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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

人魚はア・カペラで歌ふ

2024-02-29 20:08:08 | 丸谷才一
丸谷才一 二〇一二年 文藝春秋
丸谷さんの随筆集、いま調べたらおととしの秋に買い求めた古本、1年以上もほうっておいて最近読んだ、もともと怠け者だが、なんか読んぢゃうのが惜しいような気がしててってのもある。
っていうのは、丸谷さんは2012年に亡くなったんで、これは最晩年の執筆・出版ってことになるから、これのあとはないのかあとか思ってしまったら寂しくなるような気がしたもんで。前のもの何度も読みかえしゃあいいんだけどね。
初出は「オール讀物」2009年4月号から2011年9月号だという、この連載ものはほかにいくつもあって、いま思えば時系列に読めばよかったのかもしれないが、私はとにかく手に入ったものから適当に読んでった、これが最後になったのもただの偶然。
ちなみに「オール讀物」初出ものをシリーズとして並べれば、以下のようになりそう、こんど読み返すときにはこの順でどうだ、というための私的なメモにすぎないが。
『猫だつて夢を見る』1988年1月号~1989年6月号
『青い雨傘』1992年1月号~1994年12月号
『男もの女もの』1996年1月号~1997年11月号
『花火屋の大将』2001年2月号~2002年4月号
『絵具屋の女房』2002年5月号~2003年8月号
『綾とりで天の川』2003年9月号~2005年1月号
『双六で東海道』2005年2月号~2006年5月号
『月とメロン』2006年6月号~2007年9月号
『人形のBWH』2007年10月号~2009年3月号
『人魚はア・カペラで歌ふ』2009年4月号~2011年9月号
さて、丸谷さんのこういう書きものを私はエッセイとか随筆って呼ぶんだけど、本書には、
>今わたしがかうして書いてゐるこの手のもの、これを業界用語で雑文と呼ぶ。作家は小説だけで暮しを立てるのは大変だから、せつせと雑文を書くのである。(p.277)
なんてあるので、もしかしたら雑文集というのかもしれないが、本人ぢゃなく読者側が業界の符丁で呼んぢゃあ失礼だよね。
で、丸谷さんは、かつて野坂昭如さんに「雑文とは、冗談、雑学、ゴシップである」と教わったそうである。(ちなみに雑文界では野坂昭如・山口瞳が天下を二分してたというのが丸谷さんの評。)
そのうちの冗談について、
>(略)今の日本で冗談といふと、普通、これは猥談ですね。嫌ふ向きもあるけれど、わが雑文においてはこれを避けることは決してしない。平然として許容する。つまり書く。(略)
>しかしわたしの得意とする冗談はこの方面のものではない。偏痴気論である。このヘンチキロンといふのは、どうしたわけか『日本国語大辞典』その他の辞典類に載つてゐないけれど、これはをかしい。江戸文藝で非常に重要な一ジャンルなんです。(p.280-281)
ということで、「変な理屈、をかしな議論」をあげて話を展開するのを雑文の心得のひとつとしている。
そういえばいつも、妙な仮説を考え出して、これは意外といいセンいってんぢゃなかろうか、みたいなこと書かれてたような気もする。
本書にもいろいろあるんだけど、第二次大戦中のイギリス軍が、歴史家や数学者や言語学者を集めてドイツの暗号文の解読に取り組んだなかで、チェスのプレイヤーたちも加わったってのは雑学の部類かもしれないが、そっから、
>かういふ事情を知るにつけて、わが日本軍の戦ひ方がいかに馬鹿げてゐたかがよくわかりますね。
>わたしに言はせれば、日本軍は、升田とか大山とか、ああいふ若手の将棋指しを集めて暗号解読を研究させるべきだつたのだ。碁の藤沢秀行なんてのもいい。升田と秀行が酒ばかり飲んでゐて、ちつとも仕事をしなくても、天才にシンニュウをかけたのが二人寄れば、李白一斗詩百篇の自乗といふことになつて、すごい鬼手を思ひつき、たちまし暗号解読法とか、暗号作製法とかを案出したかもしれない。(p.84-85)
なんてぐあいに言い出すのは、ヘンチキロンなんぢゃないかと。
この話は、そのあとに、吉田健一を招集して水兵にしたのもひどい話で、「あんなに運動神経がなくて、日本人の風俗習慣を知らなくて、英語がよく出来て、むやみやたらに酒が強い人を水兵にしたつて、何の意味があるか」と続くところがさらに面白いんだけど。
雑学もあちこちにあっておもしろいんだけど、たとえば大名行列を考えるところで、
