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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

オザケン、えらい

2018-02-13 19:29:03 | 岡崎京子
小沢健二が盟友 岡崎京子 原作の映画『リバーズ・エッジ』へ書き下ろした 主題歌付き予告映像ついに解禁!
(あいかわらず情報のとりかたが遅れてるんで、全然知らなかったんだけど。
 あ、さすがに、映画をつくってる、ってことくらいは知ってたけど。)
そうかあ、オザケン、『リバーズ・エッジ』の主題歌書いたか。
うん、うん、いいことするぢゃないか。
あたしゃヲカザキもオザケンも両方とも好きだから、こういうの聞くとうれしくなる。

やっぱ一度は観に行くだろうな、俺。
(以下は、リンクが切れちゃうとなんなんで、記事のコピーを貼って取っとく。)

原作・岡崎京子、監督・行定勲、主演・二階堂ふみで映画化されることで話題の「リバーズ・エッジ」。その主題歌となる小沢健二の「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」が流れる予告映像がついに解禁となった。

「リバーズ・エッジ」は生きることにもがく若者達の姿を鮮烈に描いた衝撃の青春映画。世界三大映画祭のひとつでもあるベルリン国際映画祭のパノラマ部門のオープニング作品にも選出されている。

主題歌「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」は、かねてより岡崎京子と親交があり、その固い絆で知られる小沢健二へ、映画製作サイドから主題歌提供を依頼したところ快諾、夢のタッグが実現したことによって生まれた。小沢健二にとって初の映画主題歌となり、さらに今回の楽曲には映画のメインキャストである二階堂ふみと吉沢亮が”Voice”として参加していることで注目を集めていた。

主題歌版予告では、全裸で縛られてロッカーに閉じ込められるという壮絶ないじめを受ける吉沢亮扮する山田を、二階堂ふみ演じるハルナが助け出すなど、新たなシーンが追加されている。

2/9(金)に先行配信されると、SNSでは「小沢健二楽曲の中でベスト!!」「中毒性が高い!」と絶賛されている本作。完成した主題歌の印象について二階堂ふみは「まるで、問いかけるように、思い出を語らうように、寄り添うように、明日に向かう曲を聴きまし。」とコメント。

一方、吉沢亮は「初めてデモを聴いた時から今日まで、毎日気が付くと頭の中で流れています」と楽曲に魅了されている事を明かしている。映画の終わりに何かひとつ時代性の総括が欲しいと思っていたという行定勲監督は、「予想を軽々と裏切ってくる楽曲をすばらしく思いました」と映画により深みが与えられたことに満足のコメントを寄せていた。

「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」は、小沢健二が自ら手掛けたジャケットで2/14(水)に完全限定盤にてCDリリースされる。そして、「リバーズ・エッジ」公開日の2/16(金)、「ミュージックステーション」(テレ朝系)に生出演し、初披露される予定。

リバーズ・エッジ 公開情報
2月16日(金)より、TOHOシネマズ新宿ほか全国ロードショー
配給: キノフィルムズ
© 2018「リバーズ・エッジ」製作委員会/岡崎京子・宝島社
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オカザキ・ジャーナル

