many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

サム・ホーソーンの事件簿III

2023-08-31 18:51:27 | 読んだ本

エドワード・D・ホック/木村二郎訳 2004年 創元推理文庫
先々週に買った中古の文庫、私にしてはわりとすぐ読んだ、暑いときは短くて童話性のあるものがラクでいい。
日本で独自に編纂してる短篇集の第3弾、シリーズの発表順の第25作から第36作を順に収録したもの、初出は1983年から1988年らしい。
物語世界は、1930年から1935年のアメリカ、1933年12月に禁酒法が廃止されて、それまでヤミで飲んでたみんなでお祝いをしたりしてますが。
語り手・主人公サム・ホーソーン医師は1922年にノースモントで開業、本書冒頭では34歳になってました、ちゃんとトシとるんだよね、このシリーズの登場人物は。
それどころかホーソーン先生はときどき車を買い替えたりして、1935年には真っ赤なベンツ500Kロードスターって夢の車を購入する。
シリーズの最初のほうぢゃ馬車が出てきたりしたはずだけど、この時代になると町の住民のみなさんも車に乗って診療所に通うようになっている。
で、本職の医者もちゃんとやってるんだけど、サム先生のまわりぢゃああいかわらず怪奇な事件が頻発するんで、探偵として謎解きをするのに忙しい日々になる。
なんせ友人でもあるレンズ保安官が、すぐサム先生を頼りにしちゃって手伝ってくれっていうんで、しかたない。
雪の上には他の足跡がないロッジのなかで男がこん棒で後頭部を殴られて死んでたり、干し草の山の防水シートを外してみたら干し草の山の上にピッチフォークで胸を突かれた死体があったり、ほかに誰もいないはずの灯台の最上部の通路から胸を短剣で刺された死体が落ちてきたり、例によっていろいろ不可能殺人が起きる。
各話の登場人物は多くないんで、なんとなーくこいつがあやしいんぢゃないかなって犯人当ての想像はできるんだが、それはたいした問題ぢゃない。
短い物語のなかで、鮮やかにタネあかしされるのを楽しむのがいい、けど、ときどき細工の仕方や動機解明してみたら、そんなのありか、って言いたくなるものもないわけぢゃない。
収録作は以下のとおり。なお、最後の「ナイルの猫」はこのシリーズには含まれない、ボーナストラック。
ハンティング・ロッジの謎 The Problem of the Hunting Lodge
干し草に埋もれた死体の謎 The Problem of the Body in the Haystack
サンタの灯台の謎 The Problem of Santa's Lighthouse
墓地のピクニックの謎 The Problem of the Graveyard Picnic
防音を施した親子室の謎 The Problem of the Crying Room
危険な爆竹の謎 The Problem of the Fatal Fireworks
描きかけの水彩画の謎 The Problem of the Unfinished Painting
密封された酒びんの謎 The Problem of the Sealed Bottle
消えた空中ブランコ乗りの謎 The Problem of the Invisible Acrobat
真っ暗になった通気熟成所の謎 The Problem of the Curing Barn
雪に閉ざされた山小屋の謎 The Problem of the Snowbound Cabin
窓のない避雷室の謎 The Problem of the Thunder Room