>(略)参勤交替は言ふまでもなく徳川幕府が諸国諸大名を支配するために導入した政治制度の一つ。(略)「導入」といふ言葉を笠谷さんが使ふのは、どうやら、中世ドイツの「主邸参向」Hoffahrtを念頭に置いてのことらしいが、さうすると寛永といふのは三代家光のころですから、家光はオランダ人から中世ドイツの制度を教はつたのでせうか。(p.152)
みたいなのを披露してくれるのを読むと、そうなのか徳川幕府オリジナルぢゃなかったんだ輸入ものだったのね、と蒙をひらかれる。
しかし、やっぱ私が好きなのは、戦前に橋本夢道という無季自由律の俳人がいたんだけど、
>しかしおもしろいのは、この夢道の勤めてゐた雑貨商が銀座に甘味処[月ヶ瀬]を開店したとき、彼が、普通の蜜豆に餡をのせた「あんみつ」を考へ出し、これが大当たりしたことである。このとき夢道の作つたコピー、
>蜜豆をギリシャの神は知らざりき
>が大受けに受け、市電の吊り広告にこの句を載せたら大評判。(p.120-121)
みたいなやつ、あんみつを考案したかどうかは定かではないらしいけど、とにかくこういうどうでもいいような話がおもしろい、名句ですね「蜜豆をギリシャの神は知らざりき」。
あと、当然のことながら、毎度おなじみのように、いろんな本を紹介してくれてるのも丸谷さんの雑文のいいところで。
(全部が全部わたしの興味にあうとは限らないけど、そういうのも、今後読み返したりしたら、前には引っ掛からなかった分野でも、いまなら読んでみたいとなるかもしれない。)
今回気になったのは、十九世紀のウィーンはすごかったみたいな話のなかで、
>文学へゆきますよ。まづシュニッツラー。(略)
>(略)彼の作品の魅力についても言はない。そんな暇あつたら、池内紀訳であれこれを読み返したい。きれいですよ。たとへば『ウィーン世紀末文学選』(岩波文庫)所収の「レデゴンダの日記」といふ短篇小説。ただ吐息をつくしかない。池内紀・武村知子訳の『夢小説・闇への逃走』(岩波文庫)もいいなあ。(p.354)
というようにあげられてるものかな、丸谷さんの小説の趣味が、かならずしも私にもヒットするものではないことはわかっているけど。
でも、ミステリについて、
>(略)結城、谷沢の両氏があげるのだから、『門番の飼猫』はよほどの名作にちがひない。もちろんわたしだつて読んだに決つてるが、これを書き終へたら書架から探し出して読んでみよう。一般にミステリのいい所は、ストーリーをまつたく忘れてゐることで、ガードナーの本はその特質が図抜けてゐる。つまりことごとく忘れてゐる。再読三読に向いてゐるのである。殊に風邪なんか引いたときにはこれに限る。すばらしい美点と言はなければならない。(p.220)
みたいに言ってるとこには、おもわず同意しちゃうな、忘れちゃうものなんだ、忘れてていいんだ、私も読んだはずなんだけどな『門番の飼猫』、こんど読もう、忘れてると何度でもたのしい。
それはそうと、これまでも丸谷さんは日本の文学というか小説は深刻ぶってばかりでおもしろくなくてよろしくないよ、みたいな論をいってますが、本書のなかでも小説の読み方について、
>長篇小説といふのは時間の藝術です。時間の流れ具合のなかに身をひたして、作者や主人公といつしよに泳ぐ。その快感が大事なのです。半年も一年もかけてダラダラと遠泳(?)を行なつたのでは身にしみない。(略)長篇小説は、なるべくなら、一気に読まなくちやあ。
>ところがわれわれ日本人は、明治以来、長篇小説を一気に読むといふこの習慣を身につけてゐない。とかくだらだらと読む。(略)精読のあまり、長篇小説の妙趣を解しない。(p.216)
というように指摘してくれてます、そうかあと思う、けどなかなか一気には読めない、現実的には。
(ゼータクいうわけぢゃないが、いい文章ぢゃなきゃ読めないよね、村上春樹のいうリズムのようなものがほしい。)
でも、そういう真っ当な理論のあとに、むかしは小説家は原書で海外小説を勉強したもんなんだけど、
>島崎藤村の長篇小説が『破戒』以外はみなあんなに詰まらないのは、彼が辞書を片手に英書を読んだ結果だとわたしは睨んでゐます。(同)
って付け加えるのは、ちょっとヘンチキロンっぽくて、おもしろい。
コンテンツは以下のとおり。
鍋の底を眺めながら
検定ばやり
象鳥の研究
浮気な蝶
007とエニグマ暗号機
敵役について
村上春樹から橋本夢道へ
北朝びいき
人さまざま
槍奴
古雑誌の快楽
小村雪岱の挿絵
赤い夕日の満州
ハヤカワ・ポケミスのこと
エロチックな方面
新・維新の三傑
歴史とレインコート
小股の切れ上つたいい女
人間的関心
モーツァルト効果
歴史の書き方
ズボンのボタン
好きな帝国
姦通小説のこと
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まっ白な嘘

