
拝啓、世界の路上から 第15話「混沌の聖地へ/インド」(後編)
デリーからの夜行列車で、バラナシに着いたのは朝の10時半頃。列車の中で偶然ニューデリー駅の外国人チケットオフィスで会った日本人青年、フジバヤシ君とばったり再会し、チケットを確認すると座席も前後。じゃあバラナシまでご一緒しましょうということになる。
列車は2Aのコーチで広々としており、エアコンも効いていて快適。だがここで問題が発生。実は茶羽ゴキブリが大量発生しすでに2、30匹は殺しているというのに、次から次へと沸いてきてキリがない。イースター島(第8話)の時も話したが、僕は大のゴキブリ嫌いなのに枕元をチョロチョロ走られるので、寝ながら間違って食べちゃったらどうしようと気が気でない。おまけに風邪の下痢も再発し、トイレに行くこと十数回。脱水症状ぎみでフラフラになりながら、バラナシのカントメント駅で降車する。
話の流れでバラナシの町もフジバヤシ君と一緒に回ることになり、2人でオートリクシャ(タクシー)に乗ってガンジス河沿いの旧市街に向かう。
ヒンドゥ教徒に母なる大河と呼ばれ信仰されている、ガンジス河のほとりに広がる人口約120万人の町バラナシは、ヒンドゥ教三大神の1人であるシヴァ神の聖地であり、年間100万人もの巡礼者が訪れるヒンドゥ教の七聖地の1つ。ヒンドゥの教えではこの地で生を終えて火葬され、遺灰をガンジス河に流されたものは天国に行けるといわれている。
一方我々のようなバックパッカーにとっても、ヒマラヤ山脈に抱かれる国ネパールと、インドとを結ぶ交通の要所であり、さらに東のカルカッタと北のデリーとを移動する者、ヒンドゥの聖地で沐浴したいと思う者、数え切れない多くの旅行者がこの町に立ち寄る、北インド有数の観光都市となっている。
僕達を乗せたオートリクシャは、走り出して5分もすると辺鄙な場所で急に止まる。そしてそのリクシャの運転手が、僕達が告げた宿とは違う宿へ行かないかと切り出してきた。なんでも僕達の予定している宿へ行くには途中の路地が狭く、その1km手前までしかリクシャでは行けないからというのだ。
最初乗るときに宿の名前を告げると、その宿をよく知っていて宿のすぐ前まで行ってくれると、事前に何度も何度も確認してから乗っているのにも関わらず、このような提案をしてきたのだ。
約束が違うだろうが!と言うが、じゃあ1kmも歩くのか?無理だろう?などと強気に出てくる。それならもういいとリクシャを降りようとすると、バカ!と大声で罵声を浴びせてきた。
それでも無視してフジバヤシ君にさっさと降りようと誘うと、今度はおもちゃのピストルを僕に向けて、ぶっ殺すぞ!と低いドスのきいた声で脅してきた。
こちらも完全にキレて、ああ上等だ!やれるものならやってみやがれ!と日本語で吐き捨て、そのリクシャを飛び降りる。
すぐさま他のリクシャを探そうとするが、ここはリクシャがあまり通らない場所らしい。ヤツはわざとこの場所を選んで車を止めたようだ。だがいつまで待っても他のリクシャが通りそうにないので、少し歩いてから探すことに。
しばらく歩くと、リクシャが行き交う通りに出る。だがやはり宿の名前を告げると、オートリクシャでは近くまでは入れないといわれる。ヒラバヤシ君がガンジス河沿いのその宿にどうしても泊まりたいというので、しかたなくサイクルリクシャに乗って20ルピー、50円でその宿の近くまで行ってもらうことにする。
サイクルリクシャというのは自転車の後ろにギリギリ2人乗れる程の、小さな座席が付いている人力タクシーなのだが、僕達はバックパックやギターを持っている上、道が悪くガタガタと揺れ今にも振り落とされそう。荷物用のスペースなども当然無いので、重い荷物を片手で宙吊りにしなくてはいけなく、乗り続けるのがかなりツライ状態。またリクシャの運転手も相当辛そうで、少し悪いことをしたかなと思う。
15分程走ってリクシャは、ダシャシュワメードガートというバラナシ最大の沐浴場の近くに止まった。ガート(沐浴場)というのは、ヒンドゥ教徒の信仰の対象である、ガンジス河に入って体を清める為の場所だ。
運転手にありがとうとお礼を言って、少し多めにお金をあげてリクシャを降りる。そこから細い路地に入り、予定していた宿を探す。だがなかなか見つからない。しかも道には牛や人のウンコだらけ。すごく臭い。
