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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

みみずくは黄昏に飛びたつ

2017-07-23 17:02:13 | 村上春樹
川上美映子・村上春樹 2017年4月 新潮社
5月の連休のころに書店に積まれているのを買ったんだが、読んだのはごく最近。
小説ぢゃないし、すぐ読まなくてもいっか、って思ってたんだが、読んだらわりとおもしろかった、早よ読めばよかった。
「川上美映子訊く/村上春樹語る」ってなってるように、インタビュー形式。
ただし、インタビュアーのほうが単なる聞き手ぢゃなくて、けっこう負けずに語ります。
『職業としての小説家』の出たあとに一度インタビューしたのと、そっからの流れで『騎士団長殺し』を書き上げたあとに、それに関してってことで3回にわたるロングインタビューを決行。
なので、けっこう小説の書き方、みたいなとこ問うてる場面が多い。
ただし、読んでて感ずるのは、なにか「こういうふうに考えますか」とか「こういうことってないですか」とか問われたときに、村上さんがあっさり「ない」って答えることが多いってこと。
あと、以前の自作を読み返すことはないし、書いたあとは忘れてしまう、みたいなこと言うのは、ホントかいなと思うが、ホントなんだろう、ちょっと意外だけど。
しかし、
>(略)村上さんは「小説家にとって、小説に登場するシンボルやメタファーというものは、そのまま現実として機能する」とおっしゃっているんですね。
みたいな水の向けられ方されて、
>そんなこと言ったっけ?(p.110)
は無いだろ(笑) そんなかっこいいこと言っといて、忘れるかね。
それでもなんでも、物語の重要性については、いつものとおり、ちゃんと表明している。
ところが、物語があることは大事なんだけど、小説に出てくるものや、いろんな展開については、解釈を読む側にまかせちゃってるのが、チープトリックをかけないものの造り手たるところみたいで。
>それはなかなか大事なポイントかもしれない。この小説の中で。どうしてなのかは僕も知らないけど。(p.154)
とか、
>頭で解釈できるようなものは書いたってしょうがないじゃないですか。(p.116)
とか言われちゃうと、“この作品で作者の言いたかったことは何でしょう”みたいな国語のお勉強みたいな本読みをする人は困っちゃうんでしょうね。
それと関連してくると思うんだけど、今回このインタビューのなかで、文章が大事だって語られてるとこには、とてもハッとさせられた。
>でも多くの作家は、発想とか仕掛けが先にあって、文章をあとから持ってくる。(略)いや、僕の感覚からすれば、同時にあるものじゃなくて、まず文章がなくちゃいけない。(p.219)
って、すごい宣言だと思う。
ちなみに、
>そろそろ読者の目を覚まさせようと思ったら、そこに適当な比喩を持ってくるわけ。文章にはそういうサプライズが必要なんです。(p.24)
みたいな楽しいテクニックについての説明なんかもある、なるほどねえ。
これ読んで、また新しい小説を待つのが改めて楽しみになった気はする。
>(略)人が人生の中で本当に心から信頼できる、あるいは感銘を受ける小説というのは、ある程度数が限られています。(略)一生のあいだにせいぜい五冊か六冊だと思うんです。(p.188)
なんて村上さんは言うんだけど、それしかないかと思うと、なんかとても寂しくなる。
それっぽっちしかないのか、人生は。
どうでもいいけど、タイトルに「みみずく」があるのはどうしてなんだろと思ったんだが、『騎士団長殺し』に屋根裏のみみずくが出てくるあたりから引っ張ってきたらしい。ぜんぜん忘れてた、それ。
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騎士団長殺し