2024-02-22 19:08:54 | 読んだ本
フレドリック・ブラウン/中村保男訳 1962年 創元推理文庫
これは前に読んだ『特別料理』とかと同じように、『厭な小説』の巻末解説にみちびかれて、ってのは、つまり、
>フレドリック・ブラウン「むきにくい林檎」(創元推理文庫『まっ白な噓』所収)には、厭な奴が出て来る。〈むきにくい小粒の林檎〉と綽名されたジョン・アッペル。(略)ひとつひとつ、アッペルの周囲で起こる出来事が実に厭だ。
って紹介のされかたに興味をもってしまい、去年の9月ころだったか買い求めた古本、読んだの最近。
原題「MOSTLY MURDER」って短篇集、出版は1953年だけど、それぞれの作品が書かれたのは1940年代らしい。
どれもが厭な話ってわけでもないが、まあ、なんというか、ちょっと変わってて、基本オチがあるんで、ピリリとした感じはある。
すべてがおなじパターンでくるわけぢゃなくて、持ち球がいろいろあるというか、意外なとこつかれる感じして、短篇集としては読んでておもしろい。
件の「むきにくい林檎」は、そのアッペルってやつが小学生のとき転校してきたとこから始まるんだが、こいつとケンカとかすると、相手はそのあとでひどい目にあう、学校の席に釘が下から打ってあって座ってケガするとか、画鋲ぢゃなくて釘だよ。
状況としてはアッペルがあやしいんだけど、証拠はない、そんなことばっか起きる、やがて18歳くらいのとき奴は町を出ていき、シカゴで本物の悪いやつになったらしいんだけど、なんと二十年ぶりにこの町に帰ってきた、ってことで厭なこと起きる予感満載である。
でも、それよりも、一読したなかで私が気に入ったのは「まっ白な嘘」かな。
新婚の夫婦が、五部屋あって大きな庭つきで近くに隣家なしという立派な一軒家を格安な値段で買うんだけど、過去に不幸な事件があった物件なんだな、これが。
事情は承知で買ったんだけど、住んで暮らしているうちに、妻はまだ捕まっていないという犯人について疑念をもち不安がふくらんでいく、っつー話。
あと、全然感じは違うけど「ライリーの死」ってのも気に入った、無骨で平凡な刑事だったライリーだが、その死後には市内に銅像が立ち、ライリー公園もできたという、そのいきさつについての話なんだけど、おもしろい。
収録作は以下のとおり。話のスジを紹介しようとするとネタバレにさわってしまうかもしれないので、物語の始まりのあたりを抜き書きしてメモとしておく。

「笑う肉屋 THE LAUGHING BUTGHER」
>きのうはよほどニュース種の不作な日だったにちがいない。なにしろシカゴの「サン」紙が、州南部コービヴィルに住んでいた小人の葬式に三インチ幅もの紙面を与えていたのである。
>「ちょっと、これを聞いて、ビル」とキャシーが言ったので(略)

「四人の盲人 THE FOUR BLIND MEN」
>わたしはガーニー警部の部屋にいて、彼ととりとめのないおしゃべりをしていた。話題はだいたい殺人のあれこれについてだった。(略)
>「手がかりというやつは」とガーニーは言った。「どうにもしようのないものさ。(略)

