思わせぶりな写真…(そして長文、面倒だったら読まないほうが(^^;))
これを撮ったのは12/23の15:35。
ちなみに関空に着陸したのは6:00少し前…この約9時間に何があったのか?
なーんてもったいぶるのも面倒なので、例によって垂れ流しのままで(ぉぃ
機内で朝食が出たとき、まるで行きの私のように気持ち悪がっていたダンナ氏。入国する前には既に前かがみっぽくなってて、トイレに行った後は横になりたいとベンチに横たわってしまった。
もともと自家用車を預けてたところには8時に空港に車を届けて欲しいと約束してたので、日本に帰国してから約1時間半、横たわったダンナ氏の横でボケーっと過ごした。
(そもそもこの段階で、もっとダンナ氏の体調が悪ければ医務室に行くという話しも出たのだろうけど…この時はまだ横になりたいレベルだった)
時々動くダンナ氏に「どうする?車もう少し後にして空港で休む?」と声をかけると「それよりも早く帰りたい」と…結局そのままの時間で車を受け取り、ダンナ氏は後部座席に横になったままで帰り始めた。
帰り道は~ナビにしたがって阪神高速道路を吹田に向かってひたすら辿るルート(ちなみに行きはナビにさからって近畿自動車道を通った)、これが狭い上にうねる道で、さっきまで静かに寝てるだけだったダンナ氏が「うーうー」と小さく呻き始めた…初めて通る道な上に後部座席からは呻き声、選んだ道が悪かったためにSAどころかPAすらなく~手に汗をかきながら、ようやく車を停められたのが京都府の桂川SAだった。
この時の時間は確か9時半近く…1時間ほど体調の回復を待ったんだけど、それでも体調が悪くなる一方のダンナ氏は、足を伸ばして横になりたいとどこかに宿を取ろうと言い始めた(昔のナンパかっ)
耐える女の私としては、そこで忍々袋の緒が切れて「病院にいこう!横になっても変わらんわっ」となった。
しかーし、今日は平日ではなく祝日…ひとまず無計画に高速道路を下りて病院に入ると言う芸当は出来そうもなく~後ろで呻くダンナ氏にムカムカ&ハラハラしながら、とにかくナビで「今日やってそうな病院」を探した。
簡易ナビだからか、病院を探すには何区?と聞いてきやがるっ!知るかーーっ!!
地図を広げるもごちゃごちゃしてて、何区だか分かりやしない…片っ端から有名そうな名前の区を見て、京都済生会病院というのが一番行けそうな感じ。多少大阪方面に戻るけど仕方ないっとばかしナビをセットしなおしてGO!
もちろん病院は閉まってるので、救急の窓口に駆け込んで事情を説明…とにもかくにも見てもらうことになった。
この時すでに11時…30分ほど待っただろうか、車椅子に乗せられたダンナ氏が診察室から出てきて~出てきて~どこ行った??
誰もいない待合スペースで待った。何の音沙汰もないまま時間だけが経っていく。
そういえば~と救急の所にあった事務室で支払いの件を相談…
かにたま「関空から石川へ帰る途中で寄ったのですが、支払いは~」
事務の人「保険証お持ちですか?」
かにたま「車にあると思うので見てきます」
本人に断りもなくカバンや財布を探るのは、夫婦とは言えちょっとな~と思いながらも、がつがつ探す(ぉぃ)分厚い財布…お金ではなくカードばかりの財布なのだが、電気店のカードやカラオケ屋の会員証は出てこれど、保険証がナーイ。
「あ!でも私、今ぷーでダンナ氏の扶養やん♪」
思い立って自分の保険証を出してみるも~確認が取れないと、ひとまずコピーをとられただけで役に立たず。
なんで旅行行くのにカラオケ屋のカードがあって保険証がないねんっ
1人で待ってると、看護師さんが声をかけて下さった。
「ご主人、もう検査終わって点滴受けてるんだけど、何か聞いてらっしゃる?」
聞きたいのはこっちじゃーーっ時計はすでに14時近かった。
点滴室という部屋でベッドに横たわるダンナ氏…あぁ、私も布団で眠りたい。
まだしばらく点滴に時間がかかるということで、病院の食堂でごはんを食べることにした。親子丼…あったかいごはんものって美味しい(;_q))クスン
そしてまたダンナ氏の様子を見に行くと~点滴新しいのになってるやんっ!