2015-06-04 22:20:08 | 岡崎京子
岡崎京子 2015年1月 平凡社
こないだのつづきで、岡崎京子関係の新刊。
この時期にいろいろと掘り出してくるねえ、ふしぎなことに。
マンガぢゃなくて、エッセイ。
『朝日ジャーナル』に1991年1月から1992年5月まで連載してた「週刊オカザキ・ジャーナル」と、『広告批評』に1992年6月から1993年12月まで載ってた「植島啓司と岡崎京子のFAX通信 コトバのカタログ」を完全収録ってことなんだが、私はどっちも読んだことなかった。
朝日ジャーナルは、この連載終了と同時に休刊しちゃったらしい。(←因果関係逆か?)
>悪いけど、あたしゃ今までなん誌の休刊に立ち会ってきたか。
とヲカザキは書いてるけど、小さいマンガ誌ならともかく、朝日ジャーナルまで終わるとはショックだったみたい。
その半年前くらいの1991年10月のところにも、
>ところで今秋、私の知っている限りで三つの雑誌が休刊する。した。『03』『モンパン』『やるまん・コミック・ギガ』の三誌。
って書いてあるけど、いずれも私は知らない。
同じ章に、
>私もまんが界のフリーター、紙業界のプーとして生きてきて早九年。いろんな雑誌が終わってゆくのを見てきたわ。(略)
>私が一番、個人的にココロ痛みフクザツな心境になったのは『平凡パンチ』及び『パンチザウルス』休刊のときです。
とも書いてる。んー、パンチザウルスは、名作「pink」も連載してたしねえ。
で、雑誌の休刊だけぢゃなく、この連載されてた時代、80年代が終わって90年代が始まったばっかのときってのは、湾岸戦争は始まるわ、ソ連は崩壊するわで、どうなっちゃうのと思う一方、なんかが終わってしまった感がいっぱいだったようだ。
終わっちゃったものは、たぶんにバブル的だった80年代なるものなんだが、そのかわりに素直に新しくて違う希望にみちた90年代が訪れるかというと、訪れてくれる保証も展望もなんもない、という感じだろうか、だったろうか、個人的には忘れちゃったな。
当時の風俗について、雑誌の特集とか、商品の宣伝とか、テレビとか新聞雑誌の報道とか、そういうもののバックにある資本主義的なものというか論理について、ヲカザキは何これ?おかしくない?と疑問を持っていたようだ、そんな箇所がいっぱいある。
80年代については、一度ハッキリと、
>この時代に生きようとする以上、「悪しき八〇年代的なもの」はすべてゴミ箱に廃棄するべきだと私は持っている。(略)
>今、世の中をうさんくさくさせているものは悪しき八〇年代の亡霊だ(と、思う)。(略)(p45)
と断じている。
おかしくなりはじめてる日本の大衆については、
>へんな感じ、と思うのがこの戦争を「良い」「悪い」という二元論で判断し語ってしまう人々のことである。(略)
>結論を常に用意しないと安心できないというどんかんさ。「良い/悪い」という道徳の時間的二元論でまずものごとを「解釈」してしまうお目出たさ。(略)(p22-23)
と見抜いてる。なんか西部邁さんとつながるものあるように感じるなあ。
バカに限って、自分で考えられないやつに限って、説明が足りないとか分かりにくいとか言うんだよなー、そんな簡単に分かるもんぢゃないよ複雑な世の中の事象。
その他、気になったとこをいくつか引用しちゃう。
たとえば、
>(略)私はかねてから「ヤンエグ」という言葉が良くわかんなかったので勉強した。結局、資本主義の忠実でいいコな奴隷、とゆうことが分かった。(略)
>「ヤンエグ」ってビデオ・モニター的だと思う。自分の姿をいったんモニターに映さないと自分を確認できないような…(略)(p86-87)
とか。
慣れない作詞をひとつやったときは、
>それにしても今、人のココロを本当に打つ歌というのはどこにあるのでしょう?(略)
>(略)関係なくて知らない世界でもとどく音と歌とことば。
>「共感」という想像力なき感覚が充満する時代がずっと続いていて、「自分とは関係ない何か」をキョヨーする体力ってとんと落ちてて。(略)(p.98-99)
と言ってる。鋭いと思う。このころから歌だけぢゃなくて文学でもマンガでも文化って、受け取り手には想像力がなくなって、その感じ分かるーって安易なものだけしか受け入れられなくなっていったね、きっと。
ところで、ヲカザキは、本業のマンガを書くのはわりと速いのに、このエッセイはたいした分量でもないのにすごく時間がかかることを正直に明かしてるけど、そこから、
>(略)マンガって、ある種の舌たらずな、言葉にうとい、分裂的な人間にとって「治療的な」役割を果たすのではないか、と。
>それが言いすぎだとすれば、ある種のマンガ(略)などは、感覚は分裂していてあたりまえ(分裂こそがキモチイイ)ということを私たちに教えてくれているのではないか、と。(p.130)
などということを言ってます。
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レアリティーズ

2015-05-28 20:23:34 | 岡崎京子
岡崎京子 2015年1月 平凡社
なぜか突如出版された、ヲカザキ関係の新刊。1月から3月まで個展が開かれた関係か。
私が買ったの2月頃だっけか。
同人誌時代の作品、企画単行本への寄稿作、その他単行本未収録作品などなど。
読めるのはうれしいけど、お蔵入りにはそれなりの理由があったんだとしたら、なにも出してこなくてもいいのにとも思うが。
“コミック・エッセイ”もいいんだけど、やっぱマンガ(短編)のほうが私は好きだ。
巻頭の無題の作品は未完成だからおいとくとして、ちゃんと短編マンガのかたちしてんのは、
「FLOWERS」「三日月曲馬団」「思うところも思わぬところもきれぎれの夏草達」
「ターゲット128〈後篇〉」「HELLO」「犬養智子の恋愛」「ベティ・ペイジの冒険」
といったところ。
最初の三つは、初期のころの絵柄してて、私としてはそんなに好きってほどのものではない。
この本に収録されてるなかでは、「ターゲット128〈後篇〉」(原作/福原まり)が、私が好きになったころの岡崎らしくていい。
ちなみに〈後篇〉とあるけど〈前篇〉なんてもともとない、「前篇のあらすじ」ってわざわざ1頁目につくってるけどね。
「犬養智子の恋愛」も好きだな。なぜ初期短編集に入れられなかったのか、謎。
そんなこんなで、コンテンツは以下のとおり。
「無題(未定稿)」
「オカザキの素」(1990年)
「FLOWERS」(1983年)
「三日月曲馬団」(1984年)
「思うところも思わぬところもきれぎれの夏草達」(1984年)
「美形のスケッチブック ひ・み・つ」(1985~1986年)
「DREAMing MARY」(1986年)
「ターゲット128〈後篇〉」(1988年)
「HELLO」(1989年)
「虹の彼方に」(1993~1994年)
「JLGの孤独」(1994年)
「錆びてゆく彼、彼ら、彼女、彼女ら」(1994年)
「犬養智子の恋愛」(1987年)
「ベティ・ペイジの冒険」(1991~1992年)
「'90年代“楽勝”宣言 テイトウワ物語」(1993年)
「下北パラダイス」(1990年)
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ハイリスク ~カリブsong