「世界がおしまいになった夜 THE NIGHT THE WORLD ENDED」
>レイマーのほかに客はいなかった。ジョニー・ジンは奥の片すみで眠っており(略)
>ニックは小さなグラスにビールを注いで、一気に飲みほした。「今夜、何かビッグ・ニュースは、レイマーさん?」
>「こんな不景気な夜は何年ぶりかだ。なんかでかい話の種が起こってくれないことには、新聞はあがったりだよ」

「メリー・ゴー・ラウンド THE MOTIVE GOES ROUND AND ROUND」
>縞馬のむこうには、銀色の鬣をした馬が、そのまたむこうには、この動物たちをのせたメリー・ゴー・ラウンドを夜分さえぎっているカンバスの側壁があった。
>しかし、ラザッツキー氏の聞いた音がなんであれ、それはこの動物たちのどれか一頭が立てたものではありえなかったし、おもてのカーニバルからの騒音でもありえなかった。

「叫べ、沈黙よ CRY SILENCE」
>例の、音についてのたわいない議論だった。聞く人の誰もいない森の奥で木が倒れたら、それは無音であろうか。聞く耳がない所に音はあるのだろうか。(略)
>このときの議論は小さな停車場の駅員と、上下続きの作業衣を着たでっぷりした男とのあいだで戦われていた。

「アリスティッドの鼻 THE NOSE OF DON ARISTIDE」
>ほんとですか、セニョール? フランスの名探偵アリスティッド・プティのことをお聞きおよびになったことがないとおっしゃるのですか。
>(略)いちどだけ、ある事件で、あのかたはわたしどもといっしょに仕事をなさいましたが、その頭の冴えときたら!

「後ろで声が A VOICE BEHIND HIM」
>かの大レイモンディはかつてうしろから声をかけられたことがある。彼が聞いたのは大砲の声ではない。大砲の声なら、毎週土曜と日曜に日に二度も聞いている。なんとなれば、この大レイモンディ氏、まさに読んで字のごとく泡の名声を求めるのあまり、大砲の口にとびこむことも辞さなかったからである。大レイモンディ氏、その別の名は、人間砲弾。

「闇の女 MISS DARKNESS」
>ミス・ダークネスがブランデル夫人の下宿に泊まりにやって来たのは、午後もおそく、夕食の時間も間近いころだった。夕刊が届いたばかりで、ブランデル夫人がミス・ダークネスを新聞で広告した二階の空室に案内しているあいだ、下の居間にいたアンストルーザー氏はこんなふうに話していた。「きょうの午後、下町は大した騒ぎだったじゃありませんか、ミス・ホイーラー。ごらんになりましたか」
「キャサリン、おまえの咽喉をもう一度 I'LL CUT YOUR THROAT AGAIN, KATHLEEN」
>で、わたしはベッドのはしから立ちあがらなかった。両手を下向けにして前へ差しだし、指をぴんと張ってみても、もう手はふるえなかった。私の指は彫刻の指のようにたじろがず、そして彫刻なみにしか役立たなかった。動かすことはできる。ゆっくり握りしめて拳を固めることはできる。が、サキソフォンやクラリネットをかなでるとなると、バナナも同然の無能ぶりだった。

「町を求む TOWN WANTED」
>助役が顔をあげて言った、「よう、ジミー。どうだい、調子は」
>わたしは歯をむいて笑ってみせ、階段を登った。そして、ノックせずにボスの事務室に入った。
>ボスはなんとなく妙な目つきでわたしを見た。「すべて順調か、ジミー」
>「湖が干あがったら見つかるでしょうよ」とわたしは告げた。「その時分には、誰も生きてやしませんて」

「史上で最も偉大な詩 THE GREATEST POEM EVER WRITTEN」
>ルーパート・ガーディンは「ふうむ」とうなった。彼とのインタビューが始まってからここ三十分のあいだに彼が放った最初の非雄弁的な発言だった。むりもない、わたしの出した質問は難題だった。(略)
>わたしは彼のために問題の範囲をせばめてやった。「初めから英語で書かれた最も偉大な詩としましょう。英語以外のものは除外して、翻訳もぬきにしましょう」(略)
>彼は深いため息を放った。そして、「やっぱりカール・マーニーの詩だろうな」と言った。

