many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ご先祖様はどちら様

2014-10-30 21:16:35 | 読んだ本
橋秀実 平成26年9月 新潮文庫版
もうひとつ、最近読んだ、ヒデミネ流のノンフィクション。
ひょんなことから、自分は誰の末裔なんだろうという疑問を抱き、調べてみることになった。
親に訊いてもはっきりしないし、区役所で戸籍を調べても記録はたいして遡れない。
曽祖父の故郷をたずねて街の人に聞きこみしたりする。
で、父系だけぢゃなくて、母方の祖先をたどることもやってみた結果、
>私の母の母の母の母の長男の次男の長男の長男
と出会うことができたりする。
なんかそういうのって、ひとごとながら、感動的だったりする。
で、顔とかの外見だけぢゃなくて、“今が楽しけりゃよくて、将来考えずに何でもとことんやっちゃう”性格も似てるとかってことを確認しあったりするのがおもしろい。
で、そんなおもしろおかしいとか何とかいうばかりぢゃなくて、戸籍制度って何なのか、家紋ってどういうものだろうか、ってこともあるけど、それにとどまらず、過去とは歴史とはなにか、先祖がいて自分がいるってどういうことなのか、なんて深いこともなにげに考えさせられる一冊。
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素晴らしきラジオ体操

2014-10-29 21:16:28 | 読んだ本
橋秀実 2013年 草思社文庫版
ちょっと前に読んだ本。
最近けっこうハマってる感のある、橋秀実のノンフィクション。
この本のテーマは、ラジオ体操。
単行本は1998年発行らしいが、著者がテーマとして思いついたのは、その3年前というから、平成7年のことらしい。
みんなやってるラジオ体操、誰でも知ってるラジオ体操。
でも、毎朝やってる人に、「なぜラジオ体操するのか?」とインタビューしても、「ラジオ体操はするものだから」という答えしか返ってこない。
そのときに、
>しかし考えるに日本人の行動のほとんどはただやってる、つられてやってる、やるものだからやってるわけで、理由というのも説明用にこしらえるものです。ラジオ体操はそうした行動性を様式化したにすぎないような気がします。
という問題意識に気づくとこがえらい、そしてそういうこと考えるひとの書いたものは面白い。
最初の章で、都内あちこちのラジオ体操会場に行っては、ラジオ体操してるひとたちのいろんな話を聞く。
冷静に、先入観なしで、素直に話を聞く。で、熱意を込めて語るそれぞれの自説を、うんうんと聞くんだが、それ変でしょ、のめり込まないで一歩ひいて考えれば、って客観的な視点をもつのが、このひとの取材のいいところ。
>「ラジオ体操は面白いのですか」との問いには「面白いとか楽しいとかじゃない」(略)
>「では、なぜ毎日やるんですか」と問い詰めると、「ラジオ体操は毎日だからだ」(略)
>問いと答えが同じになるのがラジオ体操の妙で、これをある老人は「無の境地」と言う。
こういう人たちが集まってると、名言に事欠かない。
路上で体操する67歳のひとに危ないのでは、と指摘すると、
>「でも、毎日やらないと、早死にしてしまいます」
とかね。
昭和10年代当時の都内のラジオ体操会場の所在地を調べ上げて、明らかに下町に多く、山の手に少ないので、訪ねてみると、
>「金持ちはラジオ体操なんてしませんよ」
とかね。
過密スケジュールでバス旅行しながらも、朝のラジオ体操を欠かさない82歳の人が、
>「ラジオ体操しているから長生きなんて嘘ですよ。私ら長生きしちゃったからラジオ体操してるんですよ」
とぼやいたりとか。
で、そうこうしているうちに、真相というか核心というか、深いところに気づいていく。
ラジオ体操って、「自然に」つられてやってしまう、やるとなぜか「すっきり」してしまう、ひとりではなくて誰かと向き合って一緒にやることで共振してしまう、そういうもの。
なぜそうなっちゃうのか、歴史や成り立ちを調べてくうちに、見えてくるのが本書のつくりとして感激した。
ラジオ体操のはじまりは、アメリカの例にヒントを得て、簡易保険の宣伝として考えられたんだけど、やがてそれが見えなくなっていったことを指して、
>ラジオ体操の正体がつかみにくいのは、隠れた目的と表面上の目的が渾然一体となっているからなのである。
と明かしているのは卓見。
それから、ラジオ体操がなぜ自然にできてしまい、すっきりするのかということを、つくった人である遠山喜一郎氏にインタビューしにいった際に、そのメカニズムを解明している。
>(略)ラジオ体操はすべての動作にその“間”を入れてある。間とは無用の用だ。人間は空白の“間”で安心するんだよ
という遠山氏の思想というか理論、すごい。感心した。
第一章 ラジオ体操人
第二章 死なせない広告
第三章 満足なり、皆に宜しく
第四章 ふるえる魂
第五章 自由で平等な気分
第六章 愉快なファシズム
第七章 隠れラジオ体操
第八章 六時三〇分のおつとめ
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馬のふりみて我がふり直せ

