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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

科学的とはどういう意味か

2012-04-08 20:30:03 | 好きな本
森博嗣 2011年 幻冬舎新書
一読で“好きな本”に分類できるものに出会ったのは久しぶりだ。
きのうからの続きっていうか、似たような部類ともいえると思うんだけど、実はきのうの『「反原発」の不都合な真実』を書店の新書棚で探してるときに、たまたま見つけて、著者名と目次ぱらぱら見て、すごい気になって買ったんだ、これ。
著者は『すべてがFになる』を書いた作家で、工学博士。
で、とにかく、もうすべてがツボにハマりまくりました、私、読んでて。
そうなんだよ、誰かにそういうこと教えてほしかった、言ってほしかった、私も言い方知ってたら言いたかったんだ、って私のかゆい所に手が届きまくりの中味。
ここはいいと思ったとこに付箋貼ってったら、林立状態になってしまった。
なので、気に入った箇所の引用なんて、ここで出来ない、いっぺん全部読んでみてくれ、としか言いようがない。
うーん、それでもどーしても何かしら中味に触れろっていうんなら、ある問題に対して、答えの言葉を教えてもらうか見つけるかして、それを憶えて終わりにするんぢゃなくて、答えを導き出すために筋道たてて考えることのほうが大事でしょ、自分の頭で考えましょう、ってことを説いてると言ったらいいのかなあ。
そのためには、数字が出てきた瞬間に、難しいからわかんないだなんて態度をとっちゃダメ。
>数字をよく認識し、法則性を見出し、そして、自分だけの判断ではなく、他者とコミュニケーションを精確に取り、その中で一つずつみんなで確かめながら、正しい情報を選択するという基本的な仕組み
をもっとみんなに理解してもらいたいってことなんだよね、大事なことは。
で、そーゆーことが問題意識としてこの時期でてきたのは、やっぱ去年の東北の地震とそのあとの社会の状況なんだろう。
科学が好きとか嫌いとかぢゃなくて、非科学的な状態から人々を救出しなきゃって思うくらい、日本がひどいから。
簡単な例をあげると、「堤防があるから津波がきても大丈夫」って誰かに言われた言葉を信じるだけぢゃなくて、「この堤防で防げるのは高さ5メートルの津波まで」って認識をもつ、ものごとの理屈を理解して、どの範囲で安全が成り立つのか自分で知ることが大事だとかね。
で、やっぱ、現在の日本でおかしいのは、まずマスコミの態度なんだよね。たとえば
>水道管が破裂した事故を報道するTVでは、何リットルの水が流出した、という数字を伝えればわかるところを、周囲の人たちにインタビューをして、どれくらい凄かったのか、ということを語らせようとする。そういう「人々の印象」を伝えることが「正しい情報」だと考えているようにさえ思える。
って指摘してる。
災害現場からのレポートでは、レポーターがどう感じたか主観を一所懸命ガナるけど、客観的に把握できる情報を伝えない。
でも、それって、受け手の側がそーゆーの求めてるってのもある。正しい情報より、誰かの感想とか物語性を欲しがっているから、送り手もそういうもの作る。
で、そうやって感想ばかり欲しがるのは何でかっていうと、「自分では考えたくないからだ」ってことなんだろう。
TV番組に科学者が呼ばれた場合でも、司会者は解説を求めるけど、内容をろくに聞かないで、とにかく最後に「先生は、この事態についてどう思われますか?」って尋ねたがる。
専門的な見地からデータを示し、その説明をするのが科学者の役目なんだけど、個人的な感想しかメディアは求めてない。
著者は、
>もし僕がこの「どう思われますか?」という質問を受けたら、たぶんこう答えるだろう。「私がどう思っても、現実は変わりません」と
って書いてる。とても正しい。

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