2017-03-11 17:05:00 | 村上春樹
村上春樹 2017年2月 新潮社 第1部顕れるイデア編・第2部遷ろうメタファー編 全2巻
なんだかんだ言って、やっぱ好きな作家の新しいものは読むんである。
買いましたよ、発売日の2月の24日に。
2冊ホイってレジに持ってったら、書店の店員さんがバーコードリーダーとかレジに触ったりもせず「3888円です」ってサクっと言ったのが、妙に印象に残ってる、朝から売り飽きたか。
当日は夕方から新幹線乗って大阪行くんだったんで、これ以上荷物重くしてどうすんのよと思ったけど、しかたない。
あと私のカバンは中途半端な大きさなんで、運んでるうちに中で本が揺れて折れたり傷んだりしないか気を遣うんだけど。
それはいいとして、行き帰りで読めるかなと思ったんだけど、とんでもない。
ギッチリとした感じのなかみで、とても読みでがある。私の小説読む力が衰えたのかもしれないが。
で、3月から自分の環境がちょっと変わるんで、なかなか落ち着いて本読めずにいたんだけど、まあ1週間後くらいには無事読み終えることができた。
早く目が覚めてしまった休日の朝ってのが、いまの私にとっては新しい本読むにはいちばんはかどる時間帯なのかもしれない。
いつものように、新しいものについて私は、ここに細かくスジとかについて並べ立てるようなつもりはあらない。
忘れないように自分用にメモっとくと、主人公は画家で36歳。奥さんから離婚を申し立てられちゃうってのは、村上作品にはよくあるような気がする。
んー、読んで一週間経ってようやく気づいてきたけど、雰囲気として似てるのは“ねじまき鳥”かなあって感じがしてきた。
(大江健三郎で、“穴の中”にいるの何だっけ、「万延元年のフットボール」?)

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ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集

2016-01-28 22:00:36 | 村上春樹
村上春樹 2015年 文藝春秋
村上さんの最新の紀行文集。
買ったのは去年11月ころだったかな。ぐずぐずしてて読み終わったのは年が明けてからになったが。
発表時期も媒体もばらばらなのを集めたもの、意外と短いものもある。
日本航空の機内誌に連載してたってのは、知らなかった。全日空派ってのもあるけど、ファーストクラスには乗らんからね、私は。
タイトルは、ラオスに行くのに乗り継ぎでハノイを経由したとき、ヴェトナム人に問われた言葉だという。
それに対して、村上さんは本文のなかで、
>でもそんなことを訊かれても、僕には答えようがない。だって、その何かを探すために、これからラオスまで行こうとしているわけなのだから。それがそもそも、旅行というものではないか。
と答えている。
ガイドブックや事前に観たことのある映像なんかを追体験するために出かけてく人間が多いご時世に偉いものだ、旅行に対するそのスタンス。
しかし、なんでラオス行こうなんて思い立つかね、ふしぎだ。
村上春樹さんというひとは、なんか内に籠っているようなイメージが勝手に私にはあるんだが、本書なんか読むと、けっこうあちこち出かけてくのは好きらしい。
それも予定をビッチシ組んで、プランどおりめぐってくってタイプぢゃないらしい。
>「旅先で何もかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない」というのが僕の哲学(みたいなもの)である。
と言ってるくらいだし、それくらい悟りの境地にあれば、どんなトラブルにあっても、そのこと自体を楽しめるんぢゃないかと。
(仮にその場では困っても、あとからだったら楽しい思い出にできるんだろう。)
行き当たりばったりというほどのことぢゃないんだろうけど、そうやって偶然の出会いを楽しむことのできるスタンスだから、本書のあちこちに見られる、いい体験をしたときの感想は、たとえば次のようにとても好ましい響きがある。
>いったんカメラのレンズで切り取られてしまえば、(略)それは今目の前にあるものとはぜんぜん別のものになってしまうだろう。そこにある心持ちのようなものは、ほとんど消えてしまうことになるだろう。だから我々はそれをできるだけ長い時間をかけて自分の目で眺め、脳裏に刻み込むしかないのだ。そして記憶のはかない引き出しにしまい込んで、自分の力でどこかに持ち運ぶしかないのだ。
コンテンツは以下のとおり。
「チャールズ河畔の小径」 ボストン1(1995年)
「緑の苔と温泉のあるところ」 アイスランド(2004年)
「おいしいものが食べたい」 オレゴン州ポートランド・メイン州ポートランド(2008年)
「懐かしいふたつの島で」 ミコノス島・スペッツェス島(2011年)
「もしタイムマシーンがあったなら」 ニューヨークのジャズ・クラブ(2009年)
「シベリウスとカウリスマキを訪ねて」 フィンランド(2013年)
「大いなるメコン川の畔で」 ルアンプラバン(ラオス)(2014年)
「野球と鯨とドーナッツ」 ボストン2(2012年)
「白い道と赤いワイン」 トスカナ(イタリア)(2015年)
「漱石からくまモンまで」 熊本県(日本)(2015年)