「むきにくい林檎 LITTEE APPLE HARD TO PEEL」
>彼のことを〈むきにくい小粒の林檎〉と初めて呼んだのは、学校で何級か上の、彼より大柄な男の子だった。アッペルはこの渾名が気にいった。それを鼻にかけて吹聴しさえした。いうまでもないが、この渾名を初めから終わりまで省略せずに使った者はいない。それでは長すぎて渾名にならない。
>最初の事件が起きたのは、彼が来てからたった一週間後のことだった。

「自分の声 THIS WAY OUT」
>部長刑事は大男で動作が鈍かったが、ばかではなかった。自殺にでっくわせばそれが自殺であることを見ぬいたが、同時に何事も頭から決めてかかってはならぬのを承知していた。(略)
>彼は、「もういい、運びだしてくれ」と言った。二人の担架係が、かつてはジョン・ケアリーという人間だった百六十ポンドの冷たい肉塊をごろりと担架にのせ、柄を握ってドアの外へ出て行った。

「まっ白な嘘 A LITTLE WHITE LYE」
>ギニーは今一度あたりを見まわして深く息を吸った。こんなすばらしい家があんな値段で買えるなんて、どうしてもありえないことのようだ。これはひょっとするとダークが思い違いをしているのではないかと心配になった彼女は、おそるおそる周旋屋の顔をうかがった。そして、「あのう、おいくらなんですか」ときいた。
>「七千ドルです、奥さん。もちろん、支払い条件もすばらしく――」(略)
>周旋屋はこの辺から「えへん、おほん」を初めていた。「もちろん、このことはお話ししておかないといけませんが」ここでまた咳ばらいを一つ――「ええ、この家には不幸な歴史がありまして、そのためにこんな格安のお値段でお取り引き願うわけなんです。この前にお住みになったかたが、実はそうの――お客さんもお聞きおよびでございましょう」

「カイン CAIN」
>独房の中でダナ・キースリングは身をこわばらせて寝台にうつ向きに伏し、小さな枕に口を押しつけていた。が、啜り泣く声は消せなかった。人に聞かれていると思うと恥ずかしくなる。なんとか勇気のあるところを示したいと思う。どうしてそれができないのか。おれは一生をすっかり台なしにしてしまった。その最後の数時間ぐらい、なんとか平静でいられる勇気があってもいいではないか。

「ライリーの死 THE DEATH OF RILEY」
>ライリーは死んだ。彼の葬式はカーター市始まって以来の盛儀だった。ライリーの生きているうちは誰も彼のことで大騒ぎなどしなかった。そういう人々を責めるわけにはいかない。存命中のライリーは、(略)誰よりも平凡な平刑事だったからである。だいたい彼の一生を振りかえってみると、現在の彼の名声にふさわしくない挿話ばかりで、ろくなものではない。

「うしろを見るな DON'T LOOK BEHIND YOU」
>ゆっくりすわりなおして寛いでいただきたい。この話を楽しんでいただきたいのである。あなたが読む最後の――ほとんど最後の――物語がこれから始まる。読みおわってから、あなたはしばらくすわって時間をやりすごすだろう。(略)しかし、早かれ遅かれ、立ちあがって出かけなければならない。わたしがあなたを待っているのは、そこである。
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論よりコラム