ナイルの猫 The Nile Cat

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見晴らしガ丘にて

2023-08-24 19:19:00 | マンガ

近藤ようこ 昭和60年 実業之日本社
このマンガはずっと気にして探してたんだが、ことし5月だったか古書フェアで見つけたんで買った。
たしか文庫本も出てるはずなんで、そっちでいいはずのつもりだったが、これ見つけたらオリジナル単行本だろと思うと、欲しくなってしまった。
近藤ようこさんはいくつか読んだんだけど、これが気になってたのはたしか『怪奇まんが道 奇想天外篇』を読んでたら出てきたからのはず。
ところが、なんせ気づけば5年も前のことなんで、自分でも何が気になったのか忘れてたくらいだから、今そっちを見直してみた。
そしたら、売れないころの著者のところへある日突然「週刊漫画サンデー」編集部から電話かかってきて、畑中純の推薦あって描いてくれ、と頼まれて昭和59(1984)年から初の連載として描いたと。
そしたら、新聞の書評欄で糸井重里が「向田邦子さんが漫画を描いたら近藤ようこさんのマンガのようになるだろう」って推薦してくれたと。
面識のない著名人に応援されたっていうし、初連載には著者のギュッと詰まった何かがあるだろうし、みたいなとこの興味から読んでみようと思ったんではないかと思い出した。
長編なのかと思ったら短編集でした、だいたい舞台が見晴らしガ丘ってとこらしいけど各話に直接のつながりはなし。
(なお、タイトルの見晴らしガ丘の「ガ」の字はほんとは小さい字(「ヶ」のように)なんだけど、パソコンの変換で出ない。)
見晴らしガ丘ってのは東京近郊の私鉄沿線みたいで、そこで生活してる庶民を描いた話、昭和59年なんでね、当時の団地とかアパートとかって感じですね住んでるとこが。
主人公はたいがい女性で、主婦のときもあるし未婚の若いひとのときもある。
子どもできたんで結婚はしたけど、なんか人生先が見えちゃってるななんて思ってる主婦の、隣人は親子ほど年の離れた若い女子大生と再婚してるんだけど、ある日そこに前の奥さんが訪ねてきて親権がとか養育費がとかって話でゴタゴタしてるのが耳に入ってきちゃって、去り際に廊下で「あなた、おしあわせ?」とか言われるのが妙に突き刺さっちゃった話とか、日常のなかのちょっとしたドラマみたいな。(「となりの芝生」)
一読したなかで私が気に入ったのは巻頭作の「初恋」かな、骨折した妻の見舞いに病院に通う老人が、同じ病室のもうひとりの入院患者の名前が初恋の女性と同じということに気づき、大正時代の青春を思い出したりすんだけど、最後までカーテンの向こうの同室の患者の顔を見る機会はなかった、妻は無事退院っつー感じの話、劇的再会を果たしちゃったりしないとこがかえっていいような気がする。
収録作は以下のとおり。
初恋
GAL’S LIFE
ママ…DORAEMON
かわいいひと
HAPPY BIRTHDAY
となりの芝生
プレゼント
なつめ屋主人
ご相談
耳飾り


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ラブレーの子供たち

2023-08-17 19:00:18 | 四方田犬彦

四方田犬彦 2005年 新潮社
これは今年3月ころに買い求めた古本、だいぶ以前から気になって探してたんだが、ようやく手に入れることができた。
中身どんなこと書いてあるかはよく知らなかったんだけどね、エッセイ集だと思ってた。
冒頭の短いまえがきのところに、
>本書は、過去の書物を読むことと未知の料理を前にすることこそが人生の悦びであると信じる、ひとりの批評家によって書かれた、実験レポートである。(p.6)
とある。
ただ単に、ある作家の書いたものにこんな食べ物が出てくる、みたいに紹介する話ぢゃなくて、作家とかが好きで書き残した料理のレシピなんかを実際に再現して試食するんである。