さらに紹介料をせしめようと、客引きのインド人がさっきからずっと付いて来る。初めは無視していたが、あまりにもしつこいので追い払う。だがなかなかあきらめずいつまでもしつこくついてきて、他の宿に連れて行こうとする。ストーカーもびっくりする程のしつこさだ。
その内こちらもキレて、あっちいけバカヤローと怒鳴ると、他のインド人達と一緒になって、メニ―・ジャパニー、バカ・バカ・アンポンタン!とからかってくる。
予定している宿もかなり奥まった場所にあるのか、いくら探しても見つからない。おまけに通路はかなり入り組んでいて迷路の様。このままだと迷子になりかねない。残念だがその宿は諦め、他の宿を探すことに。
しかし重い荷物を担いで歩き回ったのがいけなかったのか、興奮して怒鳴ったのが原因かはわからないが、どうやらまた風邪をぶり返したらしい。熱も出てきたのか目眩いもする。
とりあえずどこか安全な宿をと、僕が唯一知っているバラナシの日本人宿クミコハウスを目指す。だが次に乗ったオートリクシャも、知っている宿だから大丈夫といったにも関わらず、紹介料をとろうとまた別の宿に連れて行こうとする。こちらが指定した宿以外は金を払わないと言うと、判ったお前のいう通りにすると答えるがものの2分もしないうちに、また違う紹介料のとれる宿へ連れて行こうとする。アホかお前は。
しかたなくこのリクシャも降りてさらに別のリクシャに乗るが、こいつもまた同じことを繰り返す。おまけに先程から次から次へと客引きが群がってきて、俺の知っている宿に泊まれ、いや俺の宿だと次々に声をかけてくる。いらないと言っても一歩も引き下がらないので無視していると、こいつらも揃ってバカ!バカ!と罵声を浴びせ始めた。
最後には皆でそろってバーカバーカの大合唱に。いったいどうなっているのだ、この町は。狂ってる。
熱もかなり高くなってきて、もうほとんど意識がない。さらに腹も痛くなり最悪の状態。そして数台のリクシャにあちこち連れまわされ、持っている地図からもすっかり離れてしまった場所で、今自分達がどこにいるのかもわからない。
でもこんな時相方がいるのは心強い。先程まで不安げにしていたフジバヤシ君が、僕の状態を察してくれ、たまたま通りがかった日本人に現在地を聞いてくれて、彼達の泊まっている宿を紹介してもらったのだ。すぐさま別のリクシャを拾い、その通りがかりの日本人と共に、その宿まで連れて行ってくれた。そしてそれぞれシングルルームにチェックインする。ここがトイレ・シャワー共同で1泊80ルピー、200円。
体調が悪い僕は、夕方まで薬を飲んで寝ることに。
その薬が効いたのか熱は少し下がったのだが、酷い下痢が続き、体中の水分が無くなって脱水状態になる。
少しでも体に何か入れようとフジバヤシ君と一緒に、宿近くの洋風レストランで夕食をとる。また薬を飲んで安静にし水分補給も絶やさないようにするが、下痢はさらに酷くなり、この晩だけでトイレに30回以上も起きるはめになった。こんなに酷い下痢は初めてだ。
翌朝、フジバヤシ君が部屋にでかいヤモリがいて、とてもじゃないが耐えられないというので、他のもう少し良いホテルに移ることに。僕の部屋にもでかいヤモリが3匹いて、天井や壁を這いずり回って餌のハエなどをバクッと食べていた。また昨夜は熱と下痢にうなされて眠れなかったので、そいつらをポチ、タマ、まさおと勝手に名付けて、ベッドで横になりながらじっと観察していたのだ。なぜ1匹だけまさおなのかは、僕にも分らなかったが、なんとなく顔がまさおって感じ。直接的に害がある訳ではないし虫を食べてくれるので、実を言うと僕はあまり気にしていなかった。
だが問題はトイレの方で、昨夜のように5分おきにトイレに走るような状態で共同トイレはかなり辛い。今は幾分良くなってはいるが、またいつ体調が悪くなるか分らない。そのトイレに誰かが入っていると別の階に走らねばならず、万が一間に合わないと困るので、できれば部屋にトイレがある程度の少しマシな宿にと、一緒に移動することにしたのだ。
そしてこの日は前日の宿近くにある見栄えの良いホテルで紹介された、アッスィーガートという沐浴場近くの、奥まった所にあるホテルに泊まることにする。本当はその見栄えの良いホテルに泊まりたかったのだが、満室といわれたからだ。ここが1泊シングルで150ルピー、375円。
少し高い宿なので部屋はまずまず。しかしここの従業員が最悪で、顔を合わせる度に僕達をツアーに行かせようとする。いらないと断っているのに部屋にまでやってきて、ドンドンとドアを激しく何度も叩き何度も勧誘される。
