今日はお彼岸でした。正確に言うと「彼岸の中日」、春分の日です。なので母たちと四人で、広島まで行き、彼岸法要をして来ました。もちろんしっかりとお墓参りもしてきましたよ。
彼岸とは、春分と秋分とをそれぞれ中日として、その前後三日間ずつ、計七日間をを言い、昔からよく「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、この時期を境にして本格的な春や秋を迎えるようですね。俳句の季語としては、ただの「彼岸」は春を、秋の場合は「秋彼岸」「後の彼岸」と、使い分けますが、この時期になると、私はすぐに次の句が浮ぶんですよ。
毎年よ彼岸の入に寒いのは
正岡子規の句です。この句に出会ったとき、なんと平易で分りやすく、それでいて心が引きつけられる句なのだろうと思いました。前書きに「母の詞、自から句となりて」とありますので、子規の問いかけに答えたお母さんのつぶやきを、ただそのまま子規は五七五にしただけなのです。こんなただ事でもこんな素敵な俳句になるのだと知って、本当にびっくり!
初学の頃は、俳句を特別なものだと難しく考えて、ない知恵を一生懸命ひねって詠もうとしていたのですが、…まさに目からうろこでした。でも、俳句をやっていらっしゃる方はよ~くご存じですよね。このだだ事がだだごとでないということが…。
こういう風に詠めることなんてめったにありませんから、もしそんな場に出くわして出来た句は、私たちは〝賜った句〟と言っています。やはりこういうことは日頃の心がけがよくないと……ね。
ところで、この寺に以前から句碑があるのは気がついていましたが、今回せっかくだから、ブログで紹介しようと写真を撮ってきました。ホトトギスの大御所、高濱虚子の句碑です。
石船に灯る春のみなとかな
この句、調べてみても分りませんでしたが、「灯る」は、きっと「ひともる」と読むのでしょう。この寺は、昭和三年十月虚子曽遊の折句会が催され、広島ホトトギス会が結成されたところなので、第12回アジア競技大会広島記念俳句大会開催の記念として、平成六年に建立されたものだそうです。ちなみに掲句は、明治二十九年広島に始めて来た虚子が詠んだものらしい。
※この句は、正しくは〈百船に灯る春のみなと哉〉で、3月26日のブログ「失礼しました」を読んで下さい。