植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

珠姫の菩提寺天徳院(てんとくいん) (2)完

2014-02-10 04:48:38 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その229(No.394)

◇珠姫の菩提寺天徳院(てんとくいん) (2)完

金龍山(きんりゅうざん)天徳院は曹洞宗の寺院で、元
和9年(1623)に加賀三代藩主前田利常公は正室珠姫菩
提のため、小立野台に4万坪の広大な敷地を定めて天徳
院を創建した。

○珠姫の略伝

珠姫は、加賀藩三代藩主前田利常公の正室で、慶長4年
(1599)3月江戸幕府第二代将軍徳川秀忠公の次女とし
て生まれ、名前は珠子、幼名を子々姫といった。

同年、前田家では藩祖利家が亡くなり、二代藩主利長公
が加賀の国へ戻り藩政を治めていた。その間には、前田
家が徳川を討つという噂が流れ、将軍家康公は大変驚き
軍勢を集めて前田を攻めようとした。この情勢を聞いた
利長公はすぐに国家老を派遣して、前田家が徳川幕府に
刃向かう計画は一切無いことを説明、その証としてやむ
なく利長公の母、お松の方(芳春院)を人質として江戸
に送り代わりに珠姫を嗣子利常の嫁として受けることを
約束した。

抹茶は500円(受付でチケットを買う)

■写真は茶室



■写真は抹茶





慶長6年(1601)珠姫さま3歳のとき加賀の国(金沢)
へお輿入れになり14歳で結婚、その後10年間に3男
5女を立派に育てられた。珠姫さまは利常公の妻として、
将軍秀忠公の娘として前田、徳川両家の融和のために心
を尽くされたが、元和8年(1622)春、夏姫出産後7月
3日に亡くなられた。御歳24歳であった。

その年の8月8日、城外小立野の地で荘厳に葬儀が行わ
れ、遺骨を金沢と高野山に分骨して各に一寺を設け、戒
名の『天徳院殿乾運淳貞大禅定尼』にちなんで、いずれ
の寺院も天徳院と称した。

珠姫さまの生涯は加賀百万石の危機を救いその繁栄に尽
くした、まさに良妻賢母、日本女性の鏡として今も金沢
市民に敬愛され親しまれている。(ホームページより)

■写真は庭園



■写真は鎮守堂



■写真は鎮守堂の天狗



■写真は総門右の出世観音

天徳院ホームページ
http://www.spacelan.ne.jp/~tentokuin/