many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

不明解日本語辞典

2016-03-31 20:45:22 | 読んだ本
橋秀実 2015年 新潮社
去年の暮くらいに、なんかヒデミネさんの本が読みたくなって、何冊か買ったうちのひとつ。
辞典の体裁をしてて、見出し語には、【ちょっと】とか【っていうか】とか【すみません】とか並んでて、日本人が無意識に使ってるけど、実はちゃんとした意味なしてない、みたいなものを集めて意味不明な活用を嘆く展開を期待させる。
>このテーマに関して人に相談する時も、「実は今、『ちょっと』っていうのがちょっと気になりましてね。ちょっと調べてみようと思うんですけど、ちょっとよくわからないんですよ」と話した。(略)「ちょっと」と言い始めると、すべてが「ちょっと」になっていく。(略)
だなんてトボケた感じがおもしろかったりするが。
見出しにした語だけを詳細に掘り下げてくだけぢゃなくて、関連する別の語について展開してくなかに、興味深いものもあった。
たとえば、【いま】という項目に、それと対比して、よく過去形につかわれる「た」をとりあげて、
>「た」はもともと「てあり」。(略)どういう状態であるかを示す言葉で、元来、時制とは関係がなかった(略)
>(略)「た」は発言者の立場の表明。確認判断でもあるが、自分が確認判断する立場であるということを主張しているのである。
>(略)実は小説における「た」は、もともと翻訳語だったそうである。明治の頃、外国文学を翻訳する際にその外国語には「過去形」というものがあったので、それに照応させて「た」を流用したらしい。
なんてところは、いちばん勉強になった。
【えー】の項目では、この語本来の間を埋める「filler」の話ぢゃなくて、接続詞に関する考察が展開される。
>日本語に接続詞はない。
という古くからの論を紹介していくうちに、
>「しかし」は接続ではなく、立場の差異だというのである。(略)
>なるほど、と私は膝を打った。「そうは言っても、しかし」も内容不在だが、自分がこの先何かを言うべき立場にあることを示している。
と、話者の立場の違いが、つながる二つの事実の関係に違いを生じさせるという理論を示す。
なるほどねえ。こういう日本語表現の話はためになる。
【すき】の項目にある、
>(略)「好き」はもともと「好く」という動詞だった。それが名詞化されて「好き」となり、さらには形容動詞として「好きだ」「好きな(モノ)」「好きなら(バ)」などと活用するようになったらしい。(略)形容詞不足を補うために動詞が次々と形容詞的に使われるようになり、「好く」もそのひとつたったようなのである。(略)
>しかし「好く」を「好き」にすると、元来の動作が消えてしまうのではないだろうか。(略)
>(略)「好く」が「好き」になると、好く動作から好く様子に変換されてしまうのだ。(略)
という、意志を表明するんぢゃなくて、客観的な状態の描写に置き換えてしまう、現代人の言葉の使い方にありがちな傾向を指摘してるようなとこも、かなり刺激的だった。
それにしても、言葉の意味を調べるために使った参考文献の数がすごい。
辞典類だけでも、国語辞典19、古語辞典5、漢和辞典9、言語学・国語学関連の辞典10、語源辞典4、方言辞典6、その他の辞典16である。
その他にも、明治、大正、昭和、平成あらゆる時代の文献から引用がなされている。
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横浜スタジアムで今シーズンが始まる

2016-03-29 18:39:34 | 横浜散策
先週金曜日に、プロ野球が開幕したんだが。

横浜スタジアムでの初戦は、今日らしい。
夕方、そと通りがかったら、なんかオープニングイベントの準備らしいことしてた。

傍で見聞きしてると、どうやら今日一番力入れてるのは、野球ぢゃなくてイベントの方のように思えてしょーがない。
そうかと思えば、日本大通り駅も、一層ひどいことにされちゃった。
しょーがないなー。

(この駅は、カッコ書きで(県庁・大さん橋)ってサブタイトルがつく駅名なんだが、いつそれが(横浜スタジアム)って変えられちゃわないか、ちょっと心配である。)
ことしは、親会社が変わって5年目ということで、なんか気合いが入ってるらしく、神奈川県の72万人の子どもたちに帽子を配ってるそうな。
(ガキのころの俺だったら、絶対受け取んないだろうな。大きなお世話だとか言って。)
どうでもいいけど、日本大通りにヘンな旗飾るのはやめてくれないものかね、あいかわらず。美観を損ねる。