宿の食堂で食事をしていてもすぐまたツアーはどうだと誘われ、そのくせ頼んだ食事は忘れてこなかったりするものだから、呆れてモノも言えない。
それでもこの日も昼間部屋で休んでいたせいか、だいぶ体調が戻ってきた。
夕方少し元気になったので、宿から歩いて10分程のアッスィーガートへ、ギターを持って出かけることに。そして沐浴場のコンクリートの階段に腰を下ろし、ギターを片手に歌い始める。
するとここでも大勢の子供達が寄ってきて、あっという間に囲まれる。そのまま歌い続けると、ガンジス河に吸い寄せられるようにして、言葉とフレーズの1つ1つがまるでシャボン玉の様に次々に消えて行く。そしてスローバラードを歌い出すと一瞬シーンとなり、歌声があたり一帯に響き渡った。
僕の周りにいる子供達は、いわゆるカースト外(どのカーストにも属さない、それ以下という位置付け)の乞食の子供達だったが、非常に人懐っこくてすぐに仲良くなれた。
トラブルで行けなくなってしまったが、もし予定通りデリーで列車の乗り換えが出来ていれば、カルカッタのマザーハウス(マザーテレサの建てた施設)に住む孤児達に、自分の歌を聞いてもらおうと思っていた。でもそれが駄目になり泣く泣く諦めたのだが、これでその代わりが出来たような気がしてなんだか少し嬉しかった。
しかし30分もすると雨が振り出してきて、どんどんと雨足が強くなる。雨宿りする場所もないので、1時間半くらい歌ったところで切り上げて宿に戻ることに。
道のあちこちにある、多くの野良牛の糞や人糞が雨で流れ出し道はぐちゃぐちゃ。かなり非衛生的だ。歩いていても土なのかウンコなのかまったく分らない。もう最低。
それでもなんとか宿に戻ってくると、この宿でも巨大ヤモリが大量発生し、あちこちの壁や天井にへばりついている。やはり雨季のバラナシは、どこへ行っても同じなのかもしれない。フジバヤシ君はちょっとブルーのようだったが、僕は少し体調が良くなったこともあって、この晩は快適に眠ることができた。
次の朝、フジバヤシ君と2人でマニカルニカーガート近くにある、バラナシ最大の火葬場に行く。ここも細い路地を抜けていくのだが、途中また頼んでもいないガイドが勝手についてきて、あれこれと説明を始めた。僕は無視していたが、フジバヤシ君は彼の話に熱心に耳をかたむけている。
しばらくしてその男に、火葬場横の死を待つ人の部屋に連れていかれる。そこには1人の老婆が寝ており、彼の話ではここで死ぬのを待っているとのこと。でも彼女には身寄りが無く、彼女を燃やす為の薪代を寄付しろといってくる。藤林君は彼の言い値である、50ルピーを払っていたが、僕は完全に無視。この自称ガイドがその老婆と無関係であるのは、誰の目にも明らかだったからだ。それでも彼はしつこく僕のカルマ(汚れ)を取り除く為にお布施を出せと迫ってきたが、カルマを取り除く必要があるのは、僕ではなくこの男の方じゃないかと思い断る。
フジバヤシ君にも、お金を払う必要はないと忠告したのだが、彼いわく納得して払ったそうなので、まあそれは個人の自由だとそれ以上は何も言わなかった。
しばらく2人でガンジス河と、燃える死体をぼおっと眺めていた。そしてフジバヤシ君がぽつりという。「うーん、やっぱりバラナシって、生と死が交わる場所ですね」と。
しかし僕の印象は少し違う。
ガンジス河が雨季の為茶色く濁っていたこともあるが、僕にはただの何てことはない汚い川としか思えなかった。そして火葬場にしても、近代化されているという違いはあるものの、日本にも幾らでもあるではないかと思う。
僕は親族の死を何度もこれまで見送っているので、火葬の方法という意味では確かに興味深いものの、何もここまで来ないと「死」というものを実感できないのかと、少し寂しく思う。
人間は確かに皆いずれ死ぬ。だからこそ今を生きようと思う。そういう意味で「死」というものを意識するのは大切だが、バラナシに来ないとそれを感じられないというのは、少し違うのではないかと思うのだ。
ガンジス河は確かにヒンドゥ教徒の聖地だし、それは疑いのない事実だ。しかし同じインド人でもスィーク教徒や、イスラム教徒はこの町では見かけない。それをまったく無関係な日本人が、無条件にありがたがるのはどうかと思う。
ヒンドゥに帰依するものならいざ知らず、皆が無条件にクリスマスや初詣をごっちゃにする同じ次元でありがたがって、聖地だ聖地だと持て囃すものだから、この町の人心もツーリスト、特に日本人に対して擦れていくのではないのか。
