植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

野田山墓地、大乗寺巡り ①

2015-07-08 04:19:48 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その398(No.624)

◇野田山墓地、大乗寺巡り ①

まいどさん16期生「よるまっし16会」は2回目の野田山
墓地を巡った。前回は前田家墓地を巡った。

○野田山墓地

天正15年(1587)前田利家が兄利久を葬ったのが始まり。
その後利家本人もここに葬られ前田氏の墓所となり、さらに
家臣、町人、百姓など身分、宗派に関わらぬ墓地となった。
現在は概ね前田家墓所、市営墓地、及び石川県が陸軍から引
き継いだ戦没者墓地の3つのエリアに分別される。

■写真は野田口の野田墓地地図



野田山墓地は金沢城から直線距離にして南西に約3.5キロメ
ートルほど離れたところに広がる一大霊園地です。野田山は
標高約175メートル、その山頂から山腹に広がる墓地の総面
積は43万平方メートルで、兼六園の約4倍の広さがあります。

平成21年2月12日、野田山の加賀藩主前田家墓所は、富山県
高岡市の前田利長墓所とともに国史跡として指定されました。

○室生犀星の墓所

(本名:室生照道(てるみち)、1889年8月1日-1962年3月26
日)は、石川県金沢市生まれ。加賀藩の足軽頭だった小畠家
の小畠弥左衛門吉種とハルという名の女性の間に私生児とし
て生まれた。生後まもなく、生家近くの真言宗寺院雨宝院住
職室生真乗の内縁の妻赤井ハツに引き取られ、その妻の私生
児として照道の名で戸籍に登録された。住職の室生家に養子
として入ったのは7歳のときであり、この際室生照道を名乗
ることになった。





■写真は室生犀星の墓

○御幣墓

堀五平という相撲取りの墓ではないかと言われていますが、
刻字の摩耗が激し上に今は無残な墓となって確認が困難。



■写真は御幣墓

○佐野家の墓

佐野吉之助(1864~1919)は宝生流能楽師。能楽を諸橋権
之助に師事し、謡曲を石橋和平に習い、後に宝生九郎の門
に入り研鑽をつみ、金沢に帰り北陸能楽界のために尽力し、
最後の舞台は松風のシテ役であった。







■写真は佐野家墓

(つづく)


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