2014-10-27 18:01:47 | 馬が好き
乗馬にいく。
朝晩と日中で気温差が大きいってさ。でも、東京のひとは言うこと大袈裟だからね、札幌に比べたらなんでもないと思うよ、きっと。
でもでも、馬房のなかを見たら、馬たちは馬着を着せられてた。体調管理のむずかしい季節だ。

きょうの馬は、ポートマジン。
あらら、いつのまにか、毛が長く伸びてるね、冬支度ばっちりだ。
さて、二人で乗る場合、先に乗る私が馬装すべきなんだろうけど、あとから乗る人にたいがいやってもらう。
乗馬始めてキャリア浅いうちは馬装とかやりたいもんなんだよ、ってのが私の理屈。
いろんな馬、いろんな馬具に触れてみるのは、経験あるのみ。って、ポートマジンの馬装はシンプルだけど。
ちなみに、ひとに置いてもらった鞍にまたがると、私の鞍の置きかたって、やっぱ前寄りだなって思う。
これは、初級者にやってもらったときに限らず、先生に馬装してもらったときにも感じるんで、確実に私は標準より前に置いてるに違いない。

さてさて、馬場に入ったら輪乗りでウォーミングアップ。
前に出るぶんには申し分ないので、そろそろと拳をつかってみる。あまり急にギュウギュウやらない。
部班をやるんだが、ほかに先頭にふさわしそうな馬がいるので、適当に後方につける。
軽速歩で蹄跡を行進、ころころと手前を替える。
「手綱が長い」と言われる。結局、今日はたびたび言われることになるんだけどね。
あんまりギュッと持つと、ガツンとぶつかってきちゃうような感じがするんで、ゆるゆるとやってるんだけど、もうちょっとちゃんとウケなさいということらしい。
「急がせない」もたびたび言われる。
歩度を伸ばそうとするんだけど、ストライドがのびないでピッチだけが早まる。
しかも手綱が長いので、前へ進ませようと人間があがくたんびに、馬が前につんのめるかのようにバランスがくずれてるらしい。
そしたら、輪乗りで、アブミぬいで、遅くならないようにガンガンと前に出すのに乗っていく。
また手綱が長くなった、と指摘される。
馬のアタマが前に下がってしまっているので、もうすこし上にするように、と言われ出す。このあと何度も言われることになる。
原理はわかる。踏み込ませて、前うけとめて、後肢で馬がカラダを支えてる時間が長くなるようにして、上に上がってくるような動きにする。んなこと、できませんって。
それでも何かしないわけにはいかないので、ガチャガチャやってると、「内の拳だけで頑張らない」「ほら上体が前に倒れてきた」と何度も言われる。
上体を起こして、馬との引っ張りあいをこっちの背中全体を使ってこらえる、特に内の手綱を開くときは外のカベをしっかりつくる。
んぢゃ、駈歩。アブミあげたまんまのほうが乗りやすいや。
ポートマジンは駈歩発進軽いんだけど、しばらくラクに前に動いてもらうかとか思ってると、手綱長いのでちゃんと持てと、また言われちゃう。
前の馬に遅れちゃうので、伸ばしていこうと思うんだけど、馬のアタマが下がってっちゃう。
またバランスを改善せよと言われるので、脚ドンと使って前に出してから、ぐっと肘と背中でこらえて起こそうとする。
前にダラダラ流れちゃわないで、少し詰めて、上下に弾むようになれたかなと思うと、「かえすとこつくってあげる」と言われる。おお、そうそう、忘れてると引っ張りあいになっちゃうよ。
そのあとは、伸ばす詰めるを勝手に繰り返して、つめて力をぬけるところができたら、内の手を放してホメてやるようにする。
蹄跡に出て駈歩をしても、そんなに急がないで駈歩を続けられる。
そんなとこで練習終了。ポートマジン、汗びっしょり。暑い?そんなプレッシャーかけてないよね?

