「週刊新潮」の書評ページのために書いてきた文章で振り返る、
この1年に読んだ本たちです。
2012年 こんな本を読んできた(2月編)
大沢在昌 『鮫島の貌 新宿鮫短篇集』
光文社 1575円
全10篇が収められた「新宿鮫シリーズ」初の短篇集である。常に最新長編を待ち続けているファンにとってはボーナスであり、初心者には最適な入門書だ。
巻頭の「区立花園公園」の語り手は鮫島の上司・桃井。新宿署に“厄介者”として赴任してきた鮫島の若き日の肖像が刻まれている。「似た者どうし」は恋人である晶の視点から描かれる。一人の少年との出会いが自らの音楽活動と鮫島の存在を再認識させてくれるのだ。また鮫島が高校の同窓会に出席するという意外な一篇「再会」も納得の出来。
本書の中で最も切れのいい作品が「雷鳴」だ。舞台は一軒のバー。鉄砲玉のやくざ、それを消すために送り込まれたプロ、そして鮫島が対峙する。その緊張感あふれる展開は長編にも負けない鮮やかな印象を残す。タイトル通り、それぞれのエピソードの中に鮫島の相貌が浮かんでくる一冊だ。
(2012・01・20発行)
牧野 洋 『官報複合体~権力と一体化する新聞の大罪』
講談社 1680円
著者は元日本経済新聞編集委員。現在はアメリカでジャーナリストとして活動している。本書は以前から抱えていた「日本の官僚機構と報道機関が実質的に連合体を形成している」という問題意識から発した厳しいメディア批判だ。
まず大新聞が権力側から情報のリークを受け、情報源を明かさないまま無批判にニュースを書く実態が多くの例で示される。また、記者クラブに関してはその利権構造に迫るだけでなく、官僚と報道の癒着体制の危うさも指摘。それは「プレスリリース原稿」ばかりを流したことで実質的に読者・国民を欺いた原発事故報道にも通じている。
本書の特色はアメリカの新聞と比較しながら、ジャーナリズムの本質を探っていることだ。「速報性ではなく深い分析」「発表報道より調査報道」と主張する著者。巻末にある“再生への提言”も示唆に富む。
(2012・01・17発行)
永 六輔 『上を向いて歩こう 年をとると面白い』
さくら舎 1470円
著者は、大震災以来人々を元気づける歌となった「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」などの作詞者である。しかし一度は作詞の筆を折っている。歌に対する真摯な思いがあったからだ。本書は日本人と歌をめぐる思索の旅。同時に音楽的自叙伝でもある。
(2012・01・11発行)
東野圭吾 『歪笑小説』
集英社文庫 650円
文庫オリジナルの「笑」シリーズ最新刊。今回は出版業界に蠢く人々の生態が、まさにブラックな戯画として描かれる。ベストセラーのためなら恥も外聞もない凄腕編集者。文壇というムラ社会の身分格差。ありそうな話、実際にいそうな人物が本好きの哄笑を誘う。
(2012・01・20発行)
山田哲司 『天空の軌跡』
光村推古書院 2520円
産経新聞カメラマンによる天体写真集。しかも星や月が単独では存在せず、この国の山や海、また人が暮らす街と共にある風景なのだ。雪の白川郷を見守るおおいぬ座。紅の満月の前を通過していく旅客機。宇宙に浮かぶ一つの星に生きていることを実感させてくれる。
(2012・01・11発行)
阿川佐和子 『聞く力~心を開く35のヒント』
文春新書 840円
すでに900回を超えた「週刊文春」での対談に加え、最近始まったTBSのトーク番組「サワコの朝」でも著者は“聞く力”を遺憾なく発揮している。本書では自分と相手との距離のとり方、またどこまで踏み込んで話を聞くかなど、その見事なバランス感覚の秘密を開陳している。
