植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

卯辰山「碑(いしずえ)」巡り ③

2017-06-28 04:05:12 | 日記


金沢の観光スポットレポート その692(No.1048)

◇卯辰山「碑(いしずえ)」巡り ③

5月14日(日)石川県ウオーキング協会の5月例会「卯辰山碑探訪」に参加した。

 今回のテーマは卯辰山の顕彰碑、功労慰霊碑、歌碑、句碑、書碑などの建立の場として金沢市民に親しまれている「碑林 ひりん)」の約65あるといわれる内の20碑を巡り金沢の歴史訪探をするものです。

11)金沢大学屍体解剖の塚・碑・墓

 明治3年以降、金沢医学館、金沢医科大学、金沢大学医学部の解剖体慰霊の塚と碑である。墓地の右側に1883(明治16)年たてられた 「解剖遺骸の碑」 があり、正面には「解剖屍体之塚」の石標、その後ろに献体者の氏名を刻した31墓の墓標が並んでいる。碑文は石川県医学校長兼金沢病院長・田中信吾の撰である。左側には1987(昭和62)年金沢大学医学部学生による「献体の諸霊に」と題した慰霊のことばを記したプラスチック板が掲げられている。

■写真は金沢大学屍体解剖の塚・碑・墓



12)キリスト教殉教者の碑

昔この谷間を湯座屋谷と呼んだ。1869(明治2)年、長崎浦上村のキリスト教徒のうち510人が加賀藩預かりとなり、同6年に送り返されるまで幽閉されていた所である。「義のため迫害される人は幸いである」と、聖書の言葉を刻んである。石碑の題字と由来書は徳田與吉郎(元、金沢市長)の書である。裏面にはチプリアノ・ポンタッキョ師の碑文が刻まれている。1968(昭和43)年建立。

■写真はキリスト教殉教者の碑



13)殉難消防団員之碑

 1906(明治39)年以来の石川県下殉難消防団員を祭った慰霊碑である。卯辰山運動場の上、小高い扇ケ丘に、六角の台上に加賀消防の「まとい」を形どって作られた碑が建てられている。1935(10)年石川県消防協会によって建てられた。

■写真は殉難消防団員之碑



14)相撲場記念碑

 3個の自然石の上に、大きな石を立て、表面に「心・技・体」の文字を刻んだ三枚の黒御影の石をはめ込んである。960(昭和35)年に造られた相撲場入口右手にあり、昭和56年石川県相撲連盟によって建てられた。
 この相撲場は野外相撲場としては日本有数のもので、毎年ここで行う高校相撲全国大会は有名である。

■写真は相撲場記念碑



15)殉難豊川女子挺身隊員世界平和祈願像

 1945(20)8月7日、愛知県豊川市の豊川海軍工廠が空襲にあって、石川県からの女子挺身隊員も52名の犠牲者を出した。この隊員の慰霊のために建てられたもの。相撲場奥の高台に、上部に吊り鐘をつけた塔の前、等身大の乙女の像が立っている。
 1962(昭和37)年建立の「平和祈願像乙女の像」で、矩 幸成の作。題字は佐藤春夫書、像の前には水芦光子の挽歌「これやこの少女ら 生きてあらば いまは人の妻 子の母なるを 緑葉を色めくごと 春はなのはやくごと 生きてあらば とりとりなるを われら哭く ここに哭かねば いつこにひとの 嘆く辺ありや」も添えられ、左側には「殉難乙女の像建立の趣意」を刻んだ石碑が建てられている。





■写真は殉難豊川女子挺身隊員世界平和祈願像

(つづく)


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