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村上朝日堂の逆襲

2015-11-12 21:06:47 | 村上春樹
村上春樹/安西水丸 平成元年発行・平成18年改版 新潮文庫版
うーん、これ、単行本(1986年刊行)持ってたんだけど、どこいっちゃったんだろう、みつからない。
しばらく前に、手元にないことに気づいて、しかたなく文庫を買った、平成23年の23刷。
週刊朝日の連載で朝日新聞社から出てたから朝日堂だったのに、新潮文庫からぢゃ朝日堂の意味がわからない。
それはいいとして、表紙は前の単行本と同じ、インディ・ジョーンズなのがうれしい。亡くなった安西水丸画伯の画。
なかみは、いま読み直すと、村上さんも若くてナマイキだったころのものだから、それがそれなりに活き活きしてる。
「村上は厚あげを毎日三枚食べるらしい」という噂が自身の耳に入って、どうしてそんな話がって相手に訊いてみると、雑誌のインタビューでそう答えてたと言われる。そこで、
>いくつかインタビューを受けると、質問というのはだいたい同じようなものだから、退屈でときどき口からでまかせの出鱈目を答えてしまうのである。(略)
>こんな風に世の中をなめて生きていると今にひどい目にあいそうな気がする。とにかく僕のインタビューはあまり信用しないで適当に読んで下さい。
なんて告白というか宣言をしている。いまだったら、こんなことは言いそうにない。
個人的な感触では、村上さんが誠実にインタビューに答えだしたのは、外国で大学のクラスをもったりしたあたりではないかという気がする。
外国といえば、この本の発行された時点では、
>僕は車の運転というものをしないし、また車という物体にもさして興味が持てない。(略)
>世の中にひとつくらい車の一台も走っていない町があってもいいのではないかと僕は思う。(略)どこかにそういう町があったら、僕は是非住んでみたい。
と言っていて、これはとても強く印象に残ってたもんだから、その後、海外に拠点を移して生活しているときに書かれたもので、車を運転している、それもこういう車がいい、みたいなのを読んだときには、とても驚かされた。
そういえば、ついこないだ『職業としての小説家』を出版し、小説を書くことについて詳細を語ってた村上さんだが、この本では、
>僕ももちろん文章を書くにあたってはいくつかの個人的信条を持っている。(略)
>そういう僕の個人的信条をひとつひとつ書き出すとずいぶん長くなるし、あまり意味があるとも思えない。読み物としても多分、面白くないと思う。
なんて書いている。約三十年後に、ずいぶん長い読み物として、書きあげられたものは、十分おもしろかった。
デビュー作と第二作についても、
>そういう小説を今読みかえしてみると、小説の構成がかなりぶつぶつに分断されていることがわかる。一日に一、二時間しか書く時間がないから、そろそろ気分が乗ってくるかなというあたりで「今日はここまで」とちょん切られてしまうわけである。(略)
>最初の小説を出したとき一部の人から「斬新だ・クールだ」という好意的な評を受けたけれど、これはもうひとえに生活環境のなせるわざである。(略)
と、その制作舞台裏を明かしている。
さてさて、それはそうと、前回の『にょにょにょっ記』では、著者の歌人穂村弘さんの発想のおもしろさに感心したんだけど、本書でも村上さんの発想のユニークさがいくつかあって、そういうとこは好きである。
たとえば、
>知りあいがバーを開くので店名を考えてくれと言うから「大砂漠」というのを提案したら即座に却下された。
>「あのね、〈大砂漠〉なんていうバーにいったい誰が入ってくるんですか?」
>「でもさ、俺なら入っちゃうね。中がどうなっているのかちょっと見てみたいもの」
なんて一節は、昔もいまもフェイバリットである。
あと、中野区内で「春樹求む」って貼り紙を見たと編集者に教わって、
1)春樹という名が好きな美女がいる
2)金持ちの老婦人が戦争で死んだ息子と同名の男に莫大な遺産を残そうとしている
3)誰かが「春樹」拡大家族を求めていて全国の春樹が親交を深める集いがある
4)「春樹同盟」というコナン・ドイルの「赤毛同盟」を模倣した犯罪計画がある
のいずれかかと想像をたくましくする章もおもしろい。
バレンタイン・デーの翌朝に、路上でハート型の大型チョコレートがいくつかぐしゃぐしゃに踏みにじられていたのを見つけても、
1)女の子からいっぱいチョコレートをもらった某イラストレーターが、妻への愛を確認するために全部踏みにじった
2)鏡餅を割るのと同じように、儀式としてのチョコレート割りが定着した
3)チョコレートを恋人に手渡そうと道を歩いていた女性が前後からライオンと豹に襲われた
4)チョコレートだと思ってかじってみたらハート型カレー・ルーだった
とか、いろいろ考える、発想が豊かだ。で、それを、
>しかしこういうことを考えていると一日があっという間に過ぎてしまう。
とシレッと言ってるとこがおもしろい。
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風の歌を聴け

