明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

高松のおじいちゃん

2011-10-17 16:44:18 | 生活
仕事で何千字書いていても、自分の想いを文字にして表現しないと息苦しい。
窒息しそうだ。

昨日は叔母さんの四十九日で高松へ行ってきた。
両親と夫と4人。バスで日帰り。

その前日も前々日も夜中まで飲みに行っていて、疲れがたまったままのバス移動はかなりきつかった

父方の実家に着くと、もう親戚が大勢集まっていて。
日本社会の縮図のように、年寄りが毎年増える一方で、子供が増えない。
ほぼ全員が高齢者(60~90代)で、膝の痛みから正座もできない人、一度座ると立てない人など続出

仏壇のある広い広い部屋で、お坊さんが2人、お経をあげてくれる。
以前、お経は音楽みたい、という話をここに書いたが、今回もそう思った。
それも2人でやる上に、楽器(?)やリズム打ちも入っていたから、バンドみたいだった。
2人の声が重なっていくところなどは心地よかった。

叔母さんの遺影を目にしたら、一瞬、涙が出そうになってぐっとこらえた。
両親の兄弟、お嫁さんなどの中で、一番若く、一番元気だった叔母さん。
おおらかで声の大きい人だった。
もうこの世にいないなんて、信じられなかった。

だから、逆に、深い悲しみもなく、非現実的な感じがした。

ただ、「ありがとうございました」と真剣に手を合わせた。

2時間という長いお経の時間が終わり、食事が出て、早々に引き上げた。
今度は母方の祖父の入院している病院へ。

おじいちゃんは95歳。
入院しているといっても、特にどこかが悪いわけではない。
治療ではなく、どちらかといえば軽い介護のために入院している感じだ。
家にいると食事や掃除、洗濯などが大変だし、何かあったときに困るから・・・

でも、普通に話もできるし、自分でトイレ・入浴・食事もできる。
95歳にしては元気かもしれない。

私たちが行くと、別の部屋に入院しているどこかのおばあさんが話に来ていて、
あー、ずっと1人じゃなくて、こうやって話すお友達もいるんだ、と思うと、少しホッとした。

淋しいのはいけない。
人が淋しいと思うと、一番しんどい。

おじいちゃんはベッドの上に三角座りして、嬉しそうな顔で私たちを見ていた。
おしゃべりするのも楽しそうだった。
心底、よかったと思った。

うちの父親はこういうとき、すごくいい。
基本的におしゃべりな人なので、おじいちゃんにいろんな話をしてくれる。

おじいちゃんはとても明るくてやさしい顔で、
なんだかおばあちゃんに似てきたな、と思った。
昔は、ちょっと怖い、気難しいおじいちゃんだったのに。
いつもニコニコ仏様みたいな、おばあちゃんを思い出した。

あっという間にバスの時間がきて、「もう帰る」というと、おじいちゃんはちょっと淋しそうだった。

また来るねと言って、病院を出た。

また慌しく、タクシーでバス停まで行き、そこから三ノ宮まで帰ってきた。
なんだかもうフラフラだった。

家に着いたのが、9時半。
お風呂を洗っていたら、夫がキッチンに残っていた洗い物をしていた。
「いいよー」と言ったら、
「しんどいときにこれが残ってると、かおりのストレスになるから
と洗ってくれた。

やさしい・・・

昨晩は早寝できたので、今日はそこそこ元気。
とにかく水曜日までに原稿を全部終わらせないといけない。
木曜日はまた取材だし・・・

そうだ。
先日書いていた「尻拭い」の原稿は、簡単な修正が2箇所あったが、それもすぐに終えてOKをもらった。
そして、代理店からではなく、取材した会社から直接電話がかかってきた。
何か修正が発生したのかとびくびくして電話をとったら、
「今回はありがとうございました」とのこと。

私にやり直してもらって本当によかった、
前のものとは全然違ったので安心した、
急ぎで時間がなかったのに快く対応してくれて、
修正も20分程度で仕上げてくれて迅速な対応に驚いた、
とりあえず、お礼です、
という内容。

・・・ホッとした

わざわざお礼の電話をしてくれたことも、とても嬉しかった。
とにかく、自分はちゃんとプロの仕事をした。喜んでもらえた。
そのことで満足だ。

小さな小さな幸せだけど、こういう積み重ねがきっと自分の求めている「何か」につながると信じて、
1つ1つの仕事を丁寧に、誠実に、こなしていこうと思っている


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