年明けごろだったか、馬車道にあの青い旗があったときは目を疑ったけど、最近無い、今日は無かった、よかった。
150年くらいの歴史のある街が、なにも野球チームの5周年なんかに付き合わなくてもいいと思うんだけど。
結局、自治体も鉄道とか大きめの企業も地元商店街も、巨大資本がカネおとしてくれるとか地元に人呼んでくれるとかってなると、なんでも賛成して歓迎しちゃうんだろう、困ったもんだ。

…なんて書きながら思ったんだけど。
私がDeNAに対して感じることは、たとえば競馬がすごく好きなひとが、競馬のCMとかイベントとかテレビ中継番組に感じることとに近いんぢゃないだろうか?(大笑)
なんかそんな気がする。
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食通知つたかぶり

2016-03-28 18:36:59 | 好きな本
丸谷才一 2010年 中公文庫版
去年の末くらいからか、なんか丸谷才一が読みたくなってしかたない。
むかし長編をいくつか読んだだけなんだけど、手元に本がそれほど無い。
もしかして当時はガッコのトショカンで借りて読んでたのかもしれない。
そんな読みたかったら、まとめて読みたいんなら、オトナなんだから、全集でも買えばいいんだろうけど、私にとって本を読むというのは、そういうもんでもないという気がする。
全集なんてのは、飾るためのものぢゃないかと秘かに思ってるから。置く場所もないしね。カネが無いのが最大の理由かもしれないが。
ということで、古本屋で、文庫を中心にボチボチ探しては買って読んでみたりしてる。
(困ったことに、どうやら今の時代というのは、文庫でもすぐ絶版になっちゃうみたいである。)
これも2月くらいだったかな、古本屋の文庫棚にあったのを見つけて、読んでみることにしたもの。
あんまり食べものの話とか集めてんのを読む趣味はないんだけど、これはとてもおもしろく、好きな本のカテゴリーに入れたくなった。
なんせ食べものの描写が、見事なんである。この作家だから、あたりまえかもしれないけど。
まず、外見を丁寧に正確に書き表すだけでも、なんともうまい。
>胡瓜のピクルズとカリフラワーと芽キャベツとセロリをそれぞれ刻んであへたもの。フォアグラ。スモークト・サーモン。小海老。キャヴィア。レバーのパイ。ゆで卵の上にイクラをのせたもの。ブルーチーズ。これだけが皿の上に目白押しにのつてゐるので、何となく嬉しくなる。
とか。(~ヨコハマ 朝がゆ ホテルの洋食)
>濃い鳶いろの二串で、同じ色のタレが皿の上に薄く流れ、それに脂のすぢが斑らに浮いてゐるのを見ただけで、そのことはよく判つた。
とか。(~岐阜では鮎はオカズである)
>次は輪島塗の蒔絵の小蓋盆にのせて、口取り。黒塗りに金ぶちの盆が、添へてある白梅のつぼみの一枚を引立て、そしてその可憐な白梅が、ドゼウの蒲焼二串、ユベシ、百合の根、菜の花の辛子あへ、河豚の一塩をさはやかに見せてゐる。
とか。(~九谷づくしで加賀料理)
>まづ、お通しが三品。穴子のしぐれ煮。これを四角い小皿にのせて。ちよいとしつこく、こころもち品のない味加減なのが、いかにも穴子らしくてよろしい。次が海老の活き造り。ワサビで。それから、海老の脚を丹念に炙つたやつを、朱泥の円い小皿にのせて。美味。
とか。(~神君以来の天ぷらの味)
しかし、いろんなものを食べるねと思うんだが、
>ほかのことならともかく、食べものにかけては、ものはためしといふ積極的な態度が肝心なのである。(~信濃にはソバとサクラと)
という姿勢なので、どこへでも行って何でも食べる。うらやましい。
さて、並んでるものを見てるだけでこれだから、それを口のなかに入れたときの書きっぷりは、それはすごいことになる。
気に入ったもの感心したもの、ここに並べ立てたら、まるで一冊まるごと抜き書きするはめになるので、そんなことはしない。
たとえば、
>和知の鮎は、大ぶりで肥つてゐて、よく脂が乗ってゐた。言ふまでもなく天然もので、炙るのは炭火。こんなに肥つてゐて味は大丈夫かしらといささか心配だつたけれど、豊饒にして脆美、まことによろしい。それは極めて淡泊でありながら、しかも同時にこの上なく豪奢な感じの、いはば奇蹟的な一品になつてゐた。
とか。(~八十翁の京料理)
>大ぶりの肉片があつさりと焼かれたのを、大きな小鉢のなかの大根おろし(これに醤油とガーリックと唐辛子と味の素をかける)にちよいとひたして口にしたとき、わたしは、ねつとりと柔くてしかも腰の強い感触にうつとりしてゐた。そのとき頭にきらめいたのは「柔媚」といふ漢語だつたが、(略)わたしはさながら年上の女の手練手管に翻弄される少年のやうにのぼせあがつたのである。
とか。(~伊賀と伊勢は牛肉の国)
>伊豆の狩野川の鮎ださうだが、わたしはこれこそ本当の鮎の天ぷらだといふ気がした。淡泊なくせに豊満、豪奢なくせに清楚。非の打ちどころのない味である。かういふ温くておいしいものを口にして噛んでゐると、今の東京でも、至福といふ言葉を思ひ出すことができる。
とか。(~神君以来の天ぷらの味)
どうしても長くなるんである。
これでもかってくらい書くんだけど、尊敬することには、
>本当は、この「傑作であつた」のあとに感嘆符を打ちたいくらゐなのだが、あの記号を添へると文章に気品がなくなるのでさうしないだけである。(ヨコハマ 朝がゆ ホテルの洋食)
というポリシーによって、「!」の数でウマイというんぢゃなくて、どれだけ文章表現できるか取り組むというのがプロだ。
ボキャブラリーも豊富だし。古来からの漢文や詩歌に詳しくなければ、こうは熟語は出てこないだろう。
ところが、圧倒されながら、「あとがき」までたどり着いたところで、タネアカシがあった。
>『食通知つたかぶり』は何よりもまづ文章の練習として書かれた。昔、與謝野晶子は弟子たちに、食べものの味のことを歌に詠むのはむづかしいからおよしなさいと教へたさうだが、散文で書くのだつてけつこう藝が要る。(略)ところどころ文壇交遊録のやうになつたり、珍味佳肴をめぐる詞華集の趣を呈したりしたけれど、主たる感心はあくまでも言葉によつてどれだけものの味を追へるかといふことにあつた。
ということだそうだ。
お見事です。文章表現の教科書にして、辞書とならべて机のそばに置いておきたくなる。
初出は昭和47年から50年にかけて、「文藝春秋」で隔月掲載されていたものらしい。
各章のタイトルは以下のとおり。
・神戸の街で和漢洋食
・長崎になほ存す幕末の味
・信濃にはソバとサクラと
・ヨコハマ 朝がゆ ホテルの洋食
・岡山に西国一の鮨やあり
・岐阜では鮎はオカズである
・八十翁の京料理
・伊賀と伊勢は牛肉の国
・利根の川風ウナギの匂ひ
・九谷づくしで加賀料理
・由緒正しい食ひ倒れ
・神君以来の天ぷらの味
・四国遍路はウドンで終る
・裏日本随一のフランス料理
・雪見としやれて長浜の鴨
・春の築地の焼鳥丼
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クローヴィス物語

