2月15日は第3土曜日でしたので、恒例の〝きらら俳句教室〟の第11回目でした。どんよりした曇り空に、日の差してくる気配もなくて…教室に入ると、あれ、今日は人数が少し少ない?と思ったら、先週の行事が延期され、公園の清掃活動が行われるからだと。それでそちらへ4人が出席ということでした。
最初は、俳句の「虚構」ということについてちょっと説明。昔から〈俳諧師(本当は講釈師ですが)見てきたやうな嘘を言ふ〉と言われたように、〝五七五〟と〝季語〟で事実を報告する、それでは俳句にならないと。俳句が紛れもない文学の一ジャンルだとすれば、それは〝創作〟であってしかるべきだと。実際にそこに咲いてなくても、その花が一句を引き立てて有効だとすれば、イメージの中で咲かせてもいいのだということです。それが、いつも言う〝ありうる嘘〟で、秋櫻子先生言うところの〝文芸上の真〟なんですよ。
私たちが俳句を鑑賞する時、五七五の言葉を通してそこに描かれた情景をイメージし、そのように表現した作者の思い(心)を共感したり感動したりするんですからね。事実がどうだったかということをあれこれ詮索しているわけではありませんので、想像の翼を広げて自由に創作できるということ。その創作のきっかけやモチーフに出会うため俳人は吟行するのです。家に閉じこもって机の前でウンウン唸り頭をひねっていてもいいものはなかなか生み出されませんよね。そんな時ちょっと外の空気を吸うだけでも気分が変わるでしょう。
これは音楽でも美術でも芸術家と言われる人なら誰でもそうでしょう。じっと籠っていて生まれることもあるでしょうが、外へ出て人とおしゃべりをしたり、全く違うことをしてみたりと、人それぞれに気分転換をしながら無限の創作へと心を駆り立てていくのだと思います。
それでは小難しい話はそれまでにして、さあ、吟行へ出かけましょう。そして、句材を拾ったらそれを今度は大いにイメージを膨らませて詠んでみましょうね!と発破をかけて出発です。しかし、春になったとはいえまだまだ冷たい風に、木の芽も草の芽も縮こまっていて…でももう〝桜〟の芽がこれくらいに…。蘆原もまだ枯れ一色ですが、この3月の始めには〝野焼き〟が行われるのだそうですよ。そうすればきっと…来月の教室は楽しみ!
しばらく歩いていくと〝アオジ〟が目の前に…。するとカメラを構えて待っている人に出くわし…聞いてみると〝トラツグミ〟を待っているんですって。今日のメインは何?と、レンジャーのHさんに聞くと、アカガエルの卵ですよと。ああ、それで杓子を持って歩いているのねと納得です。(笑)
やがてビオトープに来て、早速卵を探します。もう何度も観ているのですぐに見つけ…それをHさんが掬って見せてくれました。それは透明なゼリーに包まれた黒いつぶつぶの塊、アカガエルの卵です。アカガエルは春先の一番早い時期に卵を産むカエルで、本州にはニホンアカガエルとヤマアカガエルの2種類が生息していて、成熟した雌が毎年ひとつの卵塊(たくさんの卵の集合体)を産みます。早春に卵を産むのは、水生昆虫やヘビなどの天敵を避けてなるべく早くお玉杓子を大きくする戦略だと言われているそうです。
ちなみに、俳句ではこの〝お玉杓子〟は春の季語なんですが、音数が6音と長いので〝蝌蚪(かと)〟という表現をよく使います。私も今までは当たり前のように使っていましたが、今回語源が気になって調べてみました。すると、「 中国の古体篆字(てんじ)の称。筆紙がまだ行なわれないで、竹簡に漆で文字を書いたため、粘って文字の線の最初が大きく、末が細く、その形がおたまじゃくしに似ていたところからいう。蝌蚪文字(かともんじ)。」だと。漢和辞典で調べても蝌蚪にはお玉杓子のことしか出ていませんでした。
ところで、もう一つよく使われるのに〝蝌蚪の紐(ひも)〟というのがあります。これは〝紐〟という語からも分かるように長い帯状の卵塊なんですね。それはヒキガエルの卵なんですが、今回のはアカガエルの卵ですから写真のように丸い卵塊なんです。でも、投句に〈掬ふたびぷるりぷるりと蝌蚪の紐〉と詠まれた方がありましたが…ほら、最初に言ったように事実を述べなくても虚構で詠んでいいんですよ、ということ。早速実行してくれました。結構、結構! 写真は、上手く撮れてなくて…最後の2枚はお借りしました。ゴメンナサイ!
というわけで、今回のきらら俳句教室も定刻に無事に終わって、午後からはまた宇部馬酔木句会へ。ここでもとても面白い話が出たんですが、それはまた次回でということにして…今日はこれでオシマイ!
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