目を凝らしてこの町をよく見てほしい。剥き出しの悪意が、これほど顕著に表れているのは、今インドのどの都市よりも酷いのではないか。
沢木耕太郎の深夜特急に憧れ、この地を目指す若者は今も昔も数多くいると思うし、僕もその内の1人だ。しかし僕達は自分自身のこの目で、現実をちゃんと直視することが大切だと思う。
簡単に騙され現地の人間にとっては1年分近い給料を、気安くほいほいとバラ撒けば、次第に人を騙して金を取るのが当たり前のようになってしまう。バラナシをここまで悪意に満ちた町にしてしまったのは、僕達外国人旅行者の責任では無いのか。これでは確かに彼達のいう通り、メニージャパニーは、バカで、アンポンタンで、騙されて当然の存在なのかもしれないと思う。
僕達1人1人それぞれに、目と、耳と、体と、心があるのは、自分自身でちゃんと物事を受け止める為にあるのだと思うし、それはすごく大切なことだと思う。
だからこそ、この町を訪れる旅行者に問いたい。ガンジス河は、バラナシは、本当に「君にとって」聖地なのかと。
考えた上でそれでもここは聖地で、ガンジス河をありがたがるならば問題はない。ただガンジス河やバラナシ=(イコール)聖地というモノの見方は、とても危険なことではないかと、僕はそう強く感じずにはいられないのだ。そしてそのことは日本から遠く離れたある国の、一地方都市に限ったことだけではないと思う。
僕達1人1人それぞれに目と、耳と、体と、心があること。それはとても重要なことのような気がするのだ。
火葬場を離れて、今日の夕方デリーに戻るというフジバヤシ君と別れる。その足で宿をチェックアウトし、オートリクシャで鉄道駅へと向かうことに。
事前に40ルピーと約束していたにもかかわらず、支払いの時になって50ルピーと催促されたが、少し体調が戻った僕は笑顔でサンキューと40ルピーだけを彼の手に渡し、予約した列車に乗った。
さらば混沌の町、バラナシよ。
バラナシから夜行列車で走ること29時間、ムンバイ(ボンベイ)のビクトリアターミナス駅に再び戻ってきたのは、翌日の午後3時。そしてそのままタクシーに乗って、サルベーションアーミー(救世軍)という、以前僕が宿泊していた宿へと向かう。
宿に着き受け付けに行くと、ドミトリールームのベッドに空きがあったので、チェックインし部屋に入る。本当は今晩の深夜便で香港に向う予定なので、宿泊する必要はないのだが、疲れていたので少しだけでも横になろうと宿をとったのだ。
部屋に入るとそこには、他にも3人の日本人が部屋で寛いでいた。彼達と旅の話をしたり、ギター片手に歌ったりしながら時間が過ぎて行く。
その後宿の食堂で夕食を取り、部屋に戻る途中の階段でまたギター片手に歌っていると、オーストラリアとニュージーランドの女の子2人組みが、階段に腰掛けじっと僕の歌を聞いている。そして彼女達は曲が終わると拍手してくれた。
しかし次の曲の途中で、ギターの3弦が切れる。すぐさま弦を張り替えようと思ったが、どうやら代えを切らしてしまったらしい。
困っているとニュージーランドの彼女が、私持っているわよと自分の部屋に戻って、3弦を1本持ってきてくれた。弦の代金を支払おうとするが、いいわよそんなのと言って受けとろうとしない。
話してみると彼女もギターを弾くらしく、それならと彼女のギターと僕の歌でセッション大会となり盛り上がる。
しかし30分もしないうちに、もう夜も遅いのでとガードマンに止められ、お開きになってしまった。せっかく盛り上がってきたのにすごく残念だ。
それでも僕達のセッションに感激しましたといって、相部屋の日本人青年がジュースをご馳走してくれる。なんだか少し悪い気がしたが、ありがたく好意に甘えることに。
深夜12時になったので、宿をチェックアウトしてタクシーで空港へと向かう。予定では明日には香港、そして明後日にはいよいよ日本だ。そう間も無く長いようで、あっという間だったこの旅が終わろうとしている。
やっと終わるという達成感と、終わってしまうという寂しさ。まだ見ぬ明日への期待と不安が入り混じった複雑な心境。この先いったい何が、この僕を待ち受けているのだろう。
そして僕はこの旅をしたことで、何が変わって行くのだろうか。
何かを探すように始めた旅。果たして僕はその探していたものを、見つけることが出来たのだろうか?