2014-03-19 21:16:43 | 岡崎京子
カリブsongは、狩撫麻礼作品集 story狩撫麻礼 art岡崎京子&やまだないと 2014年2月 双葉社
いや、きのうのことだけど、書店でマンガの棚みてて、これがあって、ビックリした。
どうも最近そういう出版に関する情報を得てないんで、いきなり自分で見つけて、目を疑ってしまった。
即つかんでレジへダッシュ。
収録作のひとつ「ハイリスク」は、私がヲカザキに魅せられるきっかけとなった作品で、その後読み返すことができないままでいたもの。
何に載ってたかも今となっては定かではなかったんだけど、「アクション」だったようだ、1989年のこと、短期集中連載、4週にわたってのもの。
このマンガの、トーンのズレた貼りかたが、とても印象的っていうか魅力的だったのを、いまこうして見ても、ドキドキしながら思い出す。
なんか問題があって単行本化されないのかなとも思ってたんだけど、これで一安心。
(まあ最近は、売れると見込みさえすれば、著者がお蔵入りにしたいと思ってたのでも、掘り起こして出版しちゃうような一面もあるようだけど。)
これで、たいがい手に入れたいものは入れたかなって満足感がある。
ことし2014年の収穫のひとつ。
コンテンツは以下のとおり。“ラスト☆パス”ってのは、“ひじかた憂峰”とか“椿屋の源”とかと、どうやら同じ人物らしい。
「ハイリスク」狩撫麻礼&岡崎京子
「夕陽の落ちるころ」ラスト☆パス&やまだないと
「レッスン」狩撫麻礼&岡崎京子
「ラスト・パス」ラスト☆パス&やまだないと
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RUDE BOY

2012-08-22 18:06:47 | 岡崎京子
岡崎京子 2012年7月 宝島社
副題は「岡崎京子未収録長編」って、そのまんま。
「ヘルタースケルター」の映画化によって、書店で岡崎京子コーナーみたいな並べ方を作ってくれてるとこもあって、なんでも便乗ってのは品がないなあとは思うものの、ファンとしてはまずまず喜ばしい。
私はコレクターではないので、版を変えただけのものを改めて買ったりはしないけど。
で、これ、帯にいわく「今世紀最大の発掘作品集」だって。
うーん、出してくるのはいいけれど、いままで単行本にしてないってことは、ヲカザキさん満足してないものだろうから、どうなのかなあと思うんだが、未読のもの(私は雑誌はほとんど読まないから単行本化してないと未読が基本)という誘惑には勝てず、やっぱ買っちゃった。
「RUDE BOY」1~4話は1989年から90年にかけて連載されてた未完の長編。
私はこのころ(「pink」に近い)のヲカザキさんの画が好きだ。
(ちなみに、帯に「ヘルタースケルターにつながる~」とかって文句あるけど、それは強引過ぎ、全然ちがう。もしpinkが映画化されてたら「そのアナザーストーリー」とか書いてんだろうな、きっと。)
「爆裂女学校」(バーストガールズスクール)は1984年なので、もっと古いですね、当然、第一短編集「バージン」のころの画に近い。このころの画は私の趣味からは、ちょっとど真ん中ではない。
あとは「カフェ DE 鬼でラヴラヴ」という5ページのマンガと、「女のまんが道」というインタビュー記事と1ページのマンガ。
「RUDE BOY」以外は、原画がないんで、プリンテッドマターのコピーという、どひー、そうまでしますか、という感じ。
(なら、いっそ、紙質も雑誌のものにしたりしたほーが面白いんぢゃね?なんて私は思ってしまう。)
最後に、イラストがいくつか。
うーん、私はコレクターぢゃないと書いたけど、こういう発掘のしかたを見てると、これからも「未収録多数・ヲカザキ初期女のコHカット集」(例えば)とか、マニアなことが始まっちゃわないか、心配。
ほら、あったでしょ、「うたかたの日々」で、パルトル関係のものだったら、何でも手に入れようとする人々。私らファンは、あれに近いと思われてないかい?

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