乗り替わったあと、しばしバランス談義。
馬のクビが前に下がったとこでバランスがそれなりにとれてそうだけど、それを頭頚を肩の上に乗せて起こさなくてはならない。
踏み込ませたうえで、アタマが上がったところで妨げないようにしてかえしてやれば、そこんとこで馬はラクになって、その姿勢で動けるようになる。
っつーんだけど、そうは簡単にはできない。きょうも途中で言われたけど、拳の位置を上げて、引っ張り上げるようにして、かえって馬のジャマをしてたりする。
馬のアタマが前の下のほうにあっても、そこでそれなりにウケてるような感じがしたんで、適当にゆるゆると乗っちゃってたんだけど、それぢゃバランスがわるくて、たとえば障害やれば落としてしまうことにつながるという。
そっかあ、きょう私がいい加減に乗って、あした誰かが障害落とすかもしれないんだ、簡単ぢゃないよね、乗馬って。
速歩よりは駈歩のときのほうが、比較的バランスの修正ができそうな気がしたと言うと、「それは速歩のときのほうが人間の姿勢が安定していないからです」と指摘される。
そっかー、それは改めて目からうろこの教訓だ。踏み込ませるとか拳使うとかって、正しい姿勢で乗ってないうちは、なんもできないんだよね、ホントのところは。
次回以降、ハミうけどうこうとかナマイキなことが頭に浮かんだら、まず自分の身を正そう。
どうでもいいけど、二鞍目のひとが乗ってるの見てたら、なんだ、ポートマジンは身体が小さいから、どんなにせっせと歩かせても自然と前の馬から遅れちゃうようなとこがあるんだ。ムリもないことだったのね。

おわったあとは、全身洗ってやって、リンゴやる。
うち帰ったら、馬術のテキスト、見直そうっと思う。
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KISS ~「THE HIT 2」

2014-10-24 21:53:12 | CD・DVD・ビデオ
「THE HIT 2」は、プリンスのベストアルバムで、1993年かな私の持ってるのは、ワーナーブラザーズの輸入盤
前回の「キス・キス」からつながりでと思って。
ふつうは、ロックバンドのKISSにいくんだろうが、私ゃCD持ってないんだ。(そもそもあんまり聞いたことない。)
ということで、PRINCEの「KISS」を聴くことにしてみた。
ある日、むしょーに、この曲が聴きたくなって、なんでもいいから入ってるやつ、ってことでこのCDを買ったんだ、たしか。
とてもいい。かっこいい。いまいち意味はわからんが。
初めて聴いたとき、衝撃的だったんで、いまだに好きだというだけなんだけど。
もうとにかく引き出しの多いひとで、次から次へと、色合いのちがうものをリリースしてくるんで、たまにそうやってハマるときがある。
私は、プリンスって絶対ひとりのアーティストの名前ぢゃなくて、ユニットの総称だよ、曲作りはいろんな人がやってんだよ、とか言ってました、当時。
さて、そのほかでは、プリンスのなかでは一番好きなのが「RASPBERRY BERET」。この曲はとても好きです。
あと、「I WOULD DIE 4 U」もいいな。(「4 U」は、当然のことながら「FOR YOU」の意味です。)
この曲はプリンス的ラヴソングの象徴である。
1.CONTROVERSY
2.DURTY MIND
3.I WANNA BE YOUR LOVER
4.HEAD
5.DO ME,BABY
6.DELIRIOUS
7.LITTLE RED CORVETTE
8.I WOULD DIE 4 U
9.RASPBERRY BERET
10.IF I WAS YOUR GIRLFRIEND
11.KISS
12.PEACH
13.U GOT THE LOOK
14.SEXY M.F.
15.GETT OFF
16.CREAM
17.ROPE
18.PURPLE RAIN
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キス・キス