闇の中、自身のヘッドライトの灯りに導かれるようして走る、空港行きのタクシーの中で、僕はそんなことを考えていた。
デリーからの夜行列車で、バラナシに着いたのは朝の10時半頃。列車の中で偶然ニューデリー駅の外国人チケットオフィスで会った日本人青年、フジバヤシ君とばったり再会し、チケットを確認すると座席も前後。じゃあバラナシまでご一緒しましょうということになる。
列車は2Aのコーチで広々としており、エアコンも効いていて快適。だがここで問題が発生。実は茶羽ゴキブリが大量発生しすでに2、30匹は殺しているというのに、次から次へと沸いてきてキリがない。イースター島(第8話)の時も話したが、僕は大のゴキブリ嫌いなのに枕元をチョロチョロ走られるので、寝ながら間違って食べちゃったらどうしようと気が気でない。おまけに風邪の下痢も再発し、トイレに行くこと十数回。脱水症状ぎみでフラフラになりながら、バラナシのカントメント駅で降車する。
話の流れでバラナシの町もフジバヤシ君と一緒に回ることになり、2人でオートリクシャ(タクシー)に乗ってガンジス河沿いの旧市街に向かう。
ヒンドゥ教徒に母なる大河と呼ばれ信仰されている、ガンジス河のほとりに広がる人口約120万人の町バラナシは、ヒンドゥ教三大神の1人であるシヴァ神の聖地であり、年間100万人もの巡礼者が訪れるヒンドゥ教の七聖地の1つ。ヒンドゥの教えではこの地で生を終えて火葬され、遺灰をガンジス河に流されたものは天国に行けるといわれている。
一方我々のようなバックパッカーにとっても、ヒマラヤ山脈に抱かれる国ネパールと、インドとを結ぶ交通の要所であり、さらに東のカルカッタと北のデリーとを移動する者、ヒンドゥの聖地で沐浴したいと思う者、数え切れない多くの旅行者がこの町に立ち寄る、北インド有数の観光都市となっている。
僕達を乗せたオートリクシャは、走り出して5分もすると辺鄙な場所で急に止まる。そしてそのリクシャの運転手が、僕達が告げた宿とは違う宿へ行かないかと切り出してきた。なんでも僕達の予定している宿へ行くには途中の路地が狭く、その1km手前までしかリクシャでは行けないからというのだ。
最初乗るときに宿の名前を告げると、その宿をよく知っていて宿のすぐ前まで行ってくれると、事前に何度も何度も確認してから乗っているのにも関わらず、このような提案をしてきたのだ。
約束が違うだろうが!と言うが、じゃあ1kmも歩くのか?無理だろう?などと強気に出てくる。それならもういいとリクシャを降りようとすると、バカ!と大声で罵声を浴びせてきた。
それでも無視してフジバヤシ君にさっさと降りようと誘うと、今度はおもちゃのピストルを僕に向けて、ぶっ殺すぞ!と低いドスのきいた声で脅してきた。
こちらも完全にキレて、ああ上等だ!やれるものならやってみやがれ!と日本語で吐き捨て、そのリクシャを飛び降りる。
すぐさま他のリクシャを探そうとするが、ここはリクシャがあまり通らない場所らしい。ヤツはわざとこの場所を選んで車を止めたようだ。だがいつまで待っても他のリクシャが通りそうにないので、少し歩いてから探すことに。
しばらく歩くと、リクシャが行き交う通りに出る。だがやはり宿の名前を告げると、オートリクシャでは近くまでは入れないといわれる。ヒラバヤシ君がガンジス河沿いのその宿にどうしても泊まりたいというので、しかたなくサイクルリクシャに乗って20ルピー、50円でその宿の近くまで行ってもらうことにする。
サイクルリクシャというのは自転車の後ろにギリギリ2人乗れる程の、小さな座席が付いている人力タクシーなのだが、僕達はバックパックやギターを持っている上、道が悪くガタガタと揺れ今にも振り落とされそう。荷物用のスペースなども当然無いので、重い荷物を片手で宙吊りにしなくてはいけなく、乗り続けるのがかなりツライ状態。またリクシャの運転手も相当辛そうで、少し悪いことをしたかなと思う。
15分程走ってリクシャは、ダシャシュワメードガートというバラナシ最大の沐浴場の近くに止まった。ガート(沐浴場)というのは、ヒンドゥ教徒の信仰の対象である、ガンジス河に入って体を清める為の場所だ。
運転手にありがとうとお礼を言って、少し多めにお金をあげてリクシャを降りる。そこから細い路地に入り、予定していた宿を探す。だがなかなか見つからない。しかも道には牛や人のウンコだらけ。すごく臭い。
