kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

この命

2006-05-02 | Weblog

残された者は・・・


生き続けたであろう命が 自らの手で消されたとき、

残された者の思いはどこにいくのか・・・

切っ掛けが 生き残っていればなおさら

側にいたものは自責の念にさいなまれ、

時折襲う言いようのない思いに 心沈めていく。

やがて 怒りや復讐と愚かな自分との狭間で

もがき苦しみ 自己を見失う。

この世に生を受けた以上 命を全うしていって欲しい、

全うしていきたいと 誰もが願うこと。

自分でも自分自身のコントール不能になったとき、

最後の手段の自己防衛だと思う。

残された者のことを考えることなどきっと不可能だ。

今あるこの苦しみから逃れたい一心の行動は、

もはや 家族にも止めることは出来ない。

もしかしたら・・・なんて今だから言えること

計り知れない思いを見つめ、受け止める力の無さが、

失ったことの大きさとは関係はない。

今出来ることは 居ない者への懺悔ではなく

そこまで生きていた命の証しを受け止め、

記憶に残る姿を 自分が生きている限り忘れないこと、

そして 

共に生きることが 残された自分に出来るとだとおもう。

失った人の言い難い辛さは 残念ながら分かることは出来ない。

言えることは 

それまで生きてきたことまで 悲しみに埋没して、

否定しないで欲しいということ。

間違いなく生きていた そのことは事実であって

居ないことの現実に悲観すること無く、

共にこれからの人生を生きて行くことを

願っているにちがいない。

誰かに向けられる 怒りの刃は 必ず己に還ることを

わかって欲しい。。。

誰よりも繊細で ガラスのような心の持ち主のその人は

必ず今生きる人の力となって 見守ってくれているのだから・・・

どうか 居ない人生を嘆かず、自分を責めず、誰かを恨まず・・・


願わくば、

生きることの、命あることの重要さを身をもって

教えてるくれたその人の心が 穏やかでありますように・・・




このブログを見ている皆さん、決して自らの命を消すことは

許されることではありませんし、

私が許しません。

その思いに押しつぶされそうになった時は、

恥でも何でもないので 必ずここにコメントしてして下さい。

必ず 貴方の側に 涙に暮れる人がいることを忘れないで。

貴方の人生は 貴方だけのものではないのだから・・・