2016-03-24 21:10:08 | 読んだ本
サキ/和爾桃子訳 2015年 白水社
「THE CHRONICLES OF CLOVIS」は、1911年のサキの短編集。
ことし年明けにサキの短編集「けだものと超けだもの」を読むことができたのだが、そんとき出版案内をみたら、それに先立って本書が出てたことを知った。
そりゃ読まないわけにいかないってことで、さっそく手に入れた。
2015年4月の出版だけど、私が買ったことし2月の時点で4刷を重ねている。好きなひとはけっこういるのね。
タイトルのクローヴィスは、主たる登場人物の名前。多くの話で、主役をはっている青年。
ちょっと上流の階級に属すると思われる生まれ育ちで、年は17,8歳といったところのよう。(どっかで年齢を言ってたような気もするが、ホントかどうかあてにならん。)
すこし斜に構えたようなとこあって、なによりその場で当意即妙の出まかせ話を語るのが得意。(まるでサイコパス?)
雨降りで退屈してる男爵夫人に「何かお話ししてよ」と頼まれたら、即座に「聖ヴェスパルースの話はもうしましたっけ?」って応えて、異教徒の王の甥で、キリスト教に改宗しようとしたばかりに迫害を受けた王子の話を始めたり。(「聖ヴェスパルース伝」)
伯母に取り巻こうとする紳士を追っ払う役目を引き受けて、相手が「いつか伯母さまのお宅でお昼をご一緒したことが」なんて切り出そうものなら、
>「伯母は絶対に昼食をとりません。目立たず静かな手法でいて、たいそう効果を上げている全英反昼食同盟の会員なんです。四半期ごとに半クラウンの会費を払えば。九十二回分の昼食を抜く資格が与えられます」
だなんて具合にやりかえす。(「タリントン韜晦術」)
なかなか素敵なキャラクターだ。
エズメ Esmé
月下氷人 The Match-Maker
トバモリー Tobermory
ミセス・パクルタイドの虎 Mrs. Packletide's Tiger
バスタブル夫人の逃げ足 The Stampeding of Lady Bastable
名画の背景 The Background
ハーマン短気王――大涕泣の時代 Hermann the Irascible ― A Story of the Great Weep
不静養 The Unrest-Cure
アーリントン・ストリンガムの警句 The Jesting of Arlington Stringaham
スレドニ・ヴァシュタール Sredni Vashtar
エイドリアン Adrian
花鎖の歌 The Chaplet
求めよ、さらば The Quest
ヴラテゥスラフ Wratislav
イースターエッグ The Easter Egg
フィルボイド・スタッジ――ネズミの助っ人 Filboid Studge, the Story of a Mouse That Helped
丘の上の音楽 The Music on the Hill
聖ヴェスパルース伝 The Story of St. Vespaluus
乳搾り場への道 The Way to the Dairy
和平に捧ぐ The Peace Offering
モーズル・バートン村の安らぎ The Peace of Mowsle Barton
タリントン韜晦術 The Talking-Out of Tarrington
運命の猟犬 The Hounds of Fate
退場讃歌 The Recessional
感傷の問題 A Matter of Sentiment
セプティマス・ブロープの秘めごと The Secret of Septimus Brope
閣僚の品格 "Ministers of Grace"
グロービー・リングトンの変貌 The Remoulding of Groby Livingston
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表紙でAERAを買う

2016-03-23 19:33:56 | 江口寿史
「AERA」2016年3月28日号・3月19日発売 朝日新聞出版
いや、おどろいた。駅構内の売店の雑誌のとこに、江口の顔が大きくあったもんだから。
江口だよな? 最近の有名人の顔はよく知らないから、似た誰か今話題のひとなのかとも思って、近づいてよく見たら、やっぱ江口寿史。
すわ!!江口、どこで新作発表だ? それともまさかの新雑誌でも創刊(コミックキュー再来)か?と思ったけど、よくよく見たらAERAだった。
表紙には「COLLABORATION!! 江口寿史×坂田栄一郎」とある。
AERAなんて、どっか理髪店とかの待合にでもおいてなきゃ、通常まず手にとることはないんだけど、即買い。
坂田栄一郎さんというひとは私はよく知らないんだけど、同じく表紙に「坂田栄一郎最後の表紙」とある。
表紙つくるひと? 知らなかった、写真家で、この雑誌の表紙の人物写真を、創刊以来27年間、撮ってきたひとだったって。
で、江口となにかコラボ作品が本編に載ってんのかと思ったら、江口の記事は「表紙の人」っていう当たり前の1ページだけだった。
構想を7年間あたためている作品に、今年こそ着手したい、なんて嬉しい談話があるけど、いや、それはあやしいぞ(笑)
あたため8年目に突入するか、着手したって第一話の後はとんと便りがない、って公算大(笑)
ほかの記事、今週号の特集らしい“子育てしながら働きやすい街”はどこか101自治体調査などなどは、私にはべつになんの興味もない。
江口の1頁のために週刊誌ひとつ買ってしまうなんて、むかしむかし江口の4ページ(それ今号あるかないかドキドキするとこからが焦点w)のためにアクション購読してたのと、行動パターンが同じだ、俺。
ただ坂本龍一の記事なんかはけっこうおもしろかったから、まあよかったけど。
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