ここで診て下さった先生と遭遇、旅の疲れか何かで腸炎を起こしてるらしいので一晩様子でも(=1泊入院)という話が出たので「いや、今旅からの帰りで、住まいが石川なんですよ」と言うと「ええっ!」と点滴の管を外さんばかりの勢いで「じゃー帰らなきゃですよねっ」と
せっかく新しいのにしたばかりなのに勿体ない…ということで、もう1時間半ばかし待つことになり~そして文頭の写真を撮ってたというワケである(長っ)
運転するにはよくない成分が点滴の中に入ってたということで、思いのほか回復したダンナ氏は運転手としては戦力外…結果、関空から1人で運転して帰った。
そして病院の支払いは~ダンナ氏が聞いてきたらしく(あの時もっと詰めとけばっ)後日、話の通じてない者同士で電話のやりとりをしながら無理やり保険適用にしてもらい、銀行振り込みとなった。
翌日のクリスマスイブは~ケーキなど無い。
クリスマスの夕飯。豆腐やちくわぶが入ったスープ
ようやく25日から休み明けで出勤していったダンナ氏。多少フラフラしていたが元気を取り戻し「あぁ、帰り道は大変だったね」で事は終わるはずだった。
が、話はもう少し続く(しつこくてスマンね)
26日は忘年会でお泊りだったダンナ氏、27日午前に帰宅した時に調子が悪いと自ら病院に行ってきたらしい…そして午後、何だか熱いやら寒いやら言い始めたので横になれと寝てもらった。
かにたま「どうけ?腹痛いがけ?」
ダンナ氏「うーん、腹もそうだけど、寒い?熱い?」
かにたま:おでこに手をあててみる…「えー普通。私と変わらん気が?」
念のためと体温計で測ってみると~39.6℃
かにたま「いやー体温計壊れとるわ、もう一回測ってみれば?」
2回目39.7℃
数字を見た途端不調度が上がるダンナ氏、自分の手を信じ体温計が壊れてると思い込んでるオイラ…(^^;
結局病院に電話して、もう一度診てもらうことにした。
3回目39.9℃(惜しいっ、記録まであと0.1℃。あれ?ウチの体温計…合ってる(笑))
午前の診察の時にダンナ氏が「熱はないです」と言ったばかりに先生は腸炎を疑わなかったそうで…これだけ発熱したということは~最初の治療で死にきらなかった細菌が復活して悪さをし始めたということらしい。
今度は熱で唸るダンナ氏、熱は2日ほど続き、汗をかいては着替えるので洗濯が追いつかず、私のジャージ(サイズがメンズだから大丈夫)を着るほどに…その間も点滴をしに3日ほど通院、ということで年末なんて掃除どころではなかったのだ。
年末の色々その2!祖叔母が亡くなった次はダンナ氏の体調不良&高熱。
ホントにえらいこっちゃだった…が、ただでは起きないオイラ、弱ったダンナ氏につけこんで「念願のホームベーカリー」の購入許可を得たのである
喉もと過ぎれば熱さ忘れる?!今となれば結果オーライ?ということにしておこう。
最後の最後に長文のシンガポール旅日記はひとまずこれでお終いなのだ~長いことお付き合いいただいて、どうもありがとなのだっ
これを撮ったのは12/23の15:35。
ちなみに関空に着陸したのは6:00少し前…この約9時間に何があったのか?
なーんてもったいぶるのも面倒なので、例によって垂れ流しのままで(ぉぃ
機内で朝食が出たとき、まるで行きの私のように気持ち悪がっていたダンナ氏。入国する前には既に前かがみっぽくなってて、トイレに行った後は横になりたいとベンチに横たわってしまった。
もともと自家用車を預けてたところには8時に空港に車を届けて欲しいと約束してたので、日本に帰国してから約1時間半、横たわったダンナ氏の横でボケーっと過ごした。
(そもそもこの段階で、もっとダンナ氏の体調が悪ければ医務室に行くという話しも出たのだろうけど…この時はまだ横になりたいレベルだった)
時々動くダンナ氏に「どうする?車もう少し後にして空港で休む?」と声をかけると「それよりも早く帰りたい」と…結局そのままの時間で車を受け取り、ダンナ氏は後部座席に横になったままで帰り始めた。
帰り道は~ナビにしたがって阪神高速道路を吹田に向かってひたすら辿るルート(ちなみに行きはナビにさからって近畿自動車道を通った)、これが狭い上にうねる道で、さっきまで静かに寝てるだけだったダンナ氏が「うーうー」と小さく呻き始めた…初めて通る道な上に後部座席からは呻き声、選んだ道が悪かったためにSAどころかPAすらなく~手に汗をかきながら、ようやく車を停められたのが京都府の桂川SAだった。
この時の時間は確か9時半近く…1時間ほど体調の回復を待ったんだけど、それでも体調が悪くなる一方のダンナ氏は、足を伸ばして横になりたいとどこかに宿を取ろうと言い始めた(昔のナンパかっ)
耐える女の私としては、そこで忍々袋の緒が切れて「病院にいこう!横になっても変わらんわっ」となった。
しかーし、今日は平日ではなく祝日…ひとまず無計画に高速道路を下りて病院に入ると言う芸当は出来そうもなく~後ろで呻くダンナ氏にムカムカ&ハラハラしながら、とにかくナビで「今日やってそうな病院」を探した。
簡易ナビだからか、病院を探すには何区?と聞いてきやがるっ!知るかーーっ!!
地図を広げるもごちゃごちゃしてて、何区だか分かりやしない…片っ端から有名そうな名前の区を見て、京都済生会病院というのが一番行けそうな感じ。多少大阪方面に戻るけど仕方ないっとばかしナビをセットしなおしてGO!