まず、インタビューは聞くだけではなく「会話」だと著者はいう。その上で「相手の気持ちを推し測る」「先入観にとらわれない」など、実例を挙げながらのアドバイスが並ぶ。コミュニケーション力が求められる時代の心優しき指南書だ。
(2012・01・20発行)
小路幸也 『Coffee Blues(コーヒーブルース)』
実業之日本社 1575円
舞台は1991年。弓島大は北千住で小さな喫茶店を営んでいる。優しい性格で出しゃばらない善人だが、恋人を麻薬がらみの事件で失った過去がある。
ある日、大は顔見知りの女の子から「中学生の姉を探してほしい」と頼まれる。さっそく下宿人でもある刑事を通じて探ってもらうが、両親は入院中と答える。中学の先生のルートでも真相は不明。しかし両親が言いたくない何かを隠していることは確かだった。
一方、大の恋人を死に追いやった男が刑務所を出たという情報が入る。彼女の父親が復讐を果たす決意を固めていることもわかった。少女の失踪と憎むべき男の出所。静かだった大の生活も慌ただしくなっていく。活躍するのは店員である元女子プロレスラーをはじめ、<弓島珈琲>に集うご近所の人々だ。「東京バンドワゴン」とも一味違う下町ミステリーである。
(2012・01・25発行)
内田樹・中沢新一 『日本の文脈』
角川書店 1680円
2009年7月から2011年5月にかけて、7回にわたって行われた対談が一冊になった。全体を貫くキーワードは「贈与」だ。
中沢の言う贈与とは「とらえがたい存在から、この世界に何かが送り込まれている」という思考。内田もまた「すべての人間的営為は、突き詰めれば贈与と反対給付によって構成されている」と語る。学校教育は贈与の最たる例だ。
二人が一致しているのは、ガラパゴス的な日本を国際共通標準に合わせていくことが、グローバル資本主義の時代を乗り切る方法だと思っていないこと。むしろ辺境日本的な価値観や生き方、贈与の原理をベースにした社会のあり方に目を向けている。いわば「先端的ガラパゴス国家」だ。
本当の知性が「ありえないような情況を想像して、それにも対応できるアイデアを出せるもの」であるなら、本書もそれに当たる。
(2012・01・30発行)
太田治子 『夢さめみれば~日本近代洋画の父・浅井忠』
朝日新聞出版社 1785円
明治期、岡倉天心やフェノロサらによる洋画排斥運動が展開される中、浅井忠は黙々と次の時代を切り開いていた。故郷の東京・木挽町から代表作『グレーの洗濯場』に描かれたフランスの村まで、その軌跡を丹念に追った心の旅。明治の時代精神が浮かび上がる。
(2012・01・30発行)
佐野眞一 『劇薬時評~テレビで読み解くニッポンの了見』
筑摩書房 1680円
自称・初期高齢者としてテレビと向き合った2008年から3年間の記録である。偉そうな番組司会者。ローカル局の奮闘ぶり。画面に現れては消える首相たち。そして無神経な災害報道。テレビという「窓」を通じて見えるのは急速に黄昏に向かう極東の小国の姿だ。
(2012・01・25発行)
宇都宮 聡・川崎悟司 『日本の恐竜図鑑~じつは恐竜王国日本列島 』
築地書館 2310円
伝説の「サラリーマン化石ハンター」と「古生物イラストレーター」がタッグを組んだ。恐竜の産地としては北アメリカやモンゴルが有名だが、我が国も負けていないことがわかる。恐竜はもちろん、その周辺で生息していた珍しい生き物たちにも注目だ。
(2012・02・10発行)
中川恵一 『放射線医が語る被ばくと発がんの真実』
ベスト新書 800円
発生から、もうすぐ1年になる福島原発事故。本紙に「がんの練習帳」を連載中の著者が危惧しているのは「正確な情報の欠如」だ。
本書では、広島・長崎、さらにチェルノブイリのデータも分析しながら、専門医としての見解を述べている。