2024-02-15 18:24:42 | 読んだ本
漫画アクション編集部・編 一九八九年 双葉社
これは去年9月の古本まつりで見つけて、手に取ったら即買いを決めたもの、ふつうの古本の値段だったし迷うとこなし。
刊行されてるなんて存在を知らなかったんだけどね、帯をみたら「アクション・ジャーナル」選集だっていうぢゃない、買うしかない。
私が「漫画アクション」を読んでたのは、たしか昭和の終わりから平成の始まりのころで、江口寿史の「爆発ディナーショー」と諸星大二郎の「諸怪志異」が目当てだったんだけど、たしかに「アクション・ジャーナル」ってコラムはあった、あれはおもしろかった、って記憶が瞬時に脳裏かすめたんで、それが本になってたんだと喜んだわけだ。
そしたら、本書は1979年から1989年にかけての「11年間3640本の中から厳選した201本」を収録ってことなんで、すいませんねえ若輩もので、このコラムのことを語る資格はないなあ、という気にはなったが。
なんせ最初のほうの1979年12月13日号のなんかをみると、
>(略)この秋になって大ヒットしそうな新顔がお目見えした。SONYのウォークマンというヘッドホン専用のステレオ・カセットレコーダーがそれだ。これが画期的な新製品であることは確かだ。(p.40)
とかって記事に出くわすんだから、うわー、歴史を感じるなー、という感じ。
ほかにも、たとえば、
>「なあに、この映画? なにがなんだか、ワケがわかんないわぁ」
>「暗~い映画ねぇ、これ……」
>公開直前に渋谷パンテオンでおこなわれた『ブレードランナー』一般試写会会場でのヒトコマであります。
>コレを聞いて、ヤバイと思った。下手をすると不入りでもって、このSF映画史上不朽の名作が2週間ぐらいでロードショー打ち切りになるのではないかという、そんな暗~い予感を抱いてしまった。(p.148)
なんていう1982年8月5日号とか、名作の評価が確立されたはるか後に知った私のようなものには、当時のことを知る貴重な史料という気すらしてくる。
ちなみにこのコラムには何を書いてもよかったらしく、ジャンルは多岐にわたる、巻末の索引での分類によれば、【本】【雑誌】【映画】【芸能・音楽・テレビ・演劇】【車・オートバイ】【生活・風俗・海外・モノ】【警察・自衛隊・皇室】くらいに大きく分けられるけど、まあホントいろいろだ。
ふだんだったら古い知らなかった本とかばかりに興味をもつであろう私なんだが、やっぱ一読したところでは社会風俗というか、自分ぢゃよく憶えちゃいない80年代の世の中こうだったっけみたいなのがおもしろかった。
>(略)80年代東京における象徴的な「いらっしゃいませ」はなんといっても次の3つでありましょう。
>ハイッ。
>その1は、ハンバーガーショップのいらっしゃいませ。
>その2は、24時間ショップ真夜中のいらっしゃいませ。
>その3は、銀行の天下無敵裂ぱくアメアラレ風のいらっしゃいませ。(p.245 1983年)
とか、
>東京・港区のデニーズ南青山店で紅茶を頼んだら、ティーポットと一緒に運ばれてきた茶碗が汚れていた。外側に茶色いしずくのあとがいっぱいこびりついている。(略)
>「それはディッシュウォッシャーのせいです」
>副店長のかめがやさんは自信たっぷりに言ったのであった。
>そ、それはそうでしょうが。
>「ひとつひとつ確認はできませんので」
>うーむ。(略)
>「なにしろディッシュウォッシャーなのでねえ」
>なんと、かめがやさんは、ついに一度も「私どもの不手際で」とか「申しわけありませんでした」とかの、謝罪の言葉を口にしなかったのだ。(p.480-481 1987年)
とか、そういうのがなんともおもしろい。
ほかにも、本題は本の紹介のはずなんだが、
>(略)とにかくムカシは、美術学校へ行こうなんて人間にロクなモンはいないのであった。(略)
>ところが近頃は世の中が良くなったのか悪くなったのか、犯罪者になる覚悟もなく、もちろん死にたくもなく、おまけに五体満足で健康が運動グツをはいてスキップしているような少年少女が、何を勘ちがいしたものか美術学校にドドドッと入ってしまっているのであった。(p.229-230 1983年)
という導入からきてたりして、「世の中が良くなったのか悪くなったのか」ってのがなんともいい、戦後日本の価値観みたいなものが変化する時期にきた感じがする。
あと、当時は私もいまより熱心に観てて好きだった日本プロ野球の話もいくつかあるんだけど、そのなかでも、
>また深夜だ。タイガース、深夜にバース解雇を通知。
>いつもこうだ。こういう話を深夜にしかしない。いつも闇につき動かされないと行動できないのだ。
>闇に紛れて人を消す。仕置人か、おまえらは。(p.516 1988年)
みたいに、ちょっと切り口がちがう書きようがあるのが、当時も今もおもしろいと思ってしまう。
それはそうと、今回読んでみて、また編集者のあとがきで念を押すように確認されて、意外だったのは、無署名のコラムだったってことだ。
なんか、堀井憲一郎さんとか書いてたコラムだよな、とか思い込んでた(実際ライターの一人ではあったんだけど)私なんだけど、それって当コラムぢゃなくて、ページ下の3行コラムの影響大だったのかもしれない、アクションといえばよくホリイ氏が書いていて、みたいな。
本書も、裏表紙に執筆者25名は五十音順で並べられてるけど、本文中に誰が書いたかの記載はない、編集者によると「書き手の名前ではなく、内容を読んで欲しかった」などの理由があるそうで、まあ書き手がそれでいいんなら、いいんぢゃないでしょうか。
執筆者は、編集者あとがきによると、
>一番最初に相談にのっていただいたのは、征木高司さんだった。(略)
>(略)アクション・ジャーナルの気分を色濃く決定したのは征木さんの文章である。(略)
>最初の打ち合わせに来ていただいた方々で今も寄稿していただいているのは、他に、詩人で編集者、クリント・イーストウッドの大好きな稲川方人さん、マッツォーノ、ニフティといえば知る人ぞ知る松尾多一郎さん、そして、「戦後生まれの淀川長治」とひそかに名付けた稻田隆紀さん(略) シチリアに魅せられている浅野恵子さんや、やはりライターで編集者の平原康司さんにもごく初期から寄稿していただいている。
>(略)寄稿家の「友達の輪」は広がり続け、昨年『熱帯の闇市』を上梓されたフリーランス・ライターの篠沢純太さんには、やはりライターの上原秀さんを、そして新著『「族」たちの戦後史』でユニークな角度から私達の精神史を語る馬渕公介さんをご紹介いただいた。(略)また、大胆にして最新な漫画評論で知られる村上知彦さん(略)のおかげで、堺市在住の峯正澄さんと出会うことができた。(略)阿奈井文彦さん、亀和田武さん、呉智英さん、関川夏央さん、山口文憲さんについては、ここで多くを語る必要はあるまい。(略)家村浩明さんにはクルマの運転を教えていただき、和智香さんからは小火器のことを教わった。岩田重敏さんも、ごく初期から寄稿していただいているおひとりである。
>(略)井上二郎さんから「学生の時に読んでいた」と聞かされた時は、少なからぬ感慨を禁じえなかった。(略)
>漫画アクションの3行コラムを長く担当された堀井憲一郎さんは、スキが嵩じて『スキーの便利帖』を小社より上梓された。宮村優子さん、那波かおりさんの原稿は、オジサン編集者の発想の限界をいつも超えている。そして、『ディベート』で有名な加藤秀棋さんや市原千絵さんは、ともに有望な新人である。(p.558-560)
の25名ということになる。
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ディミトリオスの棺