もちろん病院は閉まってるので、救急の窓口に駆け込んで事情を説明…とにもかくにも見てもらうことになった。
この時すでに11時…30分ほど待っただろうか、車椅子に乗せられたダンナ氏が診察室から出てきて~出てきて~どこ行った??
誰もいない待合スペースで待った。何の音沙汰もないまま時間だけが経っていく。
そういえば~と救急の所にあった事務室で支払いの件を相談…
かにたま「関空から石川へ帰る途中で寄ったのですが、支払いは~」
事務の人「保険証お持ちですか?」
かにたま「車にあると思うので見てきます」
本人に断りもなくカバンや財布を探るのは、夫婦とは言えちょっとな~と思いながらも、がつがつ探す(ぉぃ)分厚い財布…お金ではなくカードばかりの財布なのだが、電気店のカードやカラオケ屋の会員証は出てこれど、保険証がナーイ。
「あ!でも私、今ぷーでダンナ氏の扶養やん♪」
思い立って自分の保険証を出してみるも~確認が取れないと、ひとまずコピーをとられただけで役に立たず。
なんで旅行行くのにカラオケ屋のカードがあって保険証がないねんっ
1人で待ってると、看護師さんが声をかけて下さった。
「ご主人、もう検査終わって点滴受けてるんだけど、何か聞いてらっしゃる?」
聞きたいのはこっちじゃーーっ時計はすでに14時近かった。
点滴室という部屋でベッドに横たわるダンナ氏…あぁ、私も布団で眠りたい。
まだしばらく点滴に時間がかかるということで、病院の食堂でごはんを食べることにした。親子丼…あったかいごはんものって美味しい(;_q))クスン
そしてまたダンナ氏の様子を見に行くと~点滴新しいのになってるやんっ!
ここで診て下さった先生と遭遇、旅の疲れか何かで腸炎を起こしてるらしいので一晩様子でも(=1泊入院)という話が出たので「いや、今旅からの帰りで、住まいが石川なんですよ」と言うと「ええっ!」と点滴の管を外さんばかりの勢いで「じゃー帰らなきゃですよねっ」と
せっかく新しいのにしたばかりなのに勿体ない…ということで、もう1時間半ばかし待つことになり~そして文頭の写真を撮ってたというワケである(長っ)
運転するにはよくない成分が点滴の中に入ってたということで、思いのほか回復したダンナ氏は運転手としては戦力外…結果、関空から1人で運転して帰った。
そして病院の支払いは~ダンナ氏が聞いてきたらしく(あの時もっと詰めとけばっ)後日、話の通じてない者同士で電話のやりとりをしながら無理やり保険適用にしてもらい、銀行振り込みとなった。
翌日のクリスマスイブは~ケーキなど無い。
クリスマスの夕飯。豆腐やちくわぶが入ったスープ
ようやく25日から休み明けで出勤していったダンナ氏。多少フラフラしていたが元気を取り戻し「あぁ、帰り道は大変だったね」で事は終わるはずだった。
が、話はもう少し続く(しつこくてスマンね)
26日は忘年会でお泊りだったダンナ氏、27日午前に帰宅した時に調子が悪いと自ら病院に行ってきたらしい…そして午後、何だか熱いやら寒いやら言い始めたので横になれと寝てもらった。
かにたま「どうけ?腹痛いがけ?」
ダンナ氏「うーん、腹もそうだけど、寒い?熱い?」
かにたま:おでこに手をあててみる…「えー普通。私と変わらん気が?」
念のためと体温計で測ってみると~39.6℃
かにたま「いやー体温計壊れとるわ、もう一回測ってみれば?」
2回目39.7℃
数字を見た途端不調度が上がるダンナ氏、自分の手を信じ体温計が壊れてると思い込んでるオイラ…(^^;
結局病院に電話して、もう一度診てもらうことにした。
3回目39.9℃(惜しいっ、記録まであと0.1℃。あれ?ウチの体温計…合ってる(笑))
午前の診察の時にダンナ氏が「熱はないです」と言ったばかりに先生は腸炎を疑わなかったそうで…これだけ発熱したということは~最初の治療で死にきらなかった細菌が復活して悪さをし始めたということらしい。
今度は熱で唸るダンナ氏、熱は2日ほど続き、汗をかいては着替えるので洗濯が追いつかず、私のジャージ(サイズがメンズだから大丈夫)を着るほどに…その間も点滴をしに3日ほど通院、ということで年末なんて掃除どころではなかったのだ。
年末の色々その2!祖叔母が亡くなった次はダンナ氏の体調不良&高熱。
ホントにえらいこっちゃだった…が、ただでは起きないオイラ、弱ったダンナ氏につけこんで「念願のホームベーカリー」の購入許可を得たのである
喉もと過ぎれば熱さ忘れる?!今となれば結果オーライ?ということにしておこう。
最後の最後に長文のシンガポール旅日記はひとまずこれでお終いなのだ~長いことお付き合いいただいて、どうもありがとなのだっ