さらに紹介料をせしめようと、客引きのインド人がさっきからずっと付いて来る。初めは無視していたが、あまりにもしつこいので追い払う。だがなかなかあきらめずいつまでもしつこくついてきて、他の宿に連れて行こうとする。ストーカーもびっくりする程のしつこさだ。
その内こちらもキレて、あっちいけバカヤローと怒鳴ると、他のインド人達と一緒になって、メニ―・ジャパニー、バカ・バカ・アンポンタン!とからかってくる。
予定している宿もかなり奥まった場所にあるのか、いくら探しても見つからない。おまけに通路はかなり入り組んでいて迷路の様。このままだと迷子になりかねない。残念だがその宿は諦め、他の宿を探すことに。
しかし重い荷物を担いで歩き回ったのがいけなかったのか、興奮して怒鳴ったのが原因かはわからないが、どうやらまた風邪をぶり返したらしい。熱も出てきたのか目眩いもする。
とりあえずどこか安全な宿をと、僕が唯一知っているバラナシの日本人宿クミコハウスを目指す。だが次に乗ったオートリクシャも、知っている宿だから大丈夫といったにも関わらず、紹介料をとろうとまた別の宿に連れて行こうとする。こちらが指定した宿以外は金を払わないと言うと、判ったお前のいう通りにすると答えるがものの2分もしないうちに、また違う紹介料のとれる宿へ連れて行こうとする。アホかお前は。
しかたなくこのリクシャも降りてさらに別のリクシャに乗るが、こいつもまた同じことを繰り返す。おまけに先程から次から次へと客引きが群がってきて、俺の知っている宿に泊まれ、いや俺の宿だと次々に声をかけてくる。いらないと言っても一歩も引き下がらないので無視していると、こいつらも揃ってバカ!バカ!と罵声を浴びせ始めた。
最後には皆でそろってバーカバーカの大合唱に。いったいどうなっているのだ、この町は。狂ってる。
熱もかなり高くなってきて、もうほとんど意識がない。さらに腹も痛くなり最悪の状態。そして数台のリクシャにあちこち連れまわされ、持っている地図からもすっかり離れてしまった場所で、今自分達がどこにいるのかもわからない。
でもこんな時相方がいるのは心強い。先程まで不安げにしていたフジバヤシ君が、僕の状態を察してくれ、たまたま通りがかった日本人に現在地を聞いてくれて、彼達の泊まっている宿を紹介してもらったのだ。すぐさま別のリクシャを拾い、その通りがかりの日本人と共に、その宿まで連れて行ってくれた。そしてそれぞれシングルルームにチェックインする。ここがトイレ・シャワー共同で1泊80ルピー、200円。
体調が悪い僕は、夕方まで薬を飲んで寝ることに。
その薬が効いたのか熱は少し下がったのだが、酷い下痢が続き、体中の水分が無くなって脱水状態になる。
少しでも体に何か入れようとフジバヤシ君と一緒に、宿近くの洋風レストランで夕食をとる。また薬を飲んで安静にし水分補給も絶やさないようにするが、下痢はさらに酷くなり、この晩だけでトイレに30回以上も起きるはめになった。こんなに酷い下痢は初めてだ。
翌朝、フジバヤシ君が部屋にでかいヤモリがいて、とてもじゃないが耐えられないというので、他のもう少し良いホテルに移ることに。僕の部屋にもでかいヤモリが3匹いて、天井や壁を這いずり回って餌のハエなどをバクッと食べていた。また昨夜は熱と下痢にうなされて眠れなかったので、そいつらをポチ、タマ、まさおと勝手に名付けて、ベッドで横になりながらじっと観察していたのだ。なぜ1匹だけまさおなのかは、僕にも分らなかったが、なんとなく顔がまさおって感じ。直接的に害がある訳ではないし虫を食べてくれるので、実を言うと僕はあまり気にしていなかった。
だが問題はトイレの方で、昨夜のように5分おきにトイレに走るような状態で共同トイレはかなり辛い。今は幾分良くなってはいるが、またいつ体調が悪くなるか分らない。そのトイレに誰かが入っていると別の階に走らねばならず、万が一間に合わないと困るので、できれば部屋にトイレがある程度の少しマシな宿にと、一緒に移動することにしたのだ。
そしてこの日は前日の宿近くにある見栄えの良いホテルで紹介された、アッスィーガートという沐浴場近くの、奥まった所にあるホテルに泊まることにする。本当はその見栄えの良いホテルに泊まりたかったのだが、満室といわれたからだ。ここが1泊シングルで150ルピー、375円。
少し高い宿なので部屋はまずまず。しかしここの従業員が最悪で、顔を合わせる度に僕達をツアーに行かせようとする。いらないと断っているのに部屋にまでやってきて、ドンドンとドアを激しく何度も叩き何度も勧誘される。
