昨日は7月21日、「土用の丑の日」でした。もちろん我が家も毎年全員で〝鰻(うなぎ)〟を食べる日なんです。
ひと切れの鰻啖(くら)へり土用丑 石塚友二
この句、「ひと切れ」というところに、当時の〝鰻〟がいかに高価な食べ物だったかということが分りますね。現在のように安価な中国産の養殖ものが出回っている時代ではありませんから。これが戦前か戦後あたりの句だとすれば、当然そうそうは食べられない高価な国内産の天然もの。それが土用丑の日ともなればなおさら高くなるでしょう。だから「ひと切れ」なんですよ。更に「啖へり」という字。普通の「喰」や「食」を用いなかったというところにも友二の気持ちが窺えますね。「啖」という字は〝むさぼり食う〟という意味なんですから、どういう様子で食べているかがはっきりと目に浮かぶでしょう。
石塚友二は(1906年~1986年)、新潟県出身の俳人・小説家・編集者です。尋常高等小学校高等科を卒業し、農業学校を出て家業の農家を継いだものの、18歳で上京して働きます。俳句の出発は秋櫻子の「馬酔木」からでしたが、1937年、石田波郷を主宰として「鶴」を創刊、発行編集者となります。1969年に波郷が没してからは同主宰を継承しました。
当時彼は恐らく贅沢の出来るような暮しではなかったでしょうし、食べたら一瞬に消えてしまうようなそんな贅沢なものにお金を使うぐらいなら、本でも買った方がいいと思うような人だったのかも。だって、〈遣り過す土用鰻といふものを〉という句もありますからね。まだ前句の方がひと切れでも食べられたのですからよかったんですよ。今のような飽食の時代には決して味わえない、そんな極上のひと切れの味だったでしょう。
さて、今度は我が家の話です。毎年予約してN鮮魚店の鰻重を食べていたんですが、今年はどうしたことか予約の張り紙が出ていませんでした。義母が今年もお願いねと言っていたので、売り切れたら大変と思ってお店に行くと、今年はやっていないとのこと。エエッ、どうして?と聞くと、いつも鰻を焼いていたおじさんが亡くなったから出来ないんだって。そういえばあの小柄のおじさんの姿を最近は見掛けなかったものねえ~。そんなに歳には見えなかったし、あんなにいつも元気に働いておられたのに…、ナント人ってはかないものなのかしらと思うと、心淋しくなりました。
では鰻、今年はどうしよう?といろいろ考えた末、今回は私が奮発して鰻の美味しいところへみんなで食べに行くことにしたんです。しかし、土用丑の日はきっと予約でもう一杯だろうし、また、平日にすると働いている者が来られないだろうし…、ということで日曜日19日の昼に決めて出かけました。全員で7名でしたが、お婿さんが来られないということで、6人、鰻で有名な(?)お食事処のMへ、いざゆかん!
それがこの写真の〝うなぎランチ〟。〝うなぎ御膳〟もありましたが、それは鰻と吸い物だけで、このランチには小鉢と天ぷらと茶碗蒸しが付き、更に食後のデザートとコーヒーも付いています。(このデザートの写真撮り忘れました…トホホッ) このお店を探すとき、口コミに値段は変わらないので、このランチの方が(鰻は少ないけど)断然お得と書いてありました。私たちにはちょうど良かったんですが、息子には少しもの足りなかったようで…ゴメンね!
でも、でも…聞いて下さい。これ全部私のおごりなんですから、文句は言わせませんよ!もちろん来られなかった婿さんにも鰻重のお持ち帰りを頼みましたよ。
何でって???そう、ここからがもっとうま~い話なんですが…。またまた長くなりましたので、続きは明日へ…。