正月に「あけましておめでとう」と素直に言いづらかったオイラ。
実は昨年のシンガポールへの出発日に祖叔母(表現が合ってるか微妙…私から見ると祖母の妹、母から見ると叔母)が80歳で亡くなったのだ。
小さい頃から会う回数は少ないものの、可愛がってもらってた記憶があったので、関空を目の前に旅行に行くのをやめようかとも思ったんだけど~私がもし祖叔母の立場なら(難しいけど姪っ子の子供を想像)自分のために旅行を止めてまで葬儀に出てほしくないと思い「むしろ楽しんでこよう」くらいの勢いで旅をしてきた。
帰国して、結局兄も妹も葬儀に出たという話で少々後悔もしたけれど、今日「三七日」のお参りをして、ようやく胸のつかえが少し落ちたところ☆
祖叔母(面倒なので、以下Zおばちゃん)は私が聞く限り独身で、10数年前に曾祖父母が亡くなって以降、戦時中は疎開先になったほどの大きなお家に1人暮らしだった。
あんなに広い家で1人で怖くないのかなと前々から思ってたんだけど、三七日の法要の後におうちの片づけを手伝ってて(今ぷーちゃんでよかった!)色々なところへ出かけてるZおばちゃんのアルバムを見て、それはそういう生き方でもあったのだなと思うことにした。
私が好きだった、大きな広間の柱と天井。床は片付け中で写せず
母と叔母、伯父のお嫁さん3人で台所から蔵方面を片付けていたのだけど、女3人寄らば~的でこわかった(おばちゃん3人が気合入れて掃除してるからね)ので、遺言メモを見て大切なものを整理しようとしてたばーちゃんの邪魔?と、オバハン3人が出してくれたごみ袋の運搬だけをした。
ばーちゃんは年齢的なこともあって、5年ほど前からZおばちゃんに「あんた死んだ時のためにちゃんとしとかれ」と何度も言ってたそうだ。
しかしZおばちゃんは急に亡くなったものだから、結局ばーちゃんは暮らしてた跡がそのまんまな部屋に入り、旅先での思い出や捨てにくい数字が入ったハガキ(医療費だの、保険だの)などをより分け「私の時は何もせんでもいいようにしとくから」と言っていた。
そういうことをばーちゃんから聞くのも何だか切ないのだけど、それでも無情なくらいバッサバッさと目の前のモノを捨てる決断をしてる自分としては、いつ何時自分もいなくなっちゃうか分からないから、自分も「始末」をしないとなと思わずにはいられなかった。
小さい頃は上れなかっただろう Zおばちゃんちの土手からの景色
Zおばちゃんの死は色んなことを運んできた。
中には、36年ちょい生きてきて知らずにいたことがあったり、10年以上会ってなかったいとことの再会(この間まで小学生だったのに!背が抜かされてた)だったりと思わぬ多方面からギュッと凝縮されて、いきなりぶつかってくることばかりだったから、ちょっと気持ちが悪くなったくらい(O.O;)(oo;)いや、楽しいことや得したこともあったけど
それでも、これからを生きるにあたって必要な「縁」があってきたことたちだろうから、年を重ねるというその間に組み込んでいかなくちゃいけないのだなと…
ウキウキばかりのブログに、ちょいと覚書き的に。
実は昨年のシンガポールへの出発日に祖叔母(表現が合ってるか微妙…私から見ると祖母の妹、母から見ると叔母)が80歳で亡くなったのだ。
小さい頃から会う回数は少ないものの、可愛がってもらってた記憶があったので、関空を目の前に旅行に行くのをやめようかとも思ったんだけど~私がもし祖叔母の立場なら(難しいけど姪っ子の子供を想像)自分のために旅行を止めてまで葬儀に出てほしくないと思い「むしろ楽しんでこよう」くらいの勢いで旅をしてきた。
帰国して、結局兄も妹も葬儀に出たという話で少々後悔もしたけれど、今日「三七日」のお参りをして、ようやく胸のつかえが少し落ちたところ☆
祖叔母(面倒なので、以下Zおばちゃん)は私が聞く限り独身で、10数年前に曾祖父母が亡くなって以降、戦時中は疎開先になったほどの大きなお家に1人暮らしだった。
あんなに広い家で1人で怖くないのかなと前々から思ってたんだけど、三七日の法要の後におうちの片づけを手伝ってて(今ぷーちゃんでよかった!)色々なところへ出かけてるZおばちゃんのアルバムを見て、それはそういう生き方でもあったのだなと思うことにした。
私が好きだった、大きな広間の柱と天井。床は片付け中で写せず
母と叔母、伯父のお嫁さん3人で台所から蔵方面を片付けていたのだけど、女3人寄らば~的でこわかった(おばちゃん3人が気合入れて掃除してるからね)ので、遺言メモを見て大切なものを整理しようとしてたばーちゃんの邪魔?と、オバハン3人が出してくれたごみ袋の運搬だけをした。
ばーちゃんは年齢的なこともあって、5年ほど前からZおばちゃんに「あんた死んだ時のためにちゃんとしとかれ」と何度も言ってたそうだ。
しかしZおばちゃんは急に亡くなったものだから、結局ばーちゃんは暮らしてた跡がそのまんまな部屋に入り、旅先での思い出や捨てにくい数字が入ったハガキ(医療費だの、保険だの)などをより分け「私の時は何もせんでもいいようにしとくから」と言っていた。
そういうことをばーちゃんから聞くのも何だか切ないのだけど、それでも無情なくらいバッサバッさと目の前のモノを捨てる決断をしてる自分としては、いつ何時自分もいなくなっちゃうか分からないから、自分も「始末」をしないとなと思わずにはいられなかった。
小さい頃は上れなかっただろう Zおばちゃんちの土手からの景色
Zおばちゃんの死は色んなことを運んできた。
中には、36年ちょい生きてきて知らずにいたことがあったり、10年以上会ってなかったいとことの再会(この間まで小学生だったのに!背が抜かされてた)だったりと思わぬ多方面からギュッと凝縮されて、いきなりぶつかってくることばかりだったから、ちょっと気持ちが悪くなったくらい(O.O;)(oo;)いや、楽しいことや得したこともあったけど
それでも、これからを生きるにあたって必要な「縁」があってきたことたちだろうから、年を重ねるというその間に組み込んでいかなくちゃいけないのだなと…
ウキウキばかりのブログに、ちょいと覚書き的に。