そりゃすごい、もちろん各章にきれいな写真が載ってくる。
初出は『芸術新潮』で2002年から2003年に「あの人のボナペティ」ってタイトルで連載されたらしいけど、よくそんな企画がでてきたもんだ。
本書のタイトルにラブレーがついてるのは、ラブレーの書いた物語には食べ物がよく出てくるし、後世の芸術家たちも食に対する好奇心あふれるひとが多かったんで、みんなラブレーの子供たちでしょということらしい。
とはいっても、私はあまり食に関する執着ないので、こういうの読んだり見たりしても、あー食ってみてー、みたいにはならないんだけど。
一読しておもしろかったのは、たとえば「イタリア未来派のお国尽しディナー」とかかな、なんせ聞いたことないものだったから。
フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ(1876~1944)って未来派なる組織の芸術家が、料理を芸術にしたもの。
再現された料理は、
>このコースは4皿+デザートから構成されていて、食べながらイタリア国内を北から南へ、さらに地中海を越えて植民地まで一気に旅行ができるという仕かけがなされている。リストランテの舞台装置には厳密な指定があって、まず天井が青いこと。四方のガラスの壁には、アルプスや田園地帯、火山、南の海を描いた未来派の画家の巨大な絵が掲げられていることが、条件である。(略)
>最初に山の風景を描いた壁に照明が投じられ、部屋の温度は溌溂とした早春にセットされなければならない。「アルプスの夢」なる一皿が、ここで供されることになる。(p.32-34)
という調子で、料理を食べるのに照明など含めてパフォーマンスになるというシロモノ、おもしろそうだけど、当然私なんかは食べてみたいとまでは思わない、だってめんどくさそうだもん。
あと「マリー=アントワネットのお菓子」って章も興味深かった。
>貴族の館に抱えられた料理人は、いかに女主人の堂々たる威風にふさわしい豪華なデザートを考案するかということに頭を悩ませ、女主人たちは完成した作品を手に、その美を競いあうことを好んだ。(p.117)
みたいな概説のあとに、たとえばストロベリー・ショートケーキは、
>(略)もとを辿ればルイ14世の愛妾であったラ・ヴァリエール夫人が王の寵愛を得ようとして料理人に命じて作らせた、苺のタンバルが原形であった。もっともこの時点では、苺はケーキの内側に隠されていて、口にしてはじめてその存在がわかるという仕組だった。これがドイツ経由でアメリカに渡り、ショーウィンドウで目立つようにと果物を表に出したおかげで、大衆的な人気を博するようになったというのが、今日の姿である。(p.118)
という歴史があったと示されると、18世紀宮廷文化のもたらした恩恵が19世紀アメリカの資本主義的なものによって現代に広がってんだなー、みたいなこと知ったような気になれる。
なんかそういう小ネタを知っただけで、そこに出ているもの実際に食べてみなくても、なんかトクした気になれちゃう私は安上がりな人間だとも思うけど。
コンテンツは以下のとおり。
ロラン・バルトの天ぷら
武満徹の松茸となめこのパスタ
ラフカディオ・ハーンのクレオール料理
イタリア未来派のお国尽しディナー
立原正秋の韓国風山菜
アンディ・ウォーホルのキャンベルスープ
明治天皇の大昼食
ギュンター・グラスの鰻料理
谷崎潤一郎の柿の葉鮨
ジョージア・オキーフの菜園料理
澁澤龍彦の反対日の丸パン
チャールズ・ディケンズのクリスマス・プディング
『金瓶梅』の蟹料理
マリー=アントワネットのお菓子
魔女のスープ
小津安二郎のカレーすき焼き
マルグリット・デュラスの豚料理
開高健のブーダン・ノワールと豚足
アピキウス 古代ローマの饗宴
斎藤茂吉のミルク鰻丼
ポール・ボウルズのモロッコ料理
イザドラ・ダンカンのキャビア食べ放題
吉本隆明の月島ソース料理
甘党礼賛
四方田犬彦のTVフリカケ

