昨日、13時から定例の馬醉木句会でした。4月から次の年の3月までを一区切りとして、毎年3月には総会と会計報告をします。
この会は、昭和46年6月に開設されて以来、45年以上一度も休会することなく、今月が第548回目の句会でした。そのような伝統ある句会をどうにか引き継いで、〝楽しくも有意義に〟をモットーにここまで来ましたが、これから先のことは 不安だらけです。まあ、私が元気なうちは頑張るつもりですが…。
昨年は、3月の句会の日にちょうど佐賀県・福岡県の世界遺産をめぐるツアーがあって、それにみんなで参加しましたが、今年は、3月ではなく4月の句会の日に、運良く〝花のまわりみちと宮島自由散策〟というツアーがあって、それに行くことにしました。広島造幣局の桜の通り抜けが一週間許可されるのです。大阪造幣局の桜の通り抜けは有名なので、テレビなどで見たことはありますが、広島も小振りながら結構いいよと聞いていましたので、一度は行ってみたいと思って決めました。そのレポートは今度また…。もちろんこれは句会の行事ですから、宮島での自由散策を吟行として句会もやりますよ!お楽しみに。
今月の投句数95、出席者は12名。高点句は、以下です。
啓蟄の風の匂ひや雨上り (季語「啓蟄」、雨上りの心地よい風に虫たちがぞろぞろと顔を出しそう…)
龍となり山焼の炎の天目指す (季語「山焼」、秋吉台の山焼…その火の勢いが龍と天でよく見えてくる)
蔵に沿ふ水の豊かに雛めぐり (「豊かに雛めぐり」と続く感じがするので、ここは「豊かや」と切りたい)
島の子の不意の挨拶葱坊主 (季語「葱坊主」が面白い。やんちゃな島の男の子らしさが感じられる)
いぬふぐりいつもの道で逢う子かな (季語「いぬふぐり」の可愛らしさと明るさが子に重なって気持の良い句)
ところで、体調が悪いと先々月から欠席のYさんの投句に、こんなのがありました。
病室のカーテン越しに春日かな
それでびっくりして、句会の後電話してみると、今日退院したところだと…。意外と元気そうな声が戻ってきましたので、ホッとしました。 見ず知らずの人が詠んだ句でも、作者の置かれた状態や心の様子などは何となく感じられるものですよね。ましてや仲間ともなれば、当然いろいろなことが分ってしまいます。このように俳句というものは、作者の姿が投影されるものなのです。もちろんこれは、俳句に限ったことではありませんが…。
私が初心の頃からいつも教えられてきたことがあります。それは、〝俳句は姿勢だ〟ということです。この言葉は、かつて「馬醉木」の編集長だった福永耕二さんの言葉ですが、若くして亡くなり、その死を人々に惜しまれた方です。いろんな話を聞かされる度、私も一度でいいからお会いしたかったなあ…と。それで、少し紹介しますね。
福永耕二
1938年~1980年、42歳で没。鹿児島県出身。高校生時代より作句して、「馬醉木」に投句。鹿児島大学に入学すると、俳誌「ざぼん」の編集に加わる。卒業後は高校教師として働き、27歳で上京、32歳の若さで「馬醉木」の編集長となる。句集『鳥語』『踏歌』『散木』。『踏歌』で俳人協会新人賞受賞。戦後の「馬醉木」の俊英として嘱望され、青春性・抒情性を湛えた馬醉木調の句風である。
「俳句は姿勢だ、と僕は考える。俳句はそれを生きて行ずる人の姿勢である。俳句という表現形式を愛し、それを人生と等価のものにして生きようとする努力が俳句の歴史を貫いてきたと思っている。」(耕二の言葉)
最後に私の好きな作品の一部を。
浜木綿やひとり沖さす丸木舟
雲青嶺母あるかぎりわが故郷
新宿ははるかなる墓碑鳥渡る