2014-10-22 20:54:55 | 読んだ本
ロアルド・ダール/田口俊樹訳 2014年5月 ハヤカワ文庫
きのうからのつながりは、筒井康隆よりは、ダールのほうが好きだなあ、という感じで。
「飛行士たちの話」「あなたに似た人」に続く第三短編集だっていうんだけど、前二者は読んだことあるのに、これは存在知らなかったなあ。
「新訳版」ということで、書店の文庫棚に並んでいるのを見つけたのはラッキーだった。
(って、また出張先で見つけたんだけど。酔った帰りに本屋に寄ると、見つけたもんすぐ買ってしまう。)
収録作は以下のとおり。
「女主人」
ロンドンからバースに赴任した17歳の少年。安い宿をさがしていると、感じのよさそうな下宿屋を見つける。
ちょっとヘンな女主人が愛想よく迎えてくれたんだけど、違和感に気づいたのは宿帳に記されて名前をみたときだった。
みなまで言わない描写がいい、不気味さでは白眉の秀逸な作だと思う。
「ウィリアムとメアリー」
哲学の教師ウィリアムは、自分が亡くなったあと、妻メアリーに一通の手紙をのこしていた。
そこには友人の医師の提案による、自分の死後の扱いが書いてあった。
「天国への道」
ミセス・フォスターは、列車や飛行機の時刻に間に合わないことについて、神経過敏というくらい恐れをいだく性格だった。
しかし、彼女の夫は、わざとやっているのではないかと思うくらい、不必要に出発直前に彼女を待たせることがしばしばだった。
彼女が娘と孫に会いにパリへ6週間の旅に出る日も、いつものように夫は出かける間際に一旦家のなかへ戻ろうとする。
「牧師の愉しみ」
ミスター・ポギスは、牧師を装っているが、本業は骨董家具商だった。
田舎の古い農家などを訪れては、そこにある掘り出し物を、価値など知らぬ持ち主から安く買い取るのが、そのやりくちだった。
「ミセス・ビクスビーと大佐のコート」
夫と妻と見下げ果てた男をめぐる、古典的ともいっていいテーマの話。
ニューヨークの歯医者の妻であるミセス・ビグスビーは、月にいちどボルティモアに住む伯母を訊ねる習慣だったが、それはウソで、ある大佐と浮気していた。
「ロイヤルゼリー」
ようやく授かった赤ん坊は、ミルクをちっとも飲まず、平均よりはるかに痩せ細った子どもだった。
問題を解消する策を考えた父親は、自身が子どものときからミツバチに興味があり、どんな接し方をしてもハチに一度も刺されたことがない男だった。
なんか、スティーブン・キングみたいだなって、感じたな、これ。
「ジョージー・ポージー」
主人公の牧師は、女性との接触をものすごく恐れるが、それは幼少期の母親の教育の影響かもしれない。
そんな彼の気もしらず、周囲の女性は彼に接近してくる。
よくわかんない話だな、これ。
「始まりと大惨事―実話―」
三人の子どもを生まれてすぐに亡くした母親、四人目の子だけは、なんとか無事に生きながらえさせたいと思う。
その子の名前から、読者は、成長したのち歴史に名を残す人物になる運命を知る。
「勝者エドワード」
勝手にウチまでついてきた猫は、妻のルイーザがピアノを弾きだすと、とても興味深い反応を示す。
夫のエドワードは、妻の考えを否定する。
「豚」
数奇な運命により孤児となったレキシントン少年は、伯母に育てられるが、その影響から菜食主義者だけど天才的な料理の腕前を誇る。
世間から隔離されて育った彼は、無垢だけど常識がないが、そんな彼が初めて豚肉を、それが何か知らずに食べることになる。
「世界チャンピオン」
給油所ではたらいているゴードンとクロードの悪だくみ。
金持ちの所有する森にいるキジの密漁作戦を練るが、画期的な大量捕獲方法を思い当たる。
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