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神奈川県の山

2023-08-11 19:42:06 | 読んだ本

原田征史・白井源三 2010年 山と渓谷社
暑くて本など読む気がしない。
っつーか、ちょっと考えたら、それとほぼほぼイコールで、なんか考えて文章書いたりする気もしてないんぢゃないだろうか、と気づいてしまった、夏はブログなんて休めばいーのに、って。
ふとカレンダー見たら、きょうは「山の日」である、なんだそりゃ、って気もするが。
ウチにいて本を読まないからって、だからって山に登りにいくなんてことは、あるわけがない、ムリっす、平坦な道あるいて買い物いく気だってしない。
最後に大山登ったのいつだっけ、って探したら、2013年12月でした。円海山いったのいつだっけ、と思ったら、2014年11月でした。
いやー、10年も行ってないんぢゃ、山を歩くのわりと好きなんだよねー、くらいのことを言う資格はなんにもないね、しかし。
さてさて、なんか山の本はないかなと思い出してみたんだけど、無いなあ、日本百名山とか、読まないんだ、そういうの。
本日取り出したるは、「新・分県登山ガイド」ってシリーズのひとつで、薄めのガイドブック、もってるのは2012年の3刷で、たぶん2013年に茨城から神奈川に帰ってきたときに買ったとおもう。
ひとつの山につき2ページからせいぜい4ページで、簡単な解説がされてて、歩行時間とか歩行距離とか標高差が見出しの下についてるんで、まあ日帰りでちょいと行けるのかどうかの判断がしやすい。
各ページの小さい地図にも、歩くコースが示されてて、あちこちに、なにが見えるとか、急な登りとか、スリップ注意とか書いてあって、わかりやすくていい。
たぶん、神奈川にもどったころには、大山以外にも、もう高い山は無理だとしても、低い山歩きをヒマなときにはしましょ、と思ってその選択のために買ったと思うんだけど、ぜんぜん使ってないのは前述のとおり、うーん、この先は体力的にもキビシイから、もうやらんかもしれん。
コンテンツは以下のとおり。
ずらっと名前が並ぶと神奈川県にも山いっぱいみたいにみえるけど、丹沢の蛭ガ岳で1672.7メートル、箱根の神山で1437.9メートルと高さたいしたことなく、鎌倉の源氏山にいたっては93メートルだよ。
(丹沢山塊)
1塔ノ岳 2鍋割山 3丹沢山 4大山 5檜洞丸(1) 6檜洞丸(2) 7蛭ガ岳・袖平山 8 焼山 9大室山・加入道山 10菰釣山 11畦ガ丸 12ミツバ岳・権現山 13檜岳・伊勢沢ノ頭 14不老山 15湯船山・三国山 16大野山 17シダンゴ山 18高松山 19松田山 20渋沢丘陵 21弘法山
(箱根火山)
22矢倉岳 23箱根・丸岳 24金時山 25明神ガ岳 26明星ガ岳 27神山・駒ガ岳 28三国山 29鷹ノ巣山・浅間山 30屏風岩 31城山 32南郷山・幕山
(県央の山)
33辺室山・三峰山 34白山 35鳶尾山・八菅山 36経ガ岳・仏果山 37南山
(県北の山)
38津久井城山 39草戸山 40中沢山 41石砂山 42石老山 43相模嵐山 44景信山 45陣馬山 46生藤山
(鎌倉の山)
47源氏山 48衣張山 49円海山・大丸山
(三浦の山)
50鷹取山 51仙元山 52大楠山 53武山・三浦富士
(湘南の山)
54曽我丘陵(1) 55曽我丘陵(2) 56高麗山