セシウムによる内部被ばくを過剰に心配する必要はない。リスクとのバランスを考え、個々にとって最善の対策をとる。そして放射線を恐れるあまり、がんを防ぐ生活習慣を放棄すると、結果として発がんリスクが高まる等々。自らの行動を選択する判断材料として、多くの示唆に富む一冊だ。
(2012・01・20発行)
沢村 凛 『デイーセント・ワーク・ガーディアン』
双葉社 1785円
小説には様々な職業の主人公が登場する。とはいえ、労働基準監督官は珍しい。確かに監督官である三村は労働災害を防ぐための指導を行うと共に、事故が起きれば司法官として捜査にあたることができる。工場や商店を舞台に展開される、異色ミステリーの連作集だ。
ある工務店が請け負った作業現場で起きた事故死の真相を追うのは「転落の背景」。墜落した作業員と一緒に仕事をしていた連中の中に目撃者はいない。地面に脱げたヘルメットがあったことから本人の不注意による事故と思われた。だが、三村は何かが隠されていることを確信する。また「友の頼み事」では製菓工場の監督指導と、その近くで起きたコンビニ強盗事件が微妙に絡み合っていく。
全編を通じて三村の“相棒”役となる警部補・清田や、離れて暮らしている妻との関係も物語に奥行きと陰影を与えている。
(2012・01・22発行)
西尾幹二 『天皇と原爆』
新潮社 1680円
なぜ著者はここまで忌憚なくこの国の本質を鋭く衝くことができるのか。それは「我々は何か大きくすり替えられて暮らしている。頭の中に新しい観念をすり込まれて、そこから立ち上がることができなくなっている」という危機感からだ。
本書を貫いているのは歴史を正しく見ることの重要性である。特に現在の視点で過去の出来事を捉えることの危うさが説かれる。たとえば「侵略国家」「侵略戦争」という言葉は、戦後の日本人が自分の国を誹謗するためのもの。占領軍の歴史観でものごとのすべてを見ようとする姿勢は誤りだと著者は言う。
またアメリカの西進政策の背後に「東洋開拓を競う英米対決」があったこと、自国の利己主義に基づく戦略が現在も変わらないことも明らかにしている。アメリカは常に人類の法廷を司りたがる「神の国」だとの指摘は多くの示唆に富む。
(2012・01・30発行)
熊井明子 『めぐりあい~映画に生きた熊井啓との46年』
春秋社 2100円
『海と毒薬』などで知られる熊井啓監督が亡くなって5年。その妻でエッセイストでもある著者が、共に生きた日々を綴った回想記だ。互いに支え合い、高め合う夫婦像はもちろん、映画制作の過程でもよきパートナーだったことが印象に残る。映画論としても貴重だ。
(2012・01・20発行)
大谷能生 『植草甚一の勉強』
本の雑誌社 1680円
70年代の“サブカルチャー王”植草甚一。音楽家で批評家の著者は全著作を読破しながら魅力の源泉を探っていく。見えてくるのは仕事と生き方を貫く独自の価値観だ。それでいて死後、妻に「バカは死ななきゃ治らない」と言わせた植草はやはり只者ではない。
(2012・01・25発行)
毛利眞人 『沙漠に日が落ちて~二村定一伝』
講談社 1890円
昭和初期、二村定一は紛れもないスターだった。レコードは大ヒットし、エノケンこと榎本健一とのコンビは観客を魅了した。しかし軍国化の波が二村を飲み込んでいく。現在につながるその業績と生きた軌跡を、昭和音楽史の中に正当に位置付けようとする本格評伝。
(2012・01・25発行)
相場英雄 『震える牛』
小学館 1680円
田川信一が所属するのは未解決事件を扱う警視庁捜査一課継続捜査班。新たに命じられたのは、2年前に中野駅前の居酒屋で起きた強盗殺人事件だ。犯人は金を奪う際、偶然居合わせた2組の客を刺殺した。それは仙台の獣医師と東京の産廃処理業者で、両者の間につながりはなかった。