宿の食堂で食事をしていてもすぐまたツアーはどうだと誘われ、そのくせ頼んだ食事は忘れてこなかったりするものだから、呆れてモノも言えない。
それでもこの日も昼間部屋で休んでいたせいか、だいぶ体調が戻ってきた。
夕方少し元気になったので、宿から歩いて10分程のアッスィーガートへ、ギターを持って出かけることに。そして沐浴場のコンクリートの階段に腰を下ろし、ギターを片手に歌い始める。
するとここでも大勢の子供達が寄ってきて、あっという間に囲まれる。そのまま歌い続けると、ガンジス河に吸い寄せられるようにして、言葉とフレーズの1つ1つがまるでシャボン玉の様に次々に消えて行く。そしてスローバラードを歌い出すと一瞬シーンとなり、歌声があたり一帯に響き渡った。
僕の周りにいる子供達は、いわゆるカースト外(どのカーストにも属さない、それ以下という位置付け)の乞食の子供達だったが、非常に人懐っこくてすぐに仲良くなれた。
トラブルで行けなくなってしまったが、もし予定通りデリーで列車の乗り換えが出来ていれば、カルカッタのマザーハウス(マザーテレサの建てた施設)に住む孤児達に、自分の歌を聞いてもらおうと思っていた。でもそれが駄目になり泣く泣く諦めたのだが、これでその代わりが出来たような気がしてなんだか少し嬉しかった。
しかし30分もすると雨が振り出してきて、どんどんと雨足が強くなる。雨宿りする場所もないので、1時間半くらい歌ったところで切り上げて宿に戻ることに。
道のあちこちにある、多くの野良牛の糞や人糞が雨で流れ出し道はぐちゃぐちゃ。かなり非衛生的だ。歩いていても土なのかウンコなのかまったく分らない。もう最低。
それでもなんとか宿に戻ってくると、この宿でも巨大ヤモリが大量発生し、あちこちの壁や天井にへばりついている。やはり雨季のバラナシは、どこへ行っても同じなのかもしれない。フジバヤシ君はちょっとブルーのようだったが、僕は少し体調が良くなったこともあって、この晩は快適に眠ることができた。
次の朝、フジバヤシ君と2人でマニカルニカーガート近くにある、バラナシ最大の火葬場に行く。ここも細い路地を抜けていくのだが、途中また頼んでもいないガイドが勝手についてきて、あれこれと説明を始めた。僕は無視していたが、フジバヤシ君は彼の話に熱心に耳をかたむけている。
しばらくしてその男に、火葬場横の死を待つ人の部屋に連れていかれる。そこには1人の老婆が寝ており、彼の話ではここで死ぬのを待っているとのこと。でも彼女には身寄りが無く、彼女を燃やす為の薪代を寄付しろといってくる。藤林君は彼の言い値である、50ルピーを払っていたが、僕は完全に無視。この自称ガイドがその老婆と無関係であるのは、誰の目にも明らかだったからだ。それでも彼はしつこく僕のカルマ(汚れ)を取り除く為にお布施を出せと迫ってきたが、カルマを取り除く必要があるのは、僕ではなくこの男の方じゃないかと思い断る。
フジバヤシ君にも、お金を払う必要はないと忠告したのだが、彼いわく納得して払ったそうなので、まあそれは個人の自由だとそれ以上は何も言わなかった。
しばらく2人でガンジス河と、燃える死体をぼおっと眺めていた。そしてフジバヤシ君がぽつりという。「うーん、やっぱりバラナシって、生と死が交わる場所ですね」と。
しかし僕の印象は少し違う。
ガンジス河が雨季の為茶色く濁っていたこともあるが、僕にはただの何てことはない汚い川としか思えなかった。そして火葬場にしても、近代化されているという違いはあるものの、日本にも幾らでもあるではないかと思う。
僕は親族の死を何度もこれまで見送っているので、火葬の方法という意味では確かに興味深いものの、何もここまで来ないと「死」というものを実感できないのかと、少し寂しく思う。
人間は確かに皆いずれ死ぬ。だからこそ今を生きようと思う。そういう意味で「死」というものを意識するのは大切だが、バラナシに来ないとそれを感じられないというのは、少し違うのではないかと思うのだ。
ガンジス河は確かにヒンドゥ教徒の聖地だし、それは疑いのない事実だ。しかし同じインド人でもスィーク教徒や、イスラム教徒はこの町では見かけない。それをまったく無関係な日本人が、無条件にありがたがるのはどうかと思う。
ヒンドゥに帰依するものならいざ知らず、皆が無条件にクリスマスや初詣をごっちゃにする同じ次元でありがたがって、聖地だ聖地だと持て囃すものだから、この町の人心もツーリスト、特に日本人に対して擦れていくのではないのか。
目を凝らしてこの町をよく見てほしい。剥き出しの悪意が、これほど顕著に表れているのは、今インドのどの都市よりも酷いのではないか。
沢木耕太郎の深夜特急に憧れ、この地を目指す若者は今も昔も数多くいると思うし、僕もその内の1人だ。しかし僕達は自分自身のこの目で、現実をちゃんと直視することが大切だと思う。
簡単に騙され現地の人間にとっては1年分近い給料を、気安くほいほいとバラ撒けば、次第に人を騙して金を取るのが当たり前のようになってしまう。バラナシをここまで悪意に満ちた町にしてしまったのは、僕達外国人旅行者の責任では無いのか。これでは確かに彼達のいう通り、メニージャパニーは、バカで、アンポンタンで、騙されて当然の存在なのかもしれないと思う。
僕達1人1人それぞれに、目と、耳と、体と、心があるのは、自分自身でちゃんと物事を受け止める為にあるのだと思うし、それはすごく大切なことだと思う。
だからこそ、この町を訪れる旅行者に問いたい。ガンジス河は、バラナシは、本当に「君にとって」聖地なのかと。
考えた上でそれでもここは聖地で、ガンジス河をありがたがるならば問題はない。ただガンジス河やバラナシ=(イコール)聖地というモノの見方は、とても危険なことではないかと、僕はそう強く感じずにはいられないのだ。そしてそのことは日本から遠く離れたある国の、一地方都市に限ったことだけではないと思う。
僕達1人1人それぞれに目と、耳と、体と、心があること。それはとても重要なことのような気がするのだ。
火葬場を離れて、今日の夕方デリーに戻るというフジバヤシ君と別れる。その足で宿をチェックアウトし、オートリクシャで鉄道駅へと向かうことに。
事前に40ルピーと約束していたにもかかわらず、支払いの時になって50ルピーと催促されたが、少し体調が戻った僕は笑顔でサンキューと40ルピーだけを彼の手に渡し、予約した列車に乗った。
さらば混沌の町、バラナシよ。
バラナシから夜行列車で走ること29時間、ムンバイ(ボンベイ)のビクトリアターミナス駅に再び戻ってきたのは、翌日の午後3時。そしてそのままタクシーに乗って、サルベーションアーミー(救世軍)という、以前僕が宿泊していた宿へと向かう。
宿に着き受け付けに行くと、ドミトリールームのベッドに空きがあったので、チェックインし部屋に入る。本当は今晩の深夜便で香港に向う予定なので、宿泊する必要はないのだが、疲れていたので少しだけでも横になろうと宿をとったのだ。
部屋に入るとそこには、他にも3人の日本人が部屋で寛いでいた。彼達と旅の話をしたり、ギター片手に歌ったりしながら時間が過ぎて行く。
その後宿の食堂で夕食を取り、部屋に戻る途中の階段でまたギター片手に歌っていると、オーストラリアとニュージーランドの女の子2人組みが、階段に腰掛けじっと僕の歌を聞いている。そして彼女達は曲が終わると拍手してくれた。
しかし次の曲の途中で、ギターの3弦が切れる。すぐさま弦を張り替えようと思ったが、どうやら代えを切らしてしまったらしい。
困っているとニュージーランドの彼女が、私持っているわよと自分の部屋に戻って、3弦を1本持ってきてくれた。弦の代金を支払おうとするが、いいわよそんなのと言って受けとろうとしない。
話してみると彼女もギターを弾くらしく、それならと彼女のギターと僕の歌でセッション大会となり盛り上がる。
しかし30分もしないうちに、もう夜も遅いのでとガードマンに止められ、お開きになってしまった。せっかく盛り上がってきたのにすごく残念だ。
それでも僕達のセッションに感激しましたといって、相部屋の日本人青年がジュースをご馳走してくれる。なんだか少し悪い気がしたが、ありがたく好意に甘えることに。
深夜12時になったので、宿をチェックアウトしてタクシーで空港へと向かう。予定では明日には香港、そして明後日にはいよいよ日本だ。そう間も無く長いようで、あっという間だったこの旅が終わろうとしている。
やっと終わるという達成感と、終わってしまうという寂しさ。まだ見ぬ明日への期待と不安が入り混じった複雑な心境。この先いったい何が、この僕を待ち受けているのだろう。
そして僕はこの旅をしたことで、何が変わって行くのだろうか。
何かを探すように始めた旅。果たして僕はその探していたものを、見つけることが出来たのだろうか?
闇の中、自身のヘッドライトの灯りに導かれるようして走る、空港行きのタクシーの中で、僕はそんなことを考えていた。