2015-10-29 20:36:04 | 村上春樹
村上春樹 昭和57年 講談社文庫版
持ってるのは、昭和59年7月の8刷。でも読んだのは、昭和61年になってからぢゃないかな、というのが私の記憶なんだけど。
いわずと知れた、村上春樹のデビュー作。1979年発表、群像新人賞受賞作。
なんで一番古いのを、これまで採りあげてなかったかな、まあ最新刊の話題の直後に、デビュー作を並べとくってのも面白いかもと思ったので、今回ひっぱりだしてきた。
前回の『職業としての小説家』にも、デビュー作書いた当時のことは詳しく語られているけど、1978年春の神宮球場でヤクルトのヒルトン選手がツーベースを打ったときに、天啓にうたれたかのように、村上さんが「小説を書こう」と思い立ったというのは、これまで他のものでも書かれていたと思う、有名な話。
小説のなかみは、「僕」が語る、「1970年の8月8日にに始まり、(略)8月26日に終る」短い夏のあいだの話。
東京の大学から、おそらく阪神間のどっかと思われる町に帰省した「僕」は、当時21歳。
(読み返すまで、年齢とか、そういう細かいこと忘れてた。)
3年くらい前からの友人である「鼠」と、「ジェイズ・バー」でビールばっか飲んでる。
サラサラとページをめくりながら、小説というにはアッというまに読めてしまう。当時、日本の小説に、そういうの無かったような気がする。
つづく三部作の「ピンボール」や「羊をめぐる」に比べると、私はそれほどこれがおもしろいとは思わないんだけど。
でも、いろんなフレーズは長く記憶に残ってるし、影響を受けてるなとは思う。今回読み返してもそう思った。
なかに出てくる女の子に訊かれて「僕」が答える、
>「何故人は死ぬの?」
>「進化してるからさ。個体は進化のエネルギーに耐えることができないから世代交代する。(略)」
というところは、なぜかずっと記憶に残ってるフレーズ。
あと、主人公の「僕」が「鼠」に言う、
>みんな同じさ
というセリフとか、ラジオN・E・BのDJがリスナーの手紙を読んだ後に一瞬だけマジになって言う、
>僕は・君たちが・好きだ。
とかって箇所は、いまでも好きだっていうか、読むとこれ初めて読んだころのことを鮮明に思い出す。

※11月3日付記
なんか、これについて書いたら、もうこのブログを終わらせるときも近いような気がしてきた。
所有してる本で、書いてないで残されてるものも、かなり少ないしね。
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