麻痺手足ですが、無視する訳には行かないです。
足は、装具を着けて歩きます。
麻痺手は、バランスを取ってくれていると思っています。
だから、ストレッチの時に、伸ばしたり曲げたりを健手でやります。
麻痺手のリハビリを頑張っておられる方もいらっしゃると思います。
私は、早く家に帰る為に、健手だけで身の回りの自立と、家事をする事を優先しました。
リハビリは、《身体を元に戻す事》ではないのだと私は考えています。
病気等で身体の機能が損なわれたら、日々の生活に支障が出ます。
それを少しでも改善させて行く術を身に付ける事がリハビリだと思っています。
だから、身体もですが、“考え方”もリハビリしないといけないと思うのです。
障害は多種多様です。
人の考え方も同じです。
でも、同じ所にとどまっていては、何も変わらない事だけは確かです。
生きているだけで幸せだと思っています。有り難いと思っています。
でも最初からこう思う事はありませんでした。
「なんで私がこんな事になるの?」と泣いてばかりでした。
泣く自分が嫌で、動けない自分が嫌で、本当に辛かった。
でも辛いのは自分だけじゃ無い、と遅まきながら気づいて、泣いてる場合じゃない!と思えるようになりました。
家族や自分の周囲の人も辛かったんだと。
心のスイッチが切り替えられてからが、元気になれたかな?
“元気な振り”をしていたのかもしれないし、実際のところそうだったと思うけど、泣いてるウジウジしてる時間がもったいなくて、自分の尻を叩いて来た結果、日常生活で不便さを感じなくなっていたんだよね。
半身麻痺の身体なりに家事をやり、やれる事を探っているうちに《障害受容》も出来ていた。
そんな自分に「慣れて」しまい、次なる試練に目を向けて来なかったので、今苦労してるわけです。
人は年を取る=加齢。
この現実は厳しい物だと、なかなか理解出来なかったのですよ。
ただシンドイだけで、「私はやれる」と軽く考えていたから、出来なくなるのが不思議で不思議で頭は真っ白でした。焦った焦った。
半身麻痺の身体になった当初よりも辛い物でしたが、落ち着いて考えれば、加齢で動けなくなるのは当たり前なのだから、と納得したら、焦りは消えました。
年を重ねても筋肉は付けられる。
継続が大事。
それを頭に叩きこんで、地味に身体をいじめて(鍛えて)います。
34年前、命を亡くしていたら、それこそ今の私はおりません。
のろまな亀ではありますが、自分の人生を更新し続けたいと思っています。
明日が第2の誕生日なので、前倒しで書いてみました。
次は何をやろうか、その為にはどうしたらいいか。
自分で考え、自分で決める。そしてやってみる。失敗はあるもの。
いかに楽しむか、時間がある限り、道は先へ伸ばせる。
大気の状態が不安定です。
嫌な雲が近づいてます。
皆様、ご安全に!