明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

救いと恢復

2010-08-24 21:50:26 | 仕事
日曜の昼にお寿司を食べに行ってから、ずっとしんどくて寝ていた。
昨日は朝から胃痛と下痢、さらには熱まで出て、ぐったりしていた。
お寿司にあたったのかもしれない。

でも、1日で回復して、今日は朝から調子がいい。
(むしろ、睡眠をいっぱいとって、禁酒したので、体が軽かった)
すぐにくだすんじゃないかと思い、まだ食べるのはこわごわだったが、夕方にはそれも克服した。
すっかり元気だ。

しかし、体調はよくなったが、鬱になっていることに気づいた。
あかんなぁ・・・
最近、自己嫌悪に陥ったことなどを再び思い出してしまう。
仕事のことも不安になったり。

この状態になると、もう自分ではどうしようもない。
人と話しているときは大丈夫なんだけど、一人で家にいるとヤバイ。

まあ、いつものことだ。
この波が来てしまったら、受け止めるしか方法がないのだ。

不景気で、仕事も忙しい月とヒマな月の波が激しい。
この夏は久しぶりにゆっくりできたので嬉しかったが、
夏が終わりに近づくと、急に怖くなってきた。

「こんなに休んで大丈夫だったか?」

ワーカーホリックの血が騒ぐ。

そして、自分の力のなさに落ち込むことばっかりだ。
運だけじゃ、この世の中は渡っていけない。
昔なら、打たれれば打たれるほどに成長していたが、
今では凹むだけ。

どこかで気持ちを切り替えたいのだけど、もう少し時間がかかりそうだ。
いつもそうだけど、沈黙の中でしか自分の気持ちを整理できない。
しゃべって楽になったり、整理したりできる人もいるようだけど。

たまにこういう凹んだ日記を書くと、夫に「どうしたん?」と聞かれるが、
隠しているわけではなくて、うまく説明ができない。
だから、悩み相談よりも事後報告が多い。
私は、言葉にするのに、随分時間がかかるタイプなのだ。
本当に想っていることは。

「書く」のは別。
書いていると、少しずつ整理できていく。
でも、書くものは途中経過というか、想いの断片にすぎない。
結論は、沈黙の中で生まれ、自分の中で完結する。

人は、こういう「気持ちの断片」をあまり書かないらしい。
書くのは「悩み相談」であったり、「結論」であったり。
または「出来事」そのものであったり。

なんだかよくわからない、この気持ちの断片を、こうやってつらつら書いていると、
少しずつ恢復していくことに気づく。
今も、書き始めの時よりかなり鬱がとれてきている。

物書きなんて、なんでなったんだろうな、と思うこともあるけど、
自分が「書く」ことにどれだけ救われているかを実感すれば、
物書きになったことがごく当然のことのような気もしてくる。

ただ、今は、毎日仕事で書きながらも、どこへ向かっていくのかは見えない。
それが不安なんだろうか?