタにあまり興味がないと、読み応えが無いな。

 


「プラネタリウムの外側」 早瀬耕
あまりに簡単に再現できてしまうあたりは嘘臭いけれど、ちょっと胸に来るエピソード。死者が“残せなかった想い”をどう受け止めるかというのは、重たい問題。

「と、ある日のズゥン」 宮崎夏次系
いろいろなものが詰め込み過ぎで濃縮過ぎ。これはこれでよい。

「《偉大な日》明ける」 R・A・ラファティ
残念ながら、どこが面白いのかさっぱりわからず。

「鰐乗り〈前篇〉」 グレッグ・イーガン
良くわからないので、〈後篇〉の前に再読予定。

谷甲州「新航空宇宙軍史」は読み切りとは認めない。なんで連載じゃないんだろう。

大井昌和「すこしふしぎな小松さん」は宣伝メタもの。最近、こういうの多いな。

連載では、山本弘「プラスチックの恋人」が遂にショタコン歓喜の濡れ場。

三雲岳斗「忘られのリメメント」はショッキングな展開の割に、いまだ行先不明。

冲方丁「マルドゥック・アノニマス」は痛快な反撃開始だが、彼らを“善の勢力”と呼んでいいのか?

新連載の藤井太洋「マン・カインド」は出だしとしては面白そうで、期待大。果たして、これこそミリタリーSFになるのかどうか。