一方、ネット記者の鶴田真純は大手ショッピングセンターのオックスマートを取材していた。強引な手法で地方に進出し、採算がとれなくなれば勝手に撤退していく傲慢な経営。残されるのは荒廃した地域社会だ。そんな会社のトップの実弟は与党で大臣を務めていた。
発生当時、不良外国人の犯行と思われていた中野の事件。しかし地道な再捜査を続ける田川が目撃者の新証言を得たことから、事態は思わぬ展開をみせる。市民の安全よりも利益を優先させる社会のあり方に迫る社会派サスペンスだ。
(2012・02・05発行)
ケネス・ローマン 山内あゆ子:訳
『デイヴィッド・オグルヴィ~広告を変えた男』
海と月社 2100円
デイヴィッド・オグルヴィは1950年代から80年代にかけて活躍したアメリカの広告人。現在へと繋がる「広告」の概念を根本から変えた男だ。その本人と長年共に仕事をした、広告会社オグルヴィ&メイザー社の元CEOが書いた初の本格評伝である。
出身はスコットランドでオックスフォード大学中退。コックの見習いから訪問販売、さらにスパイまで経験した後に広告会社を興す。「時速100キロで走行中の新型ロールスロイスの車内で、いちばんの騒音は電子時計の音だ」といった秀逸なコピーで、次々とヒットを飛ばした。ダイレクト・マーケティングやブランドイメージなど、時代を超えた貢献も数多い。
本書は広告界での歩みだけでなく、優秀な兄との確執や何回かの結婚を含め、人間オグルヴィにも迫っている。愛すべき革命家の軌跡と実像がここにある。
(2012・01・27発行)
川本三郎 『白秋望景』
新書館 2940円
『荷風と東京』『林芙美子の昭和』に続く文学評伝だ。「何よりもまず白秋は、徹底して言葉の人だった」と著者は言う。さらに「新しい言葉を考え続けてきた」革新性。本書では水や色など独自の視点から白秋とその時代が読み解かれていく。完成まで8年の労作である。
(2012・02・10発行)
川上見映子 『魔法飛行』
中央公論新社 1365円
本誌コラムでもユニークな視点で健筆をふるう著者の最新エッセイ集。執筆、睡眠、料理、甥っ子との遊びと小説家は忙しい。そんな日常を大震災という非日常が襲う。「思い出せる機能、想像してみる機能」をフル稼働させて向き合った、怒涛の1年の記録だ。
(2012・02・10発行)
養老孟司・隈研吾 『日本人はどう住まうべきか?』
日経BP社 1260円
震災を挟んで行われた連続対談。マイホームという名の幻想からアメリカの奴隷ではない都市づくりまで、建築を軸に現代社会が抱える諸問題を俎上に載せる。強度と絶対のまやかし。販売者が住みたがらないマンション。参勤交代など極論を承知の発言も刺激的だ。
(2012・02・06発行)
本間 龍 『転落の記』
飛鳥新社 1575円
大手広告会社に勤務していた著者は詐欺事件を起こす。自社の株式上場をネタに外部資金を集め、未回収売掛金の穴埋めや愛人との交際に使っていた。やがて発覚して逮捕・服役。出所後に記されたのが本書だ。詐欺の顛末と同時に広告会社の実体も明らかになる。
(2012・01・27発行)
辺見 庸 『瓦礫の中から言葉を~わたしの<死者>へ』
NHK出版新書 777円
全編に表現者である著者の怒りと悲しみがあふれている。マスコミが意図して隠した死と屍体。そんな死の無化と数値化が事態の解釈を困難にしたと著者は言う。そして3・11が明らにしたのは、原発の安全・低コストという触れ込みと実体の乖離に代表される「言葉と実体の断層」であると。
過酷な現実と対峙するため、著者は原民喜や堀田善衛などの言葉を援用する。そこには極限状態に置かれた人間の実相が描かれているからだ。彼らと交感しつつ思索を重ねる著者。震災をめぐる多くの書物の中で異彩を放つ一冊だ。
(2012・01・10発行)