kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

個人的見解・・・

2006-05-16 | Weblog

俗世間でいうところの「浮気」を考えてみました。

私なりの考えですが 少々お付合い下さい。

古今東西 遥か昔より「浮気」という行為に対する

賛否両論は永遠のテーマですね。

私も一寸前まで「浮気」大反対!!

「別れてやる~~~~~!」組でした。

じゃあ 今は違うの?か!

一寸違います。

未婚・既婚問わず「浮気」が発覚すると 

別れる派と別れない派に分かれます。

所詮 男と女(同性愛も同じく・・・)どんなに愛し合っても

個と個との共存体、融合することは無く

夫々の意見の一致による 考え方の上に成り立っています。

生まれた時から知っている間柄はこの際別として、

知り合う前のお互いの言動は問わず今を一緒にいるわけですね。

完璧にお互いの心(身体)を満たすことは不可能で、

何処かで埋められないことを 黙認して生活をしています。

人は日々変化します(考えも身体も・・・)

この現状で相手が浮気をするということは、

一つには パートナーに無いものを何処かで

求めているのかもしれません。

それは パートナーのせいでは決して無く、

自分のエゴと言われればそれまでですが・・・

『人間なんて そんなもんだ』と思い、

それでも なお 相手に求めるものがあるときは

浮気をされても 別れることをしません。

(良い・悪いの論議ではありません。念のため・・・)

一寸した心の隙間が 目の前の現実ではない

別世界を求めてしまうのだと思うのです。

決して 浮気を容認して当然ということを
言いたいのではありません

何故一緒にいるのか?

結婚とは何なのか?

自分以外のものを求めるということは

どういうことなのか?

どうして生きるのか?と同じくらい

私には考えさせられることです。

好きだから一緒にいる・・・!

嫌いだから別れる・・・!これではこどもの偏食と同じ、

好きなものばかり選べてるうちは良いですが、

そのうち 偏った考えは 自分自身を追い込むことに。。。

相手が悪いのではなく

自分にとって 相手が都合のいい人から

自分にとって 都合の悪い人になったに過ぎないのです。

自分は何も変わっていない!耐えている!と思うのは、

誤った思い込み、無理なこと・・・

お互いの尊敬の上に成り立つ 自分以外との営みは、

お陰様で・・と 許されて生きていると感じなければ

いけないのだと思います。

浮気の問題だけではなく

夫婦・恋人だけの問題には留まらず、

親子・姑間・友人・上司・部下・同僚・お客・店員・・・

あらゆる関係に当てはまること。。。

自分一人で生きているつもりでいるから、

相手を無視した「個人の自由」を振りかざすことに。

共存共栄は先ず 相手の立場に立つ心の余裕が欲しいもの、

「人にされて 嫌なことは

       してもいけないし させてもいけない。」

なかなか 相手の心を覘くことは難しいですが、

お互いの思いを歩み寄らせることは可能なこと、

側にいることだけが愛情表現ではありませんね。

恩着せがましく集うのではなく、

離れていても 一緒にいても、

楽しい時間を共有できる間柄になりたいと思います。

出来ている人も そうでない人も

いろんな立場で

もう一度 互いの存在意味を考えて下さいね。

何ごとも人から始まります。。。


シーサー大好き一家

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