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日本文学史早わかり

2023-08-03 19:21:09 | 丸谷才一

丸谷才一 二〇〇四年 講談社文芸文庫版
暑い、ことしの夏は暑い。でも、これが10年続いたら、それが平年になってしまうのかと思うと怖いよね。
こういうこと言ってると「言うまいと思えど今日の暑さかな」って句がいつも頭に浮かぶんだが。
こうも暑いと本なんか読んでらんない、ってのは毎年言ってるような気もするが。
前に読んだ『男のポケット』のなかに、
>暑いですね。暑いときにはどうすればいいか。銷夏の法として一番しやれてゐるのは、
> 思ひかね妹がりゆけば冬の夜の川風さむみ千鳥なくなり
>といふ歌をくちずさむことである。この和歌を唱へれば夏のさかりにも冬の心地がする、と鴨長明が言つてゐた。
なんてことが書いてあったな、なんて思い出したわけでもないが、丸谷才一である。
ちなみに丸谷さんによれば、勅撰和歌集には「暑くて困る」という歌は極めてまれにしかないんだそうで、
>(略)いくら夏が暑い暑いと言ひ暮したところで何にもならないのだから、そんなことは考へないで、涼しい歌でも読んで気をまぎらすほうが賢い、とさう判断したのではないか。(『男のポケット』p.213)
と和歌傑作集の編纂を命じた天皇の意図を推測してたりする。
この文庫は、去年の10月だったか、街の古本屋で買ったもの、前からあるのは知ってたんだけど、文学史みたいなものに興味あんまりないんで、手を出してこなかった、読んだのはごく最近。
文学史ってのは、幕府が変わったからとかって政権の歴史にあわせて何々時代の文学とかってとらえるもんぢゃないでしょ、という丸谷さんは、勅撰詞華集が歴代の天皇の命によって多く編まれてきたのが日本の特徴だってことで、日本文学史の時代区分を提案する。
第一期 八代集時代以前 9世紀なかば平安遷都後約五十年のころまで
第二期 八代集時代 9世紀なかば菅原道真誕生のころから13世紀はじめ承久の乱のころまで
第三期 十三代集時代 13世紀はじめ承久の乱のころから15世紀すゑ応仁の乱のころまで
第四期 七部集時代 15世紀すゑ応仁の乱のころから20世紀はじめ日露戦争の直後のあたりまで
第五期 七部集時代以後 20世紀はじめ~
ということで、第五期は「宮廷文化の絶滅期」としてる、天皇が恋歌を詠まなくなっちゃったからね。
天皇が恋歌を詠むことは国ほめの歌を詠むのと同様に重要なことだっていう丸谷さんの意見はこれまでいくつもの著作でみてきたんだけど、
>(略)色好みは古代日本人の理想で、天皇とはすなはちこの理想を実現する者――国中の最も優れた女たちを選んで求婚し、彼女らを後宮に養ひ、彼女らの才能と呪力によつて国を統治する人のことであつた。天皇の色好みは神の心にかなひ、国を富ませ、人を豊かに、そして華やかにすると信じられてゐた。(p.35)
と本書でもいってます、やたら天皇を神格化しようとしてそういう方面はやめさせてしまった明治政府の連中は伝統を知らんバカだってことでしょう。
伝統ってことでいえば、七部集の時代、徳川期にあっても俳諧とか和歌とか漢詩なんかで撰集を編むのが大はやりだったのは、
>それはずいぶんの盛況だつたが、どうしてかうなつたかを考へるためには、教育の普及とか木版印刷の進歩とか、そんな方面ばかり注目してはいけない。もつと根本的に、徳川時代の精神風俗が重要なのである。わたしの見るところ、あれは民間にあつて宮廷文化に憧れる時代であつた。(p.63)
って見抜いてるとこも非常に興味深いですね、どこかで勅撰集にあやかったものをつくり続ける文化だったと。
べつのとこでは、江戸期の文化というか文学趣味の基本は『新古今』であったとも言ってます。
>ここで思ひ出されるのは例の『小倉百人一首』で、あれは藤原定家が『古今』から『新勅撰』まで九つの勅撰集から秀歌を選んだものだが、大切なのは、その選び方が『新古今』時代の趣味によつてなされてゐるといふことである。王朝和歌が江戸の文明と密接な関係を持つたのは『百人一首』のよつてであつた。ところがその『百人一首』は極めて特殊な角度――『新古今』的な角度で切り取られた、王朝和歌なのである。(略)江戸時代の文学者にとつては、『新古今』は現代文学の出発点――ちようどわれわれにとつての明治文学のやうなものであつた。(p.118)
ということなんだそうで、こういうのは古今と新古今の違いなどわからぬ身としてはそうですかと承るしかないんだけどね。
で、その後の宮廷文化の絶滅期に入っちゃうと、共同体的なものが失われてしまった。個人の詩集とか歌集は出るかもしれないけど、勅撰集のことどころか詞華集一般をみんなして忘れてしまった。
>非常に図式的な言ひ方をすれば、横の方角に共同体があり、縦の方角に伝統があるとき、その縦と横とが交叉するところで詞華集が編纂され、そしてまた読まれる。といふのは、われわれは伝統を所有する際に、孤立した一人ひとりの力で持つことは不可能で、共同体の力によつて持つからである。孤立した個人にさういふことができるといふのは、ロマンチックな妄想にすぎないだらう。(p.85)
みたいにいってますが、文学ってのは共同体の表現であってよいって丸谷さんの意見は他のところでも何度か読んだ気がする。(いま思い出すのは『ゴシップ的日本語論』
そんで、詞華集を忘れちゃったところへちょうど入り込んできたのが小説なんで、なんか個人的なものばかりをとりあげて共同体的なもの失う方向に拍車がかかってしまったんだが、これまた丸谷さんがいつも言うように、日本の私小説ってのはおもしろくないとケチョンケチョン。
>しかし、日本自然主義と私小説によつて成立つ日本「純文学」といふのは、なんと特殊な文学だらう。それはたとへば趣向を軽んずることによつて、単に江戸文学と対立してゐるだけではなく、人類の文学史全体と対立してゐるやうにぼくには見える。(p.161)
とか、
>自然主義文学は直前の硯友社文学を否定した。あるいは、さうすることによつて江戸文学を否定した。そのことの意義はたしかに大きいかもしれない。この文学的革命によつて近代文学はからうじて成立したと考へられるからである。しかしこの結果、失つたものもすこぶる多い。そのうち今さしあたり注目すべきものとしては、文学がむやみに生まじめになり、深刻になり、遊戯性と笑ひが失はれ、人生の把握のしかたが単純になつた、といふ局面がある。(p.175)
とかって意見、傾聴に値するなあと、いつもながらに思ってしまう。
本書のコンテンツは以下のとおり。
薄い文庫本なんだけど、本編終わったのに残りのページ数がけっこうあるみたいだなと思ったら、付表とか、わりと長めに思えるあとがきあって、大岡信の巻末解説のあとに、丸谷さんによる「著者から読者へ 二十八年後に」ってさらなるあとがきみたいのがあって、実はこれ読むのが本書のねらいいちばんわかりやすいんぢゃないかとまで思ってしまった。(28年後にというのは「日本文学史早わかり」の「群像」初出が1976年だからということらしい。)

日本文学史早わかり
II
香具山から最上川へ
歌道の盛り
雪の夕ぐれ

III
趣向について
ある花柳小説
文学事典の項目二つ
 風俗小説
 戯作
夷齋おとしばなし

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