2024-02-08 19:10:27 | 読んだ本
エリック・アンブラー/菊池光訳 昭和五十一年 ハヤカワ・ミステリ文庫版
これは、以前読んだ『風の文庫談義』において、
>アンブラーの初期の作品ではやはり『ディミトリオスの棺』がいちばん面白いだろう。(略)
>(略)この作品は、スパイ・スリラーとしてはめずらしいほど、知的な側面をもっている。それが、醜悪な犯罪、暴力とうまく共存している点で、これはスリラーを超えた文学作品となり得ているように、私には思われるのだ。(『風の文庫談義』p.89-90)
という紹介をされていて、興味もったんで、昨年末ころに買い求めた古本の文庫。私はアンブラーの作品、読むの初めて。
原題「A COFFIN FOR DIMITRIOS」は1939年の作品、物語の舞台もそのころってことになる。
ディミトリオスってのは人の名前、ディミトリオス・マクロポウロスって男、一応ギリシア生まれとされてるが正体はよくわからない、ってのもこの男、広く各国を股にかけていた国際的なスパイだったから。
物語を動かしてく視点となるのはチャールズ・ラティマー、イギリス人の経済学者で、そのかたわら探偵小説も書いて成功をおさめてるひと。
ラティマーがトルコのイスタンブールに行ったときに、秘密警察の長官というハキ大佐という人物に出会う、ハキ大佐は自分の考えた探偵小説のアイデアをラティマーに提供したいって話をしてきたんだけど、そこに本業に係る電話連絡がかかってきて、「あなたは本物の殺人者に関心があるか?」とか言い出す。
大佐が言うには、ゆうべボスポラス海峡でディミトリオスという犯罪者の死体が上がった、ナイフで刺し殺され海へ投げ込まれたらしい、奴はいろいろ悪事に関わったがどの国の政府にも一度も捕まったことはない。
死体置き場にディミトリオスを見に行くという大佐に、ラティマーは自分もその男の死体を見てみたいと言い出し、同行の許可を得る。
実際に死体を見たあと、ラティマーはディミトリオスに興味をもち、この男の足跡をたどってみようと思い立って、ハキ大佐の話を手がかりとしてあちこちへ出かけてっては記録や証言を集める。
1922年にトルコのスミルナでショレムというユダヤ人を殺害して金を奪う、1923年にブルガリアのソフィアでブルガリア首相を暗殺する陰謀に加わる、1924年にアドリアノープルでケマル・パシャ暗殺計画に加わる、1926年にはベオグラードでフランスのためのスパイ行為をはたらく、1929年にパリで麻薬密輸事件があり一味が捕まったが捕まらなかった首謀者ではないかと疑われる、などなど大活躍のディミトリオスらしいんだが、どこでも最終的には逃げ切ってて真相はわからないんだが、ラティマーは順に現地へ行って足取りを追う。
スパイ小説って読んだことあまりないんで、なにがどう面白いとも思わないんだが、いろんな証言集めてくなかで、パリの麻薬密輸組織にいた男のいう、
>私たちみんなが、ほとんど異議なく彼を首領として認めていたことは、ほんとうに不思議なくらいです。(略)彼が私たちを支配しえたのは、彼が、自分が手に入れたいものはなんであるかを正確に知っており、それを最小限の労力と経費で手に入れる方法を正確に知っていたからです。(P.205-206)
ってのが私には印象に残ったなあ、欲しいものがわからないやつは欲しいものを手に入れられない、ってやつだ。
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アリスとシェエラザード~仮面舞踏会~

2024-02-01 19:20:35 | 諸星大二郎
諸星大二郎 2024年2月 小学館・BIG COMICS SPECIAL
巻末の奥付には2月4日発行ってなってるけど、おととい1月30日が発売日だって情報あったんで、当日は午前中から書店行って買った。
約2年前の『アリスとシェエラザード』の続編だ、初出は「ビッグコミック増刊号」で2022年から23年、雑誌読まない私はすべて初めて読む話、まったくもってうれしい。
主人公は、ミス・アリス・ミランダと、ミス・シェエラザード・ホブソンの二人、舞台は19世紀のロンドン、前巻を読み返したところコナン・ドイルがホームズものを書くちょっと前くらいのころと思われる。
霊媒体質のアリスと、男勝りで必要ならば果敢にサーベルもふるうシェエラザードが、人探しとかの依頼を受けては怪奇事件を解決していく、いいですねえ、悪趣味な話をさばくのは美少女キャラにかぎる。
本巻には、なにやら魔力をもつようなユディットって名前のこれまた女性キャラが出てくる、最初は自分の母親の復讐をって話に登場したんだけど、その後もちがう話で黒幕として出てくるんで、主人公の二人の宿敵となるのかもしれない。
二度目の登場となった「ユディット再び」は、一読したなかで気に入ったというか気になった話で、シェエラザードのところへ友人のデボラから手紙が来たところから始まる。
ひと月ほど前にデボラ夫妻が旅行へ行くと、予定していたホテルが当日火事になって泊まれなくなった、すると若い女性が自分の家に泊めてくれるというのでその家に行った。
一軒家に一人で住んでいるその女性は絵を描くというが、家の中にある絵はどれも不気味で怖い絵だった、一泊して辞去するときに、記念に絵をくれるというのでしかたなく比較的穏やかそうな人物画を選んだ。
自宅に帰ってから数日後に絵が送られてきたが、青ざめてやつれた若い女性の肖像画だった、頼んだものとちがう気もしたが、せっかくなので家の中の廊下の壁にその絵をかけておくことにした。
そのころからデボラは体調がすぐれなくなり、熱が出たりだるく疲労感をおぼえることが多くなったのだが、ふと気がつくと、もらった肖像画の陰気な感じがなくなって人物もなんだか若々しく変わってきたように見えてきた。
って話を語るデボラを訪ねてったシェエラザードも、最初は別人かと思うくらいデボラの容貌は変わっていた、っつー話、不気味でいい感じ、こういうのはマンガならではの怪異譚なんぢゃないかと。
第9話 ユディット
第10話 交霊会の夜
第11話 四辻の悪魔
第12話 ユディット再び
第13話 5枚のカード
第14話 仮面舞踏会
第15話 猫の交霊会
第16話 境界の小屋
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