普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

音楽遍歴<その6>

2010-12-02 14:45:22 | 音楽にまつわる話<的>な
 1976年、ロッキンfをはじめたその年、S-kenはヤマハからの派遣でNYに行っていた。そこからNYの最新音楽事情をレポートしてくれていた。その記事を何というタイトルで掲載したか記憶にないが、おそらく「NY最新事情」とか、S-kenが傾倒していた久生十蘭にちなんで「魔都通信」とか、なんだかそんなタイトルにしたような気もする。
 話しの本題は別だった! そのレポートのほとんどは、NYパンクに関する記事だった。マーキームーンやCBGBといった最前線のライブハウスでの、パティ・スミス、トーキングヘッズ、ブロンディ、テレヴィジョン、ラモーンズ等の動向を伝える、他の雑誌にはない記事だった。そういう意味では、ロッキンfは当時の海外のパンクムーヴメントをレアに伝えた最初のメディアだったのではないかと思う。
 前回の原稿の最後に「一気に音楽が若者の手中に落ちる『事件』が起こる」と書いたが、このパンクムーヴメントこそが、まさに「事件」だった。
 上手くて当たり前のバンド、テクあってのバンド活動という既成の概念を、パンクはぶち壊した。テクよりエモーション。3コードしか知らなくても(本当は皆上手かったんだけど)音楽は出来る、むしろ人に伝えられると、次々と生きの良いバンドが登場したのだ。
 NYのS-kenからも、イギリスのパンクの動向が伝えられてきたりもした。
 パンクは、世界を動かし始めていたのだ。
 日本ではどうだったか? はじめは「なにそれ?」的反応が普通だった。ことにロッキンfの読者は、ことにプレイヤー思考が強かったこともあって、拒否反応があった。「下手で良いわけねえじゃねえか」ということだった。
 そんな中、ボクはというと、一気にパンクにのめり込んで行った。なにしろレゲエとパンクは、レベル・ミュージック=反抗の音楽なのだ。音楽、ことにロックがへなへなと体制に順応し長いものに巻かれてどうする? と、その頃のボクは思っていたから!

(掲載したジャケ写は ブロンディ『